銀月の帳と噂の影 3
任務からの帰還。
ギルド《銀月の帳》の扉が開いた瞬間、空気が変わった。
カウンター奥のティナが、いつもより少し表情を強張らせる。
談話室の椅子にいた冒険者たちが、一瞬沈黙した後、ひそひそと声を潜めた。
「⋯⋯あれ、フィリアと⋯⋯エリオンだよな?」
「うわ、肩怪我してる⋯⋯何されたんだ?」
「いやでも、“尾”見た? あいつ、またやったんじゃ⋯⋯」
その視線とざわめきが、フィリアの肩に重くのしかかる。
けれどエリオンは――冷静だった。いや、冷たかった。
それまで寄り添っていた距離が、突然、離されたように。
「先に治癒を。リリィのとこへ行け」
「⋯⋯うん。エリオンは?」
「俺は報告を済ませる」
そう言い残し、彼はその場を離れた。
「痛かったら言いなさい」
リリィはいつも通りの淡々とした調子で、フィリアの肩に手を当てた。
治癒魔法がじわじわと染み入っていく中、彼女がぼそりと呟く。
「で? “巻かれた”の?」
「⋯⋯ん。巻かれたけど⋯⋯助けられた、って感じ」
「ふうん。じゃあ巻いたのは“攻撃”じゃなくて“守り”か」
「そう。⋯⋯なんか、苦しそうだったよ。エリオン」
フィリアが唇をかむ。
「ギルドの空気⋯⋯なんか、悪くなってない?」
「まぁね。ヴァルとリールが撒いた毒は、まだ抜けてないのよ」
「それでも、あたし⋯⋯怖くなかったんだけどな」
その言葉に、リリィが一瞬だけ手を止めた。
「⋯⋯怖くない、か」
そのまま再び手を動かしながら、ぽつりと続ける。
「フィリア。あなたは仮面を脱ぎたがってる」
「⋯⋯うん」
「でも、あの男はまだ、尾を“自分の武器”だと思ってる。⋯⋯あくまで“巻き付いたら離れられない”って思ってる」
「⋯⋯違うのにね。あたし、巻き付きたいと思ってるのに」
「それを伝えなさい。あの馬鹿、察するタイプじゃないわよ」
一方その頃、報告を終えたエリオンはギルドの裏通路にいた。
誰もいない空間。壁にもたれ、ひとつ、深く息をつく。
「⋯⋯あんなに噂が広がってるとは思わなかった」
背中に、ぞわりとした“拒絶の気配”がまだ残っている。
フィリアを巻き込んでいる。そう思えば思うほど、距離を取りたくなる。
その時、足音が近づいた。
「よう。なんか、らしくねぇな?」
「⋯⋯レイか」
「まぁ、“巻き付いてそのまま口づけ”でもして帰ってくるかと思ったら、随分おとなしかったからな」
「⋯⋯⋯」
レイが隣に立ち、ポケットに手を突っ込む。
「お前さ、自分が“化け物”扱いされるのに慣れすぎてて、もう“人間らしい期待”しなくなってんだろ」
「⋯⋯どういう意味だ」
「フィリアが“怖くない”って言ったの、あれ本気だぜ。見りゃわかる」
エリオンは、ふっと目を伏せた。
「それでも⋯⋯俺は彼女の温度を、冷やしてしまう気がするんだ」
「いや、お前が冷やしてんのは“自分自身”だよ」
その言葉に、エリオンは一瞬、何も言えなかった。
「ま、俺からのアドバイスはこれくらいだ。⋯⋯命が惜しいからな」
そう言ってレイは立ち去る。
残されたエリオンの尾が、ほんの少しだけ動いた。
――けれど、まだ誰にも触れようとしなかった。
その夜。
フィリアは部屋のベッドに横になったまま、腕に触れた感覚を思い出していた。
あの時、確かに尾が自分を巻いていた。
なのに、今のエリオンは――
「⋯⋯避けてるよね」
その呟きは、枕に吸い込まれた。
そして同じ頃。
別の部屋で、エリオンもまた天井を見つめていた。
(巻き付きたい。⋯⋯けれど、彼女を傷つけるわけにはいかない)
巻き付けない尾と、触れたくてたまらない指先。
冷えた尾に、まだぬくもりが残っているのを感じながら――
エリオンは、瞳を閉じた。




