前編
普段の精悍な顔つきからは想像できないほど相好を崩し、村に置いてきたという幼馴染みの娘の話を聞いたとき呆気にとられた。
まさかそのような相手がいるとは思っていなかった。
昼間立ち寄ったギルドで勇者宛ての手紙を受け取った。勇者の故郷の村から届いたものだった。手紙を渡した時、勇者は頬を緩ませ笑みを浮かべた。それを珍しく思ったのは私だけではなかったようで、魔導騎士や僧侶が勇者を問い詰めた。
勇者の幼馴染みはソフィーというらしい。
ソフィーの話を一通り聞き出した魔導騎士は惚気かよと吐き捨て、僧侶は目を輝かせて羨ましがった。二人が騒いだおかげで、私が失恋したことには気付かれなかったことが何よりだ。
野宿にもすっかり慣れた。元よりどのような環境でも生き抜くように教育されている。旅の仲間が思うほどこの国の姫は柔ではないのだ。
当初は特別に気を遣われていたが数日も経てば、見張り番を任せられるほどには信用を得ていた。皆が寝静まっているのを確認し、少し離れた所で笛を吹いた。訓練されている者にしか聞こえない特別な笛だ。
すぐに人影が現れる。
「頼みたいことがある。」
「なんなりと。」
「勇者の故郷、シイナ村のソフィーという娘を護衛してほしい。信用されろ。顔見知り程度で構わん。」
「その娘がなにか?」
「さしずめ勇者の泣き所といったところか。人質にでもとられたら面倒だ。」
「御意。」
これでとりあえずは安心だ。勇者といえど所詮村人に過ぎない。自分に大切ものがあることがどのようなことかあまり意識していないらしい。
それから季節が4つほど巡り旅を続け、やがて魔王を打ち倒した。
魔王の脅威に怯えていた人々も、時が経つにつれ、平和が戻ってきたことを実感したらしい。城下町は毎日お祭り騒ぎだ。
道化師が事細かに街の様子を語る。それを聞きながら自室の窓から街を眺めていると、部屋の前が騒がしい。やがて兵の制止を遮って勢いよく扉を開けて入ってきたのは勇者だった。
「姫!今日という今日は説明してください!これはどういうことですか!」
勇者の手には城下町で有名な三流ゴシップ誌がある。ほとんどの記事はデマと妄想の産物だがごく稀にピシャリと当ててのけることもあるから、読者は多い。
「…まぁ。今日はいよいよ婚約ね。王族相手になかなかやるわね。」
ゴシップ誌には「勇者と姫、婚約秒読み!?」と書いてある。
勇者は青筋を立てて怒り狂っている。魔王を倒しただけある勇者の激怒はひどく恐ろしい。
「一昨日は買い物デート、昨日はお泊まり、だったかしら?」
「はい。姫様。城下では勇者様は専ら手が早い、さすが勇者、と評判の御様子です。」
道化師が合いの手を入れた。
「一昨日も昨日も明らかに合成と遠近法を利用した写真でしたから我慢しましたけど!今日のこれ、ココ!この王宮関係者Dってこれあんたですよね!?」
そういって道化師に詰め寄る勇者。
何でも今回の情報源はさる王宮関係者Dらしい。道化師はアワアワとした顔をしているがわざとらしい。
わざとらしい道化師と知らぬふりを続ける私に、勇者はいっそ人間をやめたのかと思わせる顔になった。
「…姫様?」
地獄の鬼とやらも裸足で逃げ出すに違いない。
これ以上は純粋に身の危険だ。
「はいはい、ごめんなさい。全くゴシップ誌なんか皆面白がってるだけ。気にするだけムダだわ。」
「何が面白いもんですか!傷付く人間だっているのですよ!」
肩を怒らせる勇者に、合点が行った。
「…なるほど。ソフィーさんの耳に入ってしまったと…」
「そうです!あろうことかソフィーは記事を信じて…!身を引くと…!人を傷つける記事の何が面白いものか!」
ゴシップ記事に対し怒りを爆発させる勇者に、思わず本音が漏れてしまった。
「…羨ましい。」
「何が!」
誤魔化すことも考えたが、勇者の怒りを逸らすため本当のことを話した。
「…私がもっと幼い頃、ゴシップ誌に色々書かれたわ。まだまだ幼子の私にできるはずもないのに貴族に色気仕掛けをしたとか、教皇様に身体で取り入ったとか。私の存在を面白く思わない者たちの腹いせだったけれど…、誰もそのように怒ってはくれなかった。ニヤニヤと笑うばかり。」
つらつらと話すと、勇者は自身の怒りを収め、私に同情を示した。
「なんとひどいっ!姫にそのようなことを!どこの誰です?懲らしめてきます!」
全く。チョロい男だ。こういう男だからこそ、好きになったのだけれど。
「もう時効よ。気にしてないわ。…それでソフィーさんは?」
「…置き手紙が。」
肩を落とす勇者。
道化師に視線をやると心得たとばかりに頷いた。
「ソフィーさんなら、今は隣国に向かって街道を歩いているところです。偶然居合わせた大工のイルが一緒にいるので身の危険はないでしょう。」
道化師の言葉に勇者はポカンとした顔をした。
「は?なに?なんで知ってる?というか大工のイルって誰です?そいつ。」
道化師の視線に首肯を返した。少なくとも魔王の脅威はなくなった。人間相手ならば手の打ちようはあるし、もういいだろう。
「姫様の命令によりソフィーさんには魔王討伐の旅の頃より護衛がついています。イルは大工に扮した影の者です。ソフィーさんとは顔見知り程度でありながら信頼関係を築いているので今回も同行が可能でした。」
道化師の言葉を理解したのか、勇者はがっくりと膝をついた。
「…はぁ。もう王族様のそういうところがついていけませんよ。」
「あらあら。こちらが勝手にやったこととはいえ感謝していただきたいわぁ。貴方、自身の存在を軽く考えすぎよ。大切なものはきちんと守らないと、傷付くのは大切な人だわ。」
事実、魔王の手先が何度かソフィーに接触を図ろうとしていた。勇者が加護を施していたようで大事には至らなかったけれど、人間相手には効かない。勇者が魔王を倒して帰還してから、勇者を手に入れたい各国の者がソフィーの元を訪れていることは確認済みだ。幸いソフィーは聡明な娘だ。いや、だからこそ勇者には何も言わないのかもしれないが。
「…ともかく早く迎えに行って差し上げたら?逃げられるわよ。」
勇者を部屋から追い出す。勇者は恩に着ます、そう頭を下げて出ていった。
「…なかなか良い記事だと思うんだけど。」
「ええ。この記者は文才がありますね。劇作家でもやらせましょうか。」
「…はぁ。まさか彼女が真に受けるとは思わなかった。勇者を怒らせてしまった…」
「姫様…」
「噂なんかに乗った罰か。勇者もこの記事は気に入らないって。傷付く資格もないのに馬鹿みたいだ。」
後日、勇者よりソフィーと婚約したという報告を受けた。性懲りもなく痛む胸に、我ながら心底腹立たしい。