43◇幕引き
「荷物は特別に思い入れのあるもの以外は置いていけばいい。服でもなんでも必要なものは全部俺が用意する。この家から持ち出すものは少ない方がいいだろう?」
「よろしいのですか?」
「アンは俺の家族だから、俺がアンのために必要なものを買うのはおかしなことじゃない」
「ありがとうございます」
アンは恐縮するのをやめ、礼を言ってディオニスの腕にギュッと抱きついた。その方がずっといい。
――そんな幸せな二人に割って入るのが、空気の読めないヤツである。
金髪碧眼の少年だ。フリルシャツにリボンタイ、ベルベットのズボン。初めて顔を合わせたが、これが弟のギゼルだろう。
「気色悪い」
色白の顔でボソッとつぶやいた。黙っていれば美少年だが、あの言動でわかるように中には悪魔が潜んでいる。
アンはギクリとしたが、ディオニスはアンを抱き締めたまま離さなかった。
「まあ、身内がイチャついているところなんて気持ち悪いだろうな」
サラリと言い返し、おまけにアンの髪にキスをして見せつけておく。アンは狼狽えていたけれど、離してやらない。
ギゼルは苛々とした目をこちらに向けていた。
「アンのくせに気持ち悪い。……お父様も無様で、どいつもこいつも馬鹿だ」
「人に馬鹿だって言っていいのは、人並外れて優秀で誰にも負けない人間だけだ。お前はそうじゃないから慎め」
ぞんざいに吐き捨てたら、ギゼルはカッと顔を赤く染めた。
「ぼ、僕は侯爵家の後継ぎなんだ!」
侯爵は娘たちよりも男児であるギゼルの方に重きを置いていた。だから、たったそれだけのことで傲慢になれるらしい。
「それはもう過去だ。お前が継ぐ家なんてない」
これは事実だ。
たまたまその家に生まれただけで得た身分は、それを失くした場合、個人の能力としては何も残らない。
それでも、ギゼルにはそんな未来は予測できなかったのだ。
廊下にがっくりと膝を突くと、か細い声で言った。
「じゃあ、殺せよ。落ちぶれてまで生きていたくない」
ギゼルはこれからどうなるのだろう。
父親が死罪になるとしたら、僧院で暮らすしかないかもしれない。
そんな質素な暮らしはギゼルには耐えがたいものなのだろう。プライドの高さならば引けを取らないディオニスは、その屈辱を理解できなくはない。
アンは、自分をいたぶり続けていた弟でも、弱々しい姿を見ると同情してしまうのだろうか。
――だったら、見なくていい。
ディオニスはアンの頭を自分の胸に押しつけてから言い放った。
「お前の人生の幕引きを他人がしてくれると思うな。お前が生きるも死ぬもお前が自分で決めろ。当たり前なのに案外忘れているヤツがいるから言うが、死ぬのはいつだってできる。ただし、生き返ることはできない」
ギゼルは父親と同じ、救いようのない人間かもしれない。
ただし、ディオニスに思い遣りを教えてくれる大人がいなかったように、ギゼルにも善悪の判断を教える相手はいなかったのだ。
こういう結末を迎え、これから変わることもあるかもしれない。
それとも、憎悪を滾らせてアンの禍根となるだろうか。
そんなくだらない人生を送るために生きたいだろうか。
ギゼルに対し、ディオニスが言いたいことはひとつだ。
「結局、自分を救うのは自分の努力だけだ」
この言葉の意味をギゼルが理解できる日が来るのかはわからない。
どちらでもいい。ギゼルの人生なのだから、自分で選べばいい。
もちろん、アンに危害を加えようとしたら潰すけれど。
黙っていたアンは、ディオニスの腕の中でポツリと言う。
「私も、何度も死にたいと思う瞬間がありました。でも、生きていたからディオニス様と出会えたのですよね……」
「アンは頑張ったからな。これからは、そのご褒美の幸せがひたすら待ってる」
ディオニスはアンの肩を抱き、ずっと床を眺めて動かないギゼルを置き去りにして歩き出した。
アンはギゼルを気にして何度か振り返ったけれど、歩みは止めなかった。
侯爵は、ディオニスに『そちら側にお前の居場所はない』と言った。
けれど、居場所は与えられるものではなく、自分で用意するものだということを今のディオニスは知っている。
ギゼルもそれに気づくことができれば、あるいは――。
アンを連れて屋敷から出ると、噴水の前でコーネルが待っていた。ニコニコと笑っている。
「よかった、彼女も無事だね」
今は学校にいる時とは違い、いかにも高貴な装いをしている。頭髪もボサボサではない。
アンはコーネルが誰だか知らないはずだが、身分が高そうだとは察知したのだろう。困惑気味にディオニスを見上げる。
「あの、こちらは?」
「……俺の友達」
どう紹介すればいいのか迷い、結局そう言った。
コーネルは、なんとなくニヤニヤしている。
「ディオニスの友人のコーネル・フィッシャーです。彼とは学校のクラスメイトなんですよ。どうぞお見知りおきを、お嬢さん」
その名前の頭には、『仮の名を』がつく。
それを知らないアンはコーネルの持つ柔和な雰囲気に絆されていた。
「私はアンネリーゼ……です」
アンの名乗りを、コーネルは優しい目をして受け止めた。
そうして、ディオニスの肩をポン、と叩く。
「今日は早く帰って彼女を休ませてあげるといい。じゃあ、また学校で」
「……ああ」
学校にはこのまま通うつもりのようだ。
本当に変わったヤツだ。
正体を知る前から、本音では分け隔てなく誰にでも優しいコーネルのことを認めていた。
ディオニスが回復魔法を使えなかったのは、相手を見下し、尊敬することを知らなかったからだ。
アンと知り合ってからも、一度回復魔法を試みて失敗したことがあったけれど、あの頃はまだ、ディオニスは『治してやる』と上から物を見ていた。
相手を敬い、助けたい、力になりたい、苦痛を和らげたいと思えた頃になってようやく傷を癒すことができた。
回復魔法の使用は本当に、心の動きに忠実だったのだ。
優秀でも人様に馬鹿とか言ってはいけません(^^;)




