Action.16 この世界は、少年の『好き』を許さない
ヒロヤ君の通う小学校にはすぐに到着した。
私があの場所に駆けつけるまでの時間を考えれば当然の事だけど、あまり遠くないってのもまた怖くはある。
学校に着いた頃に「もう降ろして」と言われたので、今はヒロヤ君が先導してくれている形だ。
砂場のあるグラウンド、下駄箱に並ぶちっこい運動靴、壁のいささか低い位置に張られたプリント達……。
普段であれば懐かしい気持ちになったのかもしれないそれらを、今は横目にただ屋上へと向かっていく。
いつもは閉鎖されている、小学校の屋上。
それが今日は『せいかつ』の授業で、特別に屋上から見える町の様子を観察しましょう、という事だったらしい。
「気になるところを見つけたら、紙に書いていくんだよ」
「へぇ〜」
そう説明してくれたヒロヤ君はちょっぴり楽しそう。
でもその気持ちは分かるなぁ。普段入れない所って、なんだか無性にワクワクするし。
なんて。
そんなたわいもない話も段々と聞けるようになって来て、私は内心すごくホッとした。
見慣れた場所に帰ってきて、少しは安心できたのかな。
――ショゴスによる長距離砲撃。一度ならず二度ともなれば、ヒロヤ君も自分が狙われている事を察してしまったと思う。
あの時は私も必死で、何が起きているのか、見定めるのが最善だと考えていたけど……。
やっぱり怖い目に合わせちゃったから、落ち着いてくれたのは良かったな。
◾️
階段を上がり三階から続く扉を開くと、白いタイルが敷き詰められた屋上にたどり着いた。
私の肩くらいまである、金網に取り囲まれた空間。
そこには、この次元に取り残されてしまった子ども達四人の姿があった。
みんな金網の淵に集まって遠くを見ている。
何を見ているかは明白だ。
男の子三人に、女の子が一人。
急に人が消えてしまった今の状況でもしもケガなんてしていたら、という不安はどうやら杞憂に終わったみたい。
人間が負った傷は、建物のようには直らない。
『怪我をした』と記憶は擦り合わされてしまうから、どうしても気掛かりだったんだ。
「あっ!」
扉が開いた音に気付いた一人の男の子が声をあげてこちらを指差し、次の瞬間には四人全員、ダダッ! っと私達に向かって走り寄って来た。
「ヒロヤ君だ、どこ行ってたんだよー?」
「おねえさんだぁれ? 変なかっこう」
「あっち、スゴイよ! まっくろい山がおうちの所に生えてる!」
「先生、いなくなって。どうしよう……」
そしてみんな一斉に口を開き始める。
「お、おぉ……。どうどう。待って――みんな、ちょっと落ち着いて」
我先にと迫る子ども達に押されながらも、なんとか宥めて大人しくなってもらう。
ちょっと、みんな元気良すぎじゃない? もっとこう、怯えているんじゃないかと思ってたんだけどな……。
この状況を本気で怖がってそうなのは、気弱そうな男の子一人だけだ。
その子の肩をポンポンと叩き安心して、と声をかける。
「ヒロヤ君、授業中どっかいっちゃダメなんだよ」
「うん……でも『アイツ』、早くしないとみんなにイジメられちゃうかもしれないから、逃げろって言おうと思って」
隣では、ヒロヤ君が一人の男の子とそんなやり取りをしているのが耳に入った。
――イジメられる。逃げろ……。それがさっき言っていた、「おはなし」……?
その言葉を頭の中で反芻する前に、私自身にも別の子の追及が飛んできた。
「ねーねー、おねえさん。その変なかっこうコスプレでしょっ。わたし知ってるよ」
そう言って来たのは、くるくると巻いたツーサイドアップの黒髪がかわいらしい女の子。
さっきも私の見た目に突っ込んできた子だ。
勝ち気そうな瞳はなんだかすごい自信に満ちている。
「ああ、えっと、これはコスプレじゃないよ」
「うそだぁっ! だったらそのへんな服なに?」
「変……かぁ。これはその、作業着っていうか……うん。勝負服ってやつかな?」
うぅ。
今までは意識してこなかったけど、私、お腹を出す服とか普段全く着ないもんなぁ。
纏う装甲以上に、肌色部分の方が個人的には指摘されると恥ずかしい、かもしれない。
「勝負服ぅ?」
「そ、そうだよー」
なんとか笑みを作ってそう答える。
当てが外れてしまった為か、あるいは信じていないのか、女の子は目を細めて不満げだ。
いやぁ、そんな目をされても……困っちゃうな。
《沙月、これ以上時間を無駄には出来ません。ヒロヤ少年は無事送り届けました。直ちに戦闘に戻るべきです》
(うんっ、そうだね)
ベルの声にはっとしてから、私は小声でそう返す。
危ない! 子ども達のペースに完全に気圧されてしまっていた。
元々ここまで来たのはみんなの無事を確かめる為。
――魔力で編まれた鎧であるスヴェルギアには、いくつもの魔術式があらかじめ組み込まれている。
魔力防壁や接続など、ギアの機能は全てが機械的に制御された魔術。
そしてその気になれば、治癒魔術だって簡単なものを扱う事が出来るんだ。
万が一ケガ人がいれば、って感じだったけど幸い使う必要はなさそうだし、ならもうここにとどまる理由は無い。
まだ敵の攻略法すら掴めてないんだ。のんびりなんてしていられないのに……。
元気そうな子ども達を前に、ほんの一瞬緩んでしまっていた気を引き締め直す。
「ごめんねっ、おねえさんもう行かなくちゃ! ヒロヤ君も、もう一人で外いっちゃダメだよ! みんなもここから動かないでねー!」
声を張り上げたのは、再び金網に戻っていった子が一人いたから。きっとショゴスの事を見ているんだと思う。
最初の子とまだ何事か話しているヒロヤ君には特別に釘を刺したし、私は屋上を後に――
「ねぇーー‼︎ みんなこっち来て‼︎ アレ、すごいよー‼︎」
する前に、外を見ていた子が大声で叫んだ。
――『アレ』って、ショゴスだよね。何か動きが? いや、でも今近くに人は居ないはずなのに。
行動を起こすタイミングで乱されてしまった思考は上手くまとまらず、とりあえずその子の所へ行ってみる事にした。
「何か、あったの?」
やがてその場にいた全員が、なんだなんだと集まって来て揃って外へと目を向けた。
この辺りに学校より背の高い建物は無く、ショゴスはどの建物より巨大だ。
その姿ははっきりと見えた。
漆黒の巨体は、さっきの形から再び変化を遂げていた。
今度の姿はまるで黒いイソギンチャク。
丸い身体のあちこちから、いくつもの長い触手が伸び、ゆらゆらと揺れている。
「ねー、いま急に伸びたんだよ」
「……あそこ、ボクん家あるのに、おかあさん、大丈夫かな……」
「ぐねぐねしてる。へんなの」
「おねえさんは、アレ知ってるの?」
「……」
みんなの言葉は聞こえていたけど、私にはそれに答えるだけの余裕はなかった。
考える。
――あの姿、あの鞭のような触手がなんの為のものかは、さすがの私でも予想はつく。
サイズは全然違えども、似たような形は前回の戦いで見たから。
……だとすれば、何故。
なんでこのタイミングで、そんな攻撃的な姿になるの?
そんな疑問が頭に浮かんだ時――。
ゆらりと揺れていた触腕のひとつが振るわれた。
地面を叩くように上から、下へ。
遥か遠くで行われたその動作は、なんだかゆっくりに見えて現実味がない。
やがて叩きつけられた地面からは爆発的に土煙が上がる。冗談みたいに家が、道路が、バラバラになって宙を舞う。
そして。
――――ドドォォォ…………ンッ‼︎‼︎‼︎‼︎
一瞬遅れてやってきた、自分達の立っている校舎そのものを揺さぶる轟音に、欠けていた現実感は一気に襲い掛かってきた。
「うわぁぁぁっ‼︎」「きゃあぁっ!」「ひっ……」「あぁっ‼︎‼︎」「――――ッ‼︎」
悲鳴をあげる子、声も出ない子、みんな同時にしゃがみ込む。
その間にも、身を震わせる程の音は繰り返された。
何度も何度も、間断なく、黒い触腕を振り下ろし続け、めくれ上がったアスファルトと飛び散る家の木材をその巨体に浴びながら、ひたすら身の竦む轟音を響かせ続ける。
子ども達からは、さっきまでの元気は一瞬で消え失せてしまい、みんな目を見開いて黙りこくってしまう。
――一人がついに泣き声を上げると、連鎖するようにみな一斉に泣き出してしまった。
「ひ、ひぐっ……わぁぁぁああっ」
「み、みんな大丈夫! おねえさんが居るから」
「うぁぁぁぁっ……‼︎……うぁぁぁんっ……‼︎」
空気は一変し、恐怖と不安に飲み込まれてしまった子ども達はもはやパニック状態で、大きな声で叫ぶ私の声も届かない。
自分の身体を抱き締める子、私の脚に縋りついてくる子……。
子ども達をなんとか落ち着かせようとしながら、気がついた。
一人だけ、泣いていない子がいる。
ヒロヤ君だ。
彼は荒れ狂う怪物をじっと見つめていた。
金網に掛けた指は真っ白になるまで力が込められていて、何かをこらえるようにギュッと口を引き結んでいる。
そしてポツリと呟いた。
「やっぱり、そうなんだ」
絞り出された言葉は、轟音と悲鳴に紛れてとても小さく、意識を向けていなければきっと聞き取れなかったはずだ。
「ヒロヤ君?」
私の呼びかけにゆっくりとこちらを向いたその顔はとても辛そうで……。
やがて、意を決したように話し始めた。
「おねえさん……ごめんなさい。ぼく、怪獣が好きでした」
唐突に、ヒロヤ君はそう言った。
まるで自分がずっと悪い事をしてきたと白状するかのような、敬語。
「ごめん、なさい……?」
謝罪の意味が分からない私は戸惑い、彼の言葉を繰り返してしまう。
「うわぁぁん、ボクの家がぁっ! うぅ、おかあさぁん……!」
しゃがみ込んだまま泣いている子の叫びが横から聞こえ、ヒロヤ君は肩を震わせる。
その瞳には、いつからか滲むような涙が浮かんでいた。
「みんながっ、合ってた。怪獣を好きになっちゃダメだったのに。ぼく、好きで、カッコいいのにみんなが変だっていうから、ホンモノに会ってみたいって思って……でもアイツ、ぼく達の住んでるところ壊すのに……ぅ……」
「ヒロヤ、君……」
「アイツと……いっしょだ。ザウルゴーンも、町を、壊してたのに、ぼくずっと好きって言ってて……」
思った事がそのまま出て来てしまっているようなヒロヤ君の言葉。
苦しそうに、自分の抱いてきた『間違い』を、ついさっき気づいた自分が『悪い』、という事を、途切れ途切れに紡いでいく。
「ごめんなさい、ぼく、知らなくて。怪獣、来ちゃダメなのに……会いたいって思って」
……ヴォイドと『ウルティマ・ガイ』に出てくる怪獣は、当然おんなじ存在じゃない。
例え恐ろしさの象徴であっても、理不尽な暴力の体現者でも。
ヒーローショーで出会えたら、時には握手に応じてくれて、一緒に写真に入ってくれる。
私達の世界の怪獣は、そんな存在でもあるんだから。
――でもそれは、大人だから解る事だ。
『やっぱり、そうなんだ』
ヒロヤ君が前から悩んでいたのは、知っていた。
日曜日、公園で会ったあの日にはもう、周りに理解してくれる人が居ない中で、彼は独り俯いていたんだ。
あの日の私はほんの少しだけ、この子の力になれた気がしていた。
決して、単なる錯覚では無かったはずだと信じたい。
ヒロヤ君は、楽しそうにお話ししてくれて、最後には私に笑顔を向けて、「またね」って、言ってくれたんだ。
きっと、その後もこの子は、悩んで――。
「怪獣を、好きって、言って…………。ごめん、なさぃ……」
今日。
誰の記憶にも残らない次元の中で。
町を壊す怪獣を自分の目で見てしまった彼がたどり着いた、『好きだったもの』に対する結論を後悔するよう私に告げた。