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一章

…ねぇ.....なんで?なんで勝手に….なんで何も言わずに死んじゃったの?

〈1章〉


「ねぇ!桜ちゃん…だったよね!?」


教室の隅。

柔らかい春風が、身の丈に合わないランドセルを連れた青葉を包み込む。

教室はヒノキの匂いと子供達の期待で満ちていた。


「私と一緒に、スケートやらない?」


内気な性格で、友達が出来るか不安だった。

だからこそ、昨日何度も話す練習をした。

色んなフレーズで、仲良くなるイメージを膨らませた。

そんな彼女が、初めて友達に向けた言葉は

そのどれでもなかった。


「….なんで?」


—————————————


「最初は、ペンギンさんみたいに歩く練習からするんだよ?壁にしっかり捕まって、ゆっくりゆっくり….」


冷たい風が地面から顔を覗かせる。

初めて氷の上に乗り、恐怖と後悔に顔を滲ませる桜を、水月はまるで天使のような笑顔で

教え込んでいた。


小刻みに震える足が少しずつ動く。

その姿はペンギンというより小鹿に近かった。

一歩進めば、少し後退する。

分速0.5メートルほどのスピードで桜はゆっくりスケートリンクの外側を歩いていた。


「すごいすごい!じょーず!」


桜が少し進む度に、水月はまるで自分の事のように跳ねて喜ぶ。

そんなやりとりをもう既に20回は繰り返している。


直後、1人の少年がスピードを出しながら

桜の横を通り過ぎていった。

冷たい風がまるで針のように桜を襲う。


「…ッ!」


世界が揺れ動いた。

言葉を発する間もなく氷の上に叩きつけられる。

少し遅れて身体全体に響き渡るような痛みが襲う。

桜の目尻に涙が浮かんだ。

それと対照的に、水月は嬉しそうに笑っている


「大丈夫?ほら、立てそう?」


桜は差し出された手を眺めながら呟いた


「…なんで、私を誘ったの?」


「だって、私下手っぴだし、水月ちゃん1人でやってた方がきっと楽しいのに…」


言葉がスラスラと口から出ていく。

桜は顔を俯かせ、まるで人生を懸けた問いのような緊張した面持ちで答えを待った。

水月は少し考え込んでから言う


「友達だから!」


桜は驚いたような、それでいて少し謙遜するような顔を動かす。


「ほら、行こ!」


水月が伸ばした手を、桜はそっと掴んだ。

今まで氷に手をついていたからだろうか。

水月の手は、とても暖かかった。


—————————————


「桜ぁー。宿題ってどこまでやった?」


夏のある日、スケートリンクが2人の少女の影を写した。

窓から漏れる赤い光が、そっと2人を見守っている。


「んーワーク系は大体終わったかな...あと自由研究とかが残ってる。水月ちゃんは?」


心地よい音を立てながらスケートリンクの氷が削られていく。

冷たい風が頬をなぞっていく感覚。


「私全然なんだよぉ....お母さんにバレたら来れなくなっちゃう...最近高くなったらしいじゃん?」


「あぁ私も今日言われた。3年生からは金額上がるんだってね。もし良かったら宿題手伝おうか?」


桜がほんの少し前に出る。

減速しながら、もう一度速度を合わせる。


「えっマジで神!作文とか訳わかんなすぎて全然やる気出なかったから、助かった!」


「あー自分にとっての宝物...だったっけ?」


「そうそれ!何も思いつかなくってさぁ...

ねぇ、桜はなんで書いたの?」


なんて事ない問い。

特に何が起きたわけでもない、雑談の一幕。

だが、水月はこの答えを忘れる事は無かった。


—————————————


「浅野水月さん。お願いします。」


「はい!」


観客のいないスケートリンクに

冷たい声が響く。

舞台は4級バッジテスト。中学校進学を控えた

水月にとって、スケートを続ける為に必要不可欠な資格の一つ。


静寂が体を押し付けていく。

その光景を水月のコーチと桜が見守っていた。


練習を重ねた曲が、スケートリンクに響く。

拍手も歓声もないスケーティングが始まった。


水月がゆっくりと動き出す。

スケーティング技術は目を見張るほどに成長し、その優雅な動きに無駄は感じられなかった。


1回目のジャンプが近づく。

ダブルトーループ。桜から何度も指摘を受けたジャンプの一つであり、今や水月の最も得意とするジャンプでもある。


水月が加速する。手を大きく振り上げ、ジャンプを成功させる...はずだった。


....バタン..


重く鈍い音と共に、水月の体が氷に横たわる。

次の動き、タイミング、意識するポイント。


何度も何度も繰り返し反復した動きが

静かに崩れ去った。


それからは、やけに早く時間が過ぎた。

いつもは長い結果発表までの時間も

今回はやけに早かった。

そう感じた。


「浅野水月 不合格」


その言葉が重くのしかかった。


終了後のロッカールーム。

水月はいつもの練習終わりの様に

手際よく荷物をまとめた。

だが、その顔にいつもの笑顔はない。


「桜...私、スケート辞めようと思う。」


「えっ...いや、そんな、次は絶対....」


桜は慎重に言葉を選んだ。


「元々考えてたんだぁ。今回が駄目だったら...って」


桜の額に汗が噴き出す。

『嫌だ』そう言いたかった。

そんな事、言える訳がなかった。


「あんたは凄いじゃん。6級も合格して、ノービスAいけるんでしょ?

....昔は私がスケート教える側だったのにね。

......がんばって......応援してるからさ。」


震える声で、顔も見せずに去る友達の背中を

桜は触れる事が出来なかった。

何も言えなかった。何も出来なかった。


—————————————


少し長い夏が終わり、木々は焦りながら紅葉を進めている。

心地のよい気温が足をすこし軽くしてくれる様な秋。2人は制服を見に纏い、どこか大人びた雰囲気を連れていた。


「いやぁ本当に、自慢の親友だよー。

全日本ジュニア選手権、絶対観に行くから!」


「ありがとう、水月。それじゃあ補修にならないように頑張らないとだね。」


落ち葉が地面を滑る音が聞こえる。

まばらな話し声がそこら中に生まれる帰り道。

中学校になった2人は、今も変わらず共に行動している。


「大丈夫大丈夫!最悪風邪引いた事にすればいいし!」


「ちょっとダメだよ!しっかり受けない。」


「そんな、お母さんじゃ無いんだから。」


軽口を交えた会話は、あの時と同じ温度感で進んでいく。

水月が桜の顔を覗き込んだ。


「...桜、なんか体調悪い?」


桜は少し驚きながらも顔を背けた。


「あー花粉症しんどくってさ。」


「ふーん」とでも言いたげな顔を向ける。


「まぁ、なんかあったら言ってね。

約束、忘れちゃダメだよ?」


「隠し事はなしっ...でしょ?大丈夫だよ。」


その声は少し低かったのかもしれない。

それは花粉症の影響なのか、もしくは...


—————————————

『海沼桜選手、大舞台での転倒。骨折の恐れも』

『天才少女を襲う悲劇』


耳を疑う様なニュースが水月を撃ち抜いた。


水月は走りながら病院に到着する。

自動ドアが開く少しの時間も、鬱陶しく思えた。

息が荒くなる。汗で服が肌に張り付く。

そんな事気にする間もないように彼女は走った。


病室の前には、かつて自身の指導をしていた

コーチが立っている。


「コーチ!桜は!?」


少し顔を伏せながら言う


「今は、誰にも会いたくないそうだ....」


どこかで誤報だと信じていた。

なんて事ないと言いながら笑う彼女を期待していた。

そんな水月の淡い認識が打ち砕かれていく。


「...桜!桜!大丈夫なの?大丈夫...なんだよね?」


一枚のドアを隔てて水月が叫ぶ。

その向こうから、掠れた声が聞こえた。


「....ごめん、水月。.....ごめん.......ごめん.......」


水月は何も言えなかった。

その空虚な静寂が胸を裂いた。


—————————————


「.....き.....月!.....水月!あんた大丈夫?」


母の声と共に水月は目を開いた。

いや、目を開いては居たのかもしれない。

それでも何も見えなかった。


先程まで追悼を行っていた人々が次々と

去っていく。

今やこの場所も寂しくなっていた。


「...今日は帰るよ。立てる?」


「うん.....大丈夫。」


親友の遺影を一瞥し、水月は式場を後にした。

外に出るとスーツを身に纏った人が近づいてきた。


「すみませんが、インタビュー宜しいでしょうか?あなたの桜選手との関係は?」


(親友...でいられたのかな?)


桜が何も言わずに命を絶ってしまった事が

また頭を通り過ぎる。


母が一言、インタビューを拒否して水月を車に乗せた。


ほのかな芳香剤の香りと、体に染み付いた線香の香り。

車に揺られながら、水月は言葉を垂れ流すように呟いた。


「...やっと怪我が治ったのに....やっと、大好きなスケートを再開できたのに....」


母は何も答えなかった。

家に帰り、晩御飯を口に運ぶ。

普段は笑いの絶えない晩餐も、水月にとっては

作業と化していた。


部屋に戻り、眠る訳でもなくベットに倒れ込む。


「...桜、また会いたいよ。そしたら...何で1人で....何で1人でこんな事....」


出し尽くしたはずの涙が溢れ出る。


気がつけば朝になっていた。

眠っていたのかどうかも分からない。

惰性でいつものようにスマホを開く。

全ての事に何処か脱力を感じられた水月の

背中が、ドンと押される様な衝撃を受けた。


なんて事なく開いたTwitter。

その中に桜が立っていた。


スケートリンクの上、桜は真っ直ぐにカメラを見ている。

どこか懐かしい音楽と共に、一つ一つ言葉を重ねていく。


水月は言葉に出来ない感情を抱えていた。

「驚愕」「戸惑い」そして、「再会の喜び」。

それらが複雑に絡み合い、一つの答えに気付かせまいと立ち塞がる。


それでも、水月は理解した。理解させられた。

これが、桜の残した遺書である事を。


その事実が水月の心に襲いかかる


その沈んだ感情を叩き起こしたのは、桜の言葉ではなかった。


桜が怪我したと聞いた時のような、深く重い衝撃。信じられないと言う気持ちと、信じたくないと言う気持ち。


水月の目線は、その投稿のコメントに向けられていた。


『わんちゃん他殺じゃね?』

『こんな事する意味が分からん。結局承認欲求。』

『おいおいミステリー始まったか?』


桜を悼むコメントが隠れる程の「邪気なき悪意」が雲を下ろしていた。


水月はふと、昨日の記者を思い出していた。


他人は、いとも簡単に他人の心を踏み砕く。

桜の想い、生きた証、遺そうとした言葉。

それを理解していない。理解しようともしない他人の暴挙、その愚行に、水月はどうしようもない思いを抱く。


この気持ちを何かにぶつけたい。桜が愚弄されるのが耐えられない。


赤黒く渦を巻くその感情は、一つの決意に収束した。


「私が桜の死を解き明かす。

これは誰にも譲らない。

私以外の手で、桜を触れさせない。」


水月の追悼が幕を開けた。


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― 新着の感想 ―
一番心に残ったのは、水月と桜の深い友情です。幼い頃から支え合ってきた二人でしたが、夢や挫折、けがなどを経験する中で少しずつすれ違いが生まれ、最後には悲しい結末を迎えてしまいました。特に、桜が苦しみを誰…
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