番外編 巻かれて、触れて、ほどけていく夜 1
夜の帳が落ちたギルドの寮室。
風の音すら止んだ静けさのなか、
フィリアの部屋には、小さな明かりだけが灯っていた。
「⋯⋯エリオン、今日も来てくれると思ってた」
フィリアの声に、扉の前で立ち尽くしていた男――
エリオンは、少しだけ戸惑ったように目を伏せた。
「⋯⋯誘ったのは、お前だろ」
「うん。⋯⋯来てほしかったから」
ほんの少し照れたような笑みを浮かべながら、
フィリアが部屋の中に歩を戻す。
その背中を見て、エリオンは深く息を吸った。
“本当に⋯⋯この距離を、超えていいのか”
フィリアのことを巻き込みたくないと何度も思った。
だが彼女は、逃げずに傍にいてくれた。
「ねぇ、こっち来て」
フィリアは自分のベッドの端に腰を下ろし、ぽんぽんと隣を叩いた。
エリオンは黙ってその隣に座る。
沈黙。
けれど、不快ではない。むしろ心地よい緊張があった。
「⋯⋯怖い?」
「⋯⋯ああ」
素直な答えだった。
「⋯⋯巻き付いたら、離れられない。
俺の本能が、お前を縛るかもしれない」
「縛られるの、そんなに悪いこと?」
フィリアの指が、そっとエリオンの尾に触れる。
「⋯⋯巻いてみて? やさしくでいいから。
“本気の恋”って、きっとそういうものなんでしょ?」
その言葉に、エリオンの目が揺れた。
躊躇いながらも、尾の先がふわりと動き――
フィリアの腰に、柔らかく巻き付く。
「⋯⋯フィリア」
彼女の名を呼ぶ声は、熱に溶けたように震えていた。
「⋯⋯俺、ずっと、こうしたかったんだ」
「⋯⋯あたしも」
触れ合う手。
重なる体温。
心臓の音が、もうひとつのそれと同じリズムになる。
エリオンはゆっくりとフィリアを抱きしめた。
指が、髪に、肩に、背に、確かめるように触れる。
尾はもう、優しく彼女を包み込んでいた。
「⋯⋯温かい」
「そうか⋯⋯?」
「うん。⋯⋯このまま、ほどけなくていい」
そう言ったフィリアの瞳には、涙が光っていた。
ずっと――誰かに寄りかかりたかった。
誰にも“重たさ”を預けられなかった彼女の心が、
ようやく安心できた瞬間だった。
エリオンは、そっと額を彼女に重ねた。
「⋯⋯お前の全部を、抱きしめてもいいか」
「⋯⋯お願い。⋯⋯エリオンにしか、触れてほしくないの」
尾が強く、けれど優しく締まった。
それはもう、本能でも理性でもなく、
ただ“愛”というひとつの感情だけで――
夜が、静かに、甘く、ほどけていく。
朝。
窓から射す光が、ゆっくりとフィリアのまぶたを照らす。
重たいまどろみの中、ふと気づいたのは――
「あれ⋯⋯なんか、重い⋯⋯?」
腰から下に、ぴったりと何かが巻き付いている感触。
「⋯⋯⋯⋯⋯うん、うん。エリオンだね」
記憶は確か。
昨夜のことは、夢じゃない。
エリオンの尾が、彼女の体をやさしく包んだまま、
ぐっすりと寝息を立てている。
「ふふ⋯⋯なんか、巻き付き度増してない?」
フィリアはそっと体を起こそうとした。
――が、無理だった。
尾がギュッ⋯⋯と、さらに絡みついたからだ。
「⋯⋯うそでしょ⋯⋯起きてる?」
「⋯⋯寝てる」
少し低く、けれどどこかくすぐったそうな声。
フィリアが振り向くと、エリオンの目が、ほんのり細められていた。
「⋯⋯おはよう。⋯⋯巻いたまま、寝てた」
「っていうか、巻き足したでしょ⋯⋯途中で⋯⋯」
エリオンはふ、と少しだけ笑って、
額に唇を落とした。
「⋯⋯だって、離す気なんて⋯⋯最初からないから」
その低音に、フィリアの鼓動が跳ねる。
「⋯⋯あたし、どこにも行かないってば」
「知ってる。でも、こうしてた方が安心できる」
「巻き癖、すごいな⋯⋯もう」
そう言いながらも、フィリアは尾に絡められたまま、
エリオンの胸元に顔をうずめた。
「⋯⋯あたしも、巻かれてる方が、落ち着くんだ」
「⋯⋯本当に?」
「本当に」
朝の空気の中、
ふたりだけの静かな呼吸が重なる。
トントン、と扉がノックされた。
「おーい! フィリアー! 朝飯行こーぜ!」
レイの声だ。勢いがいい。
フィリアとエリオンは顔を見合わせた。
「⋯⋯行く?」
「⋯⋯やだ。まだ、こうしてたい」
「⋯⋯だよねー」
「てかレイが今ここ開けたら、死ぬ」
「⋯⋯ほんとそれ」
ふたりはクスクスと笑い合いながら、
もう一度、体を寄せた。
尾の巻き付きは、少しだけ緩められたけれど――
その分、腕が強く彼女を抱きしめた。
「巻くのは、尾だけじゃないんだよ」
「ん?」
「⋯⋯心も、ちゃんと巻いてる。もうずっと、ね」
「⋯⋯うん。じゃあ、あたしも⋯⋯エリオンの全部、ほどかない」
朝日が、ふたりを優しく照らした。
まだ部屋の外では、レイの「おーい!」が続いている。
けれど、部屋の中では――
誰にも邪魔されない、ふたりだけの“朝”が、
静かに、ほどけていった。




