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その4

 歌舞伎町の喫茶店での騒動のあった一時間後、志賀公輔は千代田区永田町にいた。

 日本連邦政府内閣総理大臣官邸の四階にある報道官室の会議テーブルに着いた彼。背負っていたリュックサックからラップトップターミナルを取り出し、電源を入れ認証を済ませると室内のみに限定されている無線LANにより各種情報が端末に集まる。

 内閣報道官室は、内閣官房に設置された広報広聴部門をかねており、旧来の内閣広報官と情報官を兼ねた役職であり、広報に携わる広範な情報収集も任務としている。

 しかし、以前の広報官との最大の違いは報道官室の長は官房副長官がその任にあたることだろう。

 それだけ日本連邦政府において広報は重視されていた。

 施設としての報道官室は、総理大臣官邸に存在する電波遮断室の一つであり、公輔も室内に入らなければアクセスできない。

 逆に言えば、室内に入れば事務官達が収集した全世界の情勢を網羅したデータベースにアクセスできる。それを流し読みしながら、記者会見のためのメモを作成していく。さらに補足資料の収集を事務官に要請したり、あるいは自分よりも上級の誰に話を通すか、それぞれ相手のスケジュールに目を通しながら決めていく。

 朝一番の彼の日課である。

「おはよう。今朝も早いわね」

 ドアが開き姿を見せたのは、クリーム色のサマーセーターに紺色のジャケットを羽織った四十代を迎えたばかりの女性。少し無造作な感じにしたボブカットにした、一見年不相応な髪形はしかし、彼女の人好きのする可愛らしい目鼻立ちをより魅力的にしていた。

「おはようございます、報道官」

 立ち上がって挨拶する公輔に、報道官――白石順子(しらいしよりこ)は苦笑いを浮かべた。

 怪訝な顔の公輔。

「なんですか?」

「いいえ。いつもは長官相手でも言いたい放題の君も、こういう時は完璧な態度だよね、と思って」

「そんなに私って横柄ですか?」

「二十六の任官されたばかりの報道官補の割には、物怖じしていないよ」

 白石はテーブルに着き、公輔もそれに倣う。

「はあ……。気を付けます」

「ごめんね。言い方が悪かったね。総理も長官も気にしてないから大丈夫よ。――ほんとはね、みんな感謝してるよ。君が痛いところを突いてくれるからね」

「なら、これからもずけずけ行かせてもらいますよ、順子さん」

 笑みを浮かべる有能な若き報道官補に、白石もにやりと返す。

「いいよ。かかってきなさい、公輔くん」

 端末を開く白石と、自分の席に戻る公輔。二人は互いの端末に集められた膨大な情報の吟味を始めた。

 報道官は、内閣官房における官房長官に次ぐスポークスマンであり、総理大臣補佐官を兼ねる対報道機関戦略の責任者である。

 クーデター以前にも広報官という役職は存在したが、それは一部大手マスコミの主催する記者クラブの存在を前提としていた。記者クラブはその排他性と通信社性が報道の在り方を歪めていると、クーデター政府は断じており、日本国内の全公共機関の記者会見をオープン化することを決めた。同時に政府認定の記者証を発行するための報道記者法が制定され、記者証を持った記者ならば全官公庁の記者会見に参加できるようにし、記者認定機関の設置と記者クラブの廃止が二〇一四年度から始まった。

 記者の参加が自由になるということは、それだけ記者会見で予想外の爆弾質問が飛び交う危険性が増すということだ。記者会見の応対ひとつで政権に打撃を与えることにもなりかねない。

 報道官はその対応のため、広報ならびに広報に必要とされるあらゆる情報を収集する権能を与えられた。

 しかも、二〇五二年のこの年は国会会期後に連邦上院と下院の半数を同時に改選する六年に一度の総選挙が予定されているため、なおのことその役目は重視されていた。

 白石は、そうした情報に関わるあらゆる危機に対応するための閣僚の質疑応答案を作成したり、危険度の高いトピックを避けるように話題を誘導するなどの戦略を構築すること任務としている。

 そのために二人の報道官補と情報収集官五名、事務官十名、そして連邦政府全機関に対する情報提供命令発動権限が与えられている。

 それによって得られた情報から内閣官房が週四日実施する定例記者会見の実施要綱をまとめるのが、彼らの今の職務である。

「農林水産省が今年の全農産物の作付予想を発表するそうです。予想指数は八十八。気象庁が冷夏の予報を出したからだそうですが、農林関連株への影響は悪いと思います」

「作付予想指数って元々は、一年通して農業全体の生産のしにくさ?……みたいなものを数字にしたものだよね?実際の生産量そのものじゃないよね?」

「はい。農業生産者に対する予報みたいなものです。実際、作付予想が六十台でも前年比プラスの生産量になった年もあります。農水省が今年低めに設定したのは、去年の生産量が一昨年に比べて三割も増えたから、という理由もありそうです。供給過剰をおそれているのでは?」

「土壌の安定、水源の確保も全て問題無いね。農水の官房には?」

「水口報道官とのミーティングを要請したいと思います」

「分かった。よろしくね。――この金融庁の特別監査ってなんのこと?聞いてる?」

「ここ四年くらい定期監査から外れていた大阪の中堅金融機関で過剰な取り立てがあったとかで、大阪監査室に提訴があったらしいです。三ヶ月から半年の繰り上げ返済を執拗に迫られたとか」

「帳尻合わせをしようとしたのかな?それはよくないね。内閣官房(うち)として各金融機関に牽制しておくべきだと思う?」

「これはスルーした方がいいのでは?また調査は完了してないそうですけどし、株主総会前の妨害の線もありますし」

「そっか。そろそろ総会シーズンか」

「はい。あの手この手色々あります。予測から憶測まで。迂闊なことを言って、相手に捻じ曲げられる恐れもあります」

「それはまずいね。なら、通達リスト行きね。質問されても、現在金融庁の調査待ちですってはっきり言うべきだね。調査が終わるまでは答えられないと。他に言うことは?」

「調査は常に公平にすべきです。とか、言ってみます?順子さんの素敵な笑顔付きで……」

「サービスはオプションだよ」

「ですね」

「ん?なら、あとは定例報告の吟味かしら」

 白石が新たな議案に取りかかろうとしたとき、報道官室の扉が開き、二人の男が入って来た。

 それを認め、素早く立ち上がる公輔と白石。

「おはようございます、長官。長妻補佐官」

「おはようさん」

 軽妙な関西弁で挨拶を返すのは、しかしその口振りとは正反対にビシッとストライプの入ったグレーのスーツを身に纏い、鮮やかなブルーのネクタイで引き締めた四十代後半の長身の男。百八十五センチの公輔とほとんど同じ背丈でいくぶん細身だが、その面立ちは柔らかく、まるで映画俳優のように整っている。硬派な印象を与える公輔とは異なった華やかな色男。

 それが日本連邦政府前園龍内閣の官房長官、嶋本晃(しまもとあきら)だった。

「なんや、梶くんおらんの?」

「梶さんは西太平洋宇宙開発機構(WAXA)の本部です。帰りは今晩になるとのことです」

 公輔と同じ報道官補を務める、国家公務員上がりの梶新太(かじあらた)のことだ。

 日中韓豪そしてASEANの軍事経済共同体――西太平洋機構の航空宇宙開発を担うWAXAの深宇宙有人探査計画――MANDARAにおける対外折衝のため西室剛(にしむろつよし)文科大臣、安中利一(やすなかとしかず)外務副委員長とともに、梶もジャカルタへと赴いていた。

「わざわざ官房の報道官補が行く必要あったんか?」

「梶くんは、技術分野に関しては凝り性ですから。――それよりも今日は何故、補佐官が?」

 嶋本のあけすけな言葉に苦笑いの白石は、すぐに長官が伴なって来た人物に話を向ける。

 いかつい角刈りに分厚い胸板。背は百七十台半ばながら、この場の誰よりも大きいと感じさせる密度を持つのは、長妻善次(ながつまよしつぐ)安全保障担当総理大臣補佐官である。内閣安全保障庁長官も兼任する彼は、元機動展開軍北海道混成団参謀を務めた元軍人だ。

「内密に耳に入れておきたいことがございまして」

 見かけどおりの堅実な語り口に、白石も僅かに表情を強張らせた。

「ま、その件は追々な。ほな、今日の会見要綱見せてもらおか」

 着席する嶋本に三人も倣い、白石と公輔の二人によってこれまでの情報について説明がなされる。

 週四日行われる内閣官房の記者会見は、報道官、報道官補、そして官房長官によって分担されている。当然、最上位の長官が最高責任者であるが、報道官室にわざわざ足を運ぶ官房長官も珍しい。

 もちろん、嶋本が不在のときは前園総理に直接顔合わせする必要もあるのだが、そういうときはこの報道官室には担当官房副長官の古川正猛(ふるかわまさたけ)が現れ、その後総理執務室で対応している。

 しかしこの異例の官房長官は、都内にいる限り毎朝この会合に出席している。

「おおきに。平常対応はそれでええよ。――ほな、安全保障(あんぽ)の話やな」

 いくつかの案件にゴーサインを出した後の嶋本は、長妻に話を振った。

「は。説明させていただきます。――実は、湾岸軍の司令長官人事が難航しているという情報があります」

 端的な言葉だったが、それはあまりにも大きな問題だった。

 日本連邦はその名称通り連邦制である。しかも、かつての中央集権体制の反動か、アメリカ合衆国と同等かそれ以上に分権が進んでいる。四十五府県に独自の行政権、一部の立法権と外交権、さらに軍事統制権が認められている。

 しかし、地方自治体独自にその力を行使することは困難で、そのために誕生したのが州である。

 現在、七州が府県同の隣保同盟として結成され、それぞれが旧陸海空自衛隊の戦力を継承した州軍を有している。

 湾岸軍とは湾岸州――千葉、神奈川、静岡、山梨、長野、ベイランドシティ特別区と小笠原諸島の全領域に駐屯する軍であり、内閣総理大臣直属の機動展開軍に次ぐ規模と装備を有し、日本国防連合クーデターに参加した部隊中心で編成されていたり、八軍中最も早く誕生したりと最長の伝統を持つ。

「人事が難航?どういうことですか?」

 問いかけたのは白石。

「司令長官の候補となっているのは、司堂猛(しどうたける)中将です。しかし、この人事に千葉とベイランドシティの両知事が反対しているそうです」

「その司堂さんというのは、どういう方なのですか?」

「防大六十一期卒で第一特科連隊から……」

「申し訳ないんですが、長妻補佐官」

 長妻の説明を遮った公輔。

「なんでしょう?」

 一見表情に変化は無いようだが、僅かばかりの強張りを見て取った公輔は申し訳なさそうに言った。

「報道官は連邦軍の部隊に関しては疎いので、出来るだけおおまかな流れにまとめてくれるとありがたいのですが」

 僅かに目を剥く長妻。微苦笑を浮かべる白石。

「別に気にしないでください。話を聞くのも仕事のうちですよ。どうも、この志賀くんはせっかちなところがありまして」

「はあ……」

「私のせいですか?」

「そうだよ。君が余計なこと言うから、長妻さん困ってるじゃない」

「私はですね……」

 いきなり泥仕合を始めた報道官室メンバーの二人。ぽかんとしてしまう長妻。

「気にせんでええよ。こいつら、いつもこうなんや」

「はあ……」

 フォローになっていない官房長官のフォロー。

 余計困惑する安全保障長官。

「もういいよ。この決着はあとでね、志賀くん。――それで長妻さん。どうしてその司堂さんは司令官への就任を反対されているのでしょうか?」

 正しくは司令長官なのだが、白石の専門外であることを考え訂正することはなかった。何気に公輔のフォローは利いていたのである。

「はい。司堂中将は国防委員でしたが、その前は防衛省の情報本部長をしていました」

「情報本部?素人考えなのですが、情報収集組織の者が実戦部隊の司令官になることはあるものなのですか?」

「多くはないですが、あり得ないことではありません。特に州軍司令ともなれば実際の戦闘の指揮よりも情報や渉外の役割も多いですから、一概に実戦部隊上がりの者が適任というわけでもありません」

 一瞬考え込む白石。だが、すぐに口を開く。

「情報本部ということは防衛省の人ですよね?連邦政府の人が急に州軍の司令官になるのでしょうか?」

「いいえ。急ではありません。司堂は元々は湾岸軍の士官です」

「つまり、防衛省に出向していて戻って来たということですね?どうして反対するのでしょう?」

「報道官。州軍は基本的には独立組織です。お互いの協力関係や人材交流はありますが……。一方で情報本部は連邦政府のための機関です」

 注釈を付けたのは公輔だった。安全保障担当としておおっぴらには口に出来ない日本連邦国防軍の内実を、彼は臆することなく言い放った。強張る長妻や嶋本の前でも平然とこういうことを口にする彼に対する白石の評価は、やはり妥当だろう。

「つまり、司堂さんは出戻りというよりは、連邦政府の人間として湾岸軍にやって来たってことかな?――もしかして、楯絡みですか?」

 長妻は白石の理解の速さにしっかりと頷くことで返した。

 二年前の衝撃の事件を知らない者は、この場にはいない。

 二〇五〇年一月。前国防委員長、吉岡雷太(よしおからいた)元帥暗殺。それを行なったのは、吉岡元帥が立案し育て上げた特殊潜行暗殺部隊――楯――その行動隊長小野澤翔平元少佐。

 二時間余り続いた市街地での激しい銃撃戦。軍、警察、民間人合わせて五十名あまりもの死傷者を出した事件は鎮圧されたが、それにより明るみになったのが楯という人種の存在だった。

 “たった一発の銃弾で、国家と国民の楯となる”兵士達――それは遺伝子操作された年端もいかない若者達のことだった。敵地に単独で潜入し、敵首脳部を破壊、脱出する。そうして戦乱を未然に防ぐためにあらゆる戦闘技術と知識を詰め込まれた彼らは、生身で戦車を破壊する能力さえ持ち合わせるというマンガのような話は、しかし軍関係者はこぞってそれが事実だったと証言した。

 また、二〇四七年九月に東京湾全域に流された特別非常事態宣言は、報道されたテロ組織による無差別大量殺戮兵器の作動によるものではなく、この楯が叛乱を起こしたことが原因だったということまで暴露されたのである。

 二〇五二年の前園内閣は、この二〇五〇年の楯騒動を収拾できず瓦解した連立政権と入れ替わるように誕生した、野党勢力が結集した連立政権である。

 また、湾岸州の六人知事のうち四人は交代する羽目になったり、国会での議論が紛糾したこともあった。

 それほどまでに楯という存在は、政治的にデリケートな問題だ。

 それをふまえ、白石はようやく話の肝にたどり着いた。

「長妻さん。本当のことを仰って下さいね」

 それまで柔和だった表情を改めた白石。それはどことなく犯罪者を追い詰める尋問官の様相を呈していた。

「私は隠し立てするつもりはありませんが」

 真っ向から見返す長妻。対して、白石は爆弾を躊躇することなく投下した。

「司堂将軍は、防衛省による湾岸軍に対するテコ入れですね?」

 現実の行政と架空の世界の行政の作り方の違いを調べ、文章にし、それゆえに発生する問題の数々、そこに生きて戦う人達の姿……。


 楽しくも苦しい約2週間がこの回と次の回に凝縮しています。

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