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39◇標的

 バーナー(あの)親子とは極力距離を取っていなくてはならない。気にすることが増えてうんざりした。

 仕方がないので、見破られないようにやや背中を丸めて歩く。


 それにしても、ただでさえ人が多いのだから、この中から顔を隠した王太子を探すのは難しかった。昔、会ったことはあるのだが、こちらも子供だったからそれほど覚えていないのだ。


 クルクル、クルクル、何組もの男女が躍る。

 女性のドレスの裾がふわりと広がり、花のようだ。


 曲が終わると、その花が蕾に戻ったように萎んでいく。そして、男女は互いを称え合い、手を放して別のパートナーを探しに行く。


 この時、そのうちの一人に目が行った。

 深紅に金の縁取り、宝石を散りばめた仮面を着けた長身の男。太ってはいないが、そう若くはないとわかる。

 この人物がそうだと気づいてしまった。思い出した。


 ヴォルフラム・フィッツェンハーゲン・アウレール。


 そして、仮面を着けていても周りを気遣う仕草でわかる。王太子はアンやコーネルと同じ、善性の人間だ。

 心優しく、立場に関わりなく驕らない。この人物が王位に就くのを誰もが願っていると思えた。


 そんな人物だからこそ、エーレンフェルス侯爵を重用しない。水と油ほどに馴染まない二人だ。


 わかりやすいほどの善と悪。

 それなのに、ディオニスは今、悪の側に立っている。


 一人の女性を愛し、愛され、その結果が何故これだと言いたくなる。

 アンのためにできることをしたいのに。


 ディオニスは息を殺し、少しずつ王太子に近づいていく。一流の楽士による音楽は少しも耳に届かなかった。


 目まぐるしくすれ違っていく人の中、ディオニスは王太子だけを目で追っていた。どこかに侯爵かその手先がいて、ディオニスの動向を探っているのだと思われる。

 下手な動きはできない。


 そんな中、紺色の仮面を着けた背の高い細身の青年がディオニスの前にいた。


「こんばんは。良い夜だね」

「……ええ、とても」


 ディオニスはここで目立つことをするわけには行かず、なんとなくやり過ごそうとした。


 何が良い夜だ。ディオニスにとっては最低最悪の日だというのに。


「社交場に慣れていないように見えるけれど、そんなことはない?」

「すみません、まだあまり場数を踏んでいないので。無作法がございましたらどうかご容赦ください」


 身なりがよい。かなり上位の貴族だ。公爵か、もしくは王族かもしれない。

 何せ王族は多いのだ。王も長寿で子だくさん、王太子も子だくさんである。王孫なんて何人いるのかも知らない。


 その国王は高齢なので近頃は夜会にほとんど出席しない。今日もいないようだが、いてもどうせ踊れない。


「少し向こうで話さないか?」


 目の前の青年は、何故かディオニスに興味を抱いていた。

 そういう誘いは令嬢に向けろと心の中で毒づく。


 なんとか逃れようとするのだが、青年は仮面の奥で笑っている気がした。


「いえ、私はもう帰るところなので」

「来たばっかりなのに?」

「ええ。場違いのようですから」


 それだけ吐き捨てて青年を振り切る。こんなヤツに構っていては王太子を見失ってしまう。


 王太子に護衛がいないはずはないのだが、仮面を被っているせいか警備が甘いような気がした。

 壁際に移動し、そこからじわじわと出入り口の方へ動く。ここにいれば王太子もここを通るだろう。


 さっきの青年は人ごみに紛れてどれだかわからなくなっていた。

 クルクル、踊る。皆、楽しげだ。

 こんな時に今にも死にそうな顔をしているのはディオニスだけだろう。


 曲が終わると、また皆が離れて散る。王太子もまた、そっとホールから隅へと移動した。この動きは――。


 こちらに向けて歩いてくる。ディオニスの隣を通り過ぎる時、心臓が止まりそうになった。ホールから一人で出ていく。


 これはまたとない好機だった。

 暗殺――いや、一か八かもうひとつだけ手がある。


 エーレンフェルス侯に狙われていると暗に知らせることができたなら、救いの手を差し伸べてはくれないだろうか。


 とにかく、一度接触しなければ。

 ディオニスも王太子を追ってホールから出た。王太子が向かう先は多分――トイレだろう。


 息を殺して後をつける。本当に息が止まりそうだ。

 苦しくて、こんな思いは二度としたくない。


 すると、王太子が入ったトイレの前で肩を叩かれた。ディオニスは柄にもなく小さく声を上げて振り向いた。

 そこにいたのは、さっきの青年だ。


「驚かせたかな? シュペングラー卿とはどうしてもお話ししたくてね」

「……っ」


 仮面をしていても、やはり誰だかわかる人にはわかるらしい。

 こいつをどうにかしなければ、ディオニスの動きをいちいち気にされてしまう。まさか侯爵の手先だろうか。


 ただ、なんとなく聞き覚えのある声にも感じられるのだ。


「それで、暗殺計画はどんな感じ?」


 急に口調が砕けた。

 それ以上に、彼の口から飛び出したセリフに心臓を潰されそうになる。


「何を……っ」


 すると、その青年は仮面を持ち上げ、チラリと素顔を見せた。


「僕だよ。決行するとしたら今日かなと思って潜入しといたんだ」

「はぁっ」


 まさかのコーネルである。

 仮面を被っているばかりではなく、装いだけで別人に見えた。服は誰かに借りてきたとしても、貧乏准男爵のところに招待状など来るものだろうか。バーナー親子のところにも来たのだから、来たのかもしれない。


 しかし、いくらコーネルに悩み相談をしたからといって、ここまでするものだろうか。


「止めに来たんだな?」


 それはそうだろう。

 国の大事なのだから、知った以上放ってはおけない。


 そして、ディオニスのことを友達だと思っているからこそ、思い留まらせてやりたいと考えて駆けつけたのだ。

 そう思ったけれど、コーネルはあっさりと言った。


「いや、手助けに来たんだよ」

「……嘘だろ」


 ディオニスでさえ思い悩んでいるのに、この軽い答えはなんだ。コーネルは本気にしていないと見るべきだろうか。


 それでも、冗談めかして言ったつもりが、ディオニスがなんらかの問題を抱えているとコーネルは察したのだ。あの時、どうしてコーネルに話してしまったのだろう。こんな形で巻き込むわけには行かないのに。


「手助けなんて要らない。帰れ」

「要らないとは思わないけど」


 再びマスクを直してコーネルは言った。

 誰かに助けてほしい。けれど、誰も助けることなどできない。

 これはディオニスが立ち向かうべき問題で、コーネルまでもが抱えることではない。


 ディオニスは劣等生に落ちぶれてから心を学んだ。

 学ばせてくれたのはアンと、それからコーネルもなのだと思う。


「俺は、お前を巻き込みたくない。だから帰れ」


 コーネルを身代わりに、犯人に仕立て上げればいいと侯爵なら言うかもしれない。

 けれど、コーネルはこれまでどれだけディオニスが冷たくしても態度を変えなかった。こんなヤツを裏切れるようになったら、もう人間を辞めた方がいい。


 コーネルはそっと首を傾けた。


「僕のことを心配してくれてありがとう。でも、一緒に行かせてくれないかな?」

「駄目だ」

「うーん、見守るだけでも」

「帰れ」

「じゃあ帰る前に王太子に密告しようかな」

「お前な……っ」


 本当に、どうしてコーネルに話してしまったのだろう。

 そんなこと、今更悔いても仕方がない。


 それなのに、コーネルは笑っているように感じられた。


「ディオニス、まずは王太子に会おう。そこのトイレだろ?」


 王太子に侯爵のことを話す。密偵がいたとしてもトイレまでは来ないことを願いたい。

 王太子に救いを求め、アンを助け出す。それだけしか希望の光は見えなかった。


 ただし、ディオニスの言葉を王太子が信じてくれるという保証は何もない。

 もし失敗しても、アンとコーネルには温情を願うしかないと腹をくくった。


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