41◇そちら側
――というのが昨晩の出来事だ。
そして王太子とコーネルを交え、あの場で手短に話し合った結果がこれだったりする。
エーレンフェルス侯の猛禽類を思わせる目は、ディオニスが退室するために扉を開いた途端に驚きで丸くなった。
部屋の前に、長身の青年が笑みをたたえて立っている。
「ご無沙汰しております、エーレンフェルス侯。すべて聞かせて頂きました」
「あ、あなたは――」
侯爵はコーネルが何者かわかっているのだろう。罵倒しないで堪えている。
それでも顔の血管が浮き出て動揺しているのは見て取れた。
ディオニスはここぞとばかりに意地悪く笑う。
「私の友人です。どうしてもあなたにお会いしたいと言うので連れてきてしまいました」
「自動人形はどうしたっ?」
侯爵は今になって気づいたのだ。あちこちに配置してある自動人形は、許可のない者の侵入を阻んだはずだと。
ディオニスはコーネルと顔を見合わせて笑った。
「うっかり、全部壊してしまいました。ほら、ですから私が来た時に自分で訪いを告げるしかなかったのですよ。あそこで気づかれるかと思ったのですが、あなたは気づかなかった。随分と浮かれていましたね」
本来であれば、自動人形が来客であるディオニスを案内してきて、それを告げるはずだ。自動人形はそう設定されているのだから。
ディオニスが自分でノックしたのは、コーネルを中へ入れるために自動人形を壊して回ったせいである。
「外には兵士も連れてきていますから、ご同行願えますか? ああ、父でしたら公務を休んで一日部屋でのんびりできたので、かえって元気になりましたよ」
コーネルはどこまでもにこやかだ。ディオニスも散々苦しめられたことを思えば、今は噴き出しそうになるほど愉快だった。
「そろそろ兵士が突入してくるんじゃないのか?」
そう言って煽ってやると、侯爵の感情はついに決壊した。
「おのれ、若造が――!」
懐に忍ばせてあった小型のナイフを握り、背を向けたディオニスに突進してきた。
「ディオニス!」
コーネルが叫んだけれど、ディオニスが振り返るよりも先に侯爵はナイフをディオニスの背中に突き立てる。
だが、ディオニスの背に刃が刺さることはなかった。硬質な音を立ててナイフは弾かれる。
「私は魔法使いですから、そんなものは効きませんよ。あなたみたいな方でも、最後の悪あがきにはそんな馬鹿みたいなことをされるんですね。逆に腕が折れたんじゃないですか?」
ディオニスは魔力を鋼の鎧のようにして纏っている。こんな単純な物理攻撃をガードできないほど無能ではない。
苦痛に呻きながら床に転がった侯爵を冷ややかに見下ろし、ディオニスはその折れたであろう手首に足を乗せて踏みつけた。
侯爵は痛みから獣のような声を上げる。それでも、ディオニスは冷ややかに吐き捨てた。
「痛いですか? 家族に痛めつけられたアンはもっと痛かったと思いますよ。でも、アンに許しを乞えとは言いません。むしろ、二度と会わないでいてください。牢には面会になど行かせませんから」
死罪であろうとも構わない。
娘にさえ一切の慈悲を垂れなかったこんな男だからこそ、その末路は悲惨でいい。
「お、お前は、私たちと同じ側の人間だ。他人を、踏みつけてでも、上を目指す。そちら側、に居場所は、ない」
侯爵が痛みに耐えながら呪うように言葉を吐く。それでも、ディオニスはもう侯爵に心を乱されるつもりはない。
指摘されるまでもなく知っている。
〈そちら側〉にいたディオニスだから、回復魔法が使えなかった。
傲慢で意地が悪く、他人に無慈悲だった。あのままだったら、ディオニスは本当に侯爵のようになっていた。
誰も彼も同じようにしか見えず、自動人形と人間の区別のつかない、それで不都合のない人間に。
ところが、アンに出会った。コーネルやライエ名誉教授、ザーラやシンディとも関わった。
それによってディオニスは、数多あった将来へ続く道の中から光の差す方へと導かれたのだと思う。すべては自分の力ではなく、手を差し伸べてくれた存在のおかげだから、そんな人々を大事にして生きていく。
ディオニスはクスリと笑って答えた。
「性格が悪いのは確かなので、根っこはあなたと同じかもしれません。でも、これから改善しますよ。そうしないとアンに愛想を尽かされますから」
この返答に、侯爵は目を見開く。それは驚きにも見えた。
「あんな、つまらない、娘の、何に、そこまで――」
もう心を乱されないとしながらも、そのひと言だけはどうしても見過ごせなかった。
「自分の娘を捕まえて『つまらない』ですか? あなたにアンの値打ちがわからないとしても、それを世間一般の評価と混同しないでください。アンは尊敬に値する人間です」
この父親や姉弟たちのせいでアンは自分を低く見積もるようになった。
アンの優しさは自分を卑下するところから来ているとも言えた。誰も彼もがアン自身よりも価値のある存在だと見て大切にするのだ。
けれど、これからはディオニスがアンの値打ちを教えていく。自分自身のことも大切にできるように。
「――ちょっとだけ口を挟ませてもらうけれど、ディオニスと侯爵は同じじゃない。ディオニスは人の上に立つためにひたすら努力をしただけで、人を陥れるようなことはしてこなかった。少しも同じじゃないよ」
コーネルがそう言ってくれた。
こんな時なのに、それが嬉しく思えた。努力を見ていてくれる人は必ずいるのだと。
そこで慌ただしい足音がして、兵士たちが屋敷に突入してきた。コーネルが指示を出したのだ。
コーネルはひとつ息をつくと、ディオニスに向けてうなずいた。
「あとは僕がついているから、早く彼女のところへ行ってあげるといい」
「ありがとう」
ディオニスの屈託のない笑顔など、コーネルでなくとも目を疑ったかもしれない。
けれど、昔は失笑していたようなことを心の中で唱えていた。
持つべきものは友達だと。




