①外崎透は酒を飲みたい
※穏便…物事をかどたてず穏やかに行うこと。またはそのさま。
※穏やか…極端でなく、人に受け入れられやすいさま。
―それは肌寒い夜だった。
アルバイトを終えてアパートに帰ってくるともう時刻は23時を回っていた。通学鞄からアパートの鍵を出しながら、今日一日を思い返す。
思えば長い一日であった。
大学は1限目から講義が入っており、全ての講義が終わったのは16時頃。受講するだけとはいえ90分の講義3本は疲れる。私の通学する大学は緩い大学で、かつ私は文系だから講義自体に特別な苦労はなかったが、逆にただ90分座っているだけというのも辛いものだ。今日は数少ない友人達も講義に出ておらず、それが疲労感に拍車をかけた。それだけに留まらず、今日はゼミもあった。
繰り返すが、我が大学は決して優秀な学生が多いわけではなく、加えて私は文系である。だから「ゼミ」といっても言葉の響きほど大げさなものでもなく、ただ10人弱の学生が研究室(これも大層な名称だ)で机を囲み、教授から課題として与えられた資料の発表を行うだけである。最初はみんな緊張していたが、大学も2年生の11月となると慣れたもので、どうすれば教授のつっこみを回避しつつ無難に説明できるか、皆コツを掴んできており、今日のゼミも波風立たずに過ぎ去った。
波風立たず。良い言葉である。
大学を出たのが17時30分ごろ。そこからアルバイトの時間である。通常はゼミの入っている水~金曜日はアルバイトを入れていないのだが、今日は他のパートさんが急に休んだとかで、少しの時間でいいから出て欲しいとの事であった。パン工場のバイトである。流れてくるパンの選別をするのが主な作業だ。作業自体は簡単なのだがあまりにも単調に過ぎるので私と一緒にはじめた友人達は「これ以上続けたらパンを嫌いになる」と嘆いてやめてしまった。私は元々パンが好きでもなかったのでかえって平常心で続けられている。
今日も延々と流れてくる茶色い物体を冷酷に選別し続けること数時間、22時近くなったところで社員さんに「お疲れ様。そろそろ帰っていいよ」と許しを貰いタイムカードを押して帰路へついた。
電車に揺られ、やっと我が家へ帰ってきた。我が家といいつつ賃貸のアパートなのだが。
通学鞄からアパートの鍵を取り出す。メールボックス(郵便受け)のダイヤルキーを回して中身を見て、何も入っていないことを確認した後、エントランスの集合玄関機へキーを差し込んで回す。機械的な音がしてエントランスのロックが外れる。我がアパートはオートロックである。マンションならともかくアパートでオートロックとは珍しいが、近頃は増えているらしい。私は2年前の大学入学と同時にこのアパートに住み始めたが、最初からオートロックが完備されていた。それまでは父母と共に一戸建ての住宅に住んでいたから、ひどく驚いたものである。
エントランスの扉を入り、階段を上っていく。上りながら首を回すと関節がコキコキと鳴る。大分こっているらしい。もう少しで自室に着く。やっと一日が終わる。今日が終われば明日は休日。何をしようかと考えながら階段を折れると。
「きゃっ」
踊り場で女性とぶつかった。
控えめだが甲高い悲鳴と、何かの落ちる音。どうやら彼女の持っているスマートホンが落ちたらしい。ということは、スマートホンを持ちながら階段を下りてきたわけだ。
歩きスマホじゃないか、と非難する気にはならない。ぶつかったのは踊り場の曲がり角だから事故みたいなものだし、考え事をしていたのはこちらも同じである。だから「大丈夫ですか」とすぐさま声に出したのは間違っていなかったのだが。
声をかける前からこちらを睨んでいたらしい女性の顔を確認して、彼女が誰かを理解した。
渡会明美。私がこの秋まで付き合っていた女性。所謂、モトカノである。
大学1年生の夏、大学から帰る電車の中で彼女と出会った。それまで同じ電車で何度か見かけた顔だったから、もしや同じ大学に通っているのではと思い、声をかけてみたのだ。勘は当たっていた。そのまま雑談しつつ帰路に着こうとすると、彼女も同じ駅で降りると言う。奇遇ですねと降りた後も話しながら歩いていると、住んでいるアパートまで同じで、二人して驚いた。
「まるで運命みたいだ」
と呟いてしまい、我ながら気持ち悪い台詞を吐いてしまったことを後悔した。しかし彼女は
「確かに、運命を感じるね」
なんて言いながら頬を染めるから、こちらもますます恥ずかしくなってしまった。
しばらくして、私たちは付き合い始めた。私は異性と付き合うのは初めてで、また彼女もそうらしかった。だからお互い、初めてのことばかりで、新鮮で、何をしても楽しかった。水族館や動物園でデートをしたり、お互いの誕生日にプレゼントを贈ったり、バレンタインデーとホワイトデーのイベントを楽しみ、戯れに合鍵を渡し合ったり、旅行にも行ったり。
その旅行が、不仲の原因だったのかもしれない。段取りが悪いだの、持ち物を忘れただのの、決定的なきっかけがあったわけではない。ただ、あれも行きたいこれも行きたいと主張する彼女と、ゆっくり過ごしたい私の主張が上手く噛み合わなかったのである。
冒険したい彼女と平穏でいたい私のすれ違い。いや、それは格好をつけた言い方かもしれない。もう少し普通の言い方をすると…何かが「起きること」を期待する彼女と、何も「起きないこと」を望む私。二人の性質の違いが、初めて表面化したのが、その旅行だった。
お互いの何かがずれ始めた…いや、そもそも出会い方がドラマチックだったに過ぎず、二人ともその惰性で付き合っていただけのような気もする。
楽しい時間はあっという間である。1年と少しの間、私たちは付き合って、そして別れた。若者らしいといえばあまりにも「らしすぎる」交際の始まりと、終わりであった。
渡会明美。私のモトカノが、今私を睨んでいる。私より頭一つ分背の低い彼女は、ショートボブに切った前髪の間から、その大きな瞳を細めて、非難するようにこちらを睨んでいる。
私は怯んだ。前方不注意はそちらじゃないか。どうせスマホにでも気をとられていたんだろう。なんて言葉が頭の中を飛び交いつつ、口からは出てこなかった。
お互い無言のまま一瞬が過ぎ。
彼女は私の横を通って、颯爽と階段を下りていった。すれ違う時、微かに舌打ちしたのを、私は聞き逃さなかった。いやむしろ、彼女はそれを私に聞かせたかったのかもしれなかった。
微かに香っていた彼女の香水の臭いが夜の空気に紛れて消えて、私はやっと体が動くようになった。階段を上り、自室に着く。
私は確かに、渡会明美が好きだった。しかし今、きっと彼女が私を嫌悪している以上に、私は彼女のことなどどうとも思っていない。私と彼女の間に、運命など存在しなかったのだから。
3階自室のドアを開ける。エントランスこそオートロックだが中身はただのワンルームアパートに過ぎない。当然ながら私の部屋もワンルームである。
入ってすぐ左手にガスコンロと洗面台。右手にはドアが二つ並んでおり、玄関に近い方のドアがトイレ、その隣のドアが風呂である。奥にすすむと8畳の洋室が広がる。洋室の右の壁に寄せるようにベッドが置かれている。左の壁には本棚、部屋の中央にはこじんまりとしたテーブルがある。部屋の一番奥は窓となっていて、開けるとワンルームにしては広めのベランダに出られる。
私は居間(といってもワンルームだから全て居間みたいなものだが)に通学用バッグを置き、服を脱ぎ去りキッチン横の洗濯機へ放り込み、浴室の扉を開けシャワーを浴びた。
まずはシャワーだ。今日は朝から大学にアルバイトと一日中忙しかった。体の汚れを落としてすっきりしたかった。熱いシャワーを浴びると、体の油分が洗われてさっぱりとした気分になった。体力仕事や汚れ仕事こそしていないけれど、人間は一日動けば汚れが溜まるものである。
本棚の横に並んだ衣裳ケースから下着と長袖シャツ、靴下、長袖のジャージを取り出して着る。一人暮らしを始めた当初はパジャマを着ていたが、最近はジャージしか着ていない。上下セット2000円で購入した黒色のジャージで、パジャマにもなるし、休日の部屋着にもなる。11月に入ってやや気温は低くなってきたがまだ長袖ジャージの上下セットでも大丈夫だ。
続いて夕食の準備に取り掛かる。今日は朝食を食べておらず、昼食もコンビニのおにぎりで済ませたから腹が減っている。
冷蔵庫を開けるが、残念ながら食材らしい食材はなかった。そもそもこの冷蔵庫は私の身長の半分程度しかないこじんまりとしたサイズだから、あまり物を入れられない。何か買出しにいくか。しかし23時ともなればスーパーはすでに閉店しており、コンビニも近くにはない。このアパート周辺は田舎なのだ。仕方ない。あり合わせで誤魔化そう。
食材はないくせにビールはあった。私は今年の春に20歳を迎えてアルコールが解禁されたばかりだ。酔いやすいく酒癖が悪いらしい(自覚はないが)のはいけないことだが、どうせ今日は一人で飲むだけである。明日も休日だし、悪酔いしても構わないだろう。
ビールを飲むならご飯は必要ない。かえって献立を考えるのが楽になった。私は冷蔵庫から、買ってあった厚揚げとハムを取り出した。大皿を用意して、厚揚げとハムをそこに並べる。四枚の厚揚げの上には余っていた焼肉のたれをかける。同じく4枚のハムを厚揚げの隣に並べ、こちらはマヨネーズをかける。ラップをして電子レンジで温める。
温めている間に、箸とビールをテーブルに並べておこうとして、閃いた。
久々にベランダで食べてみるか。
100円ショップで購入したトレーに缶ビールのロング缶と箸を乗せる。片手でトレーを持ち、ベランダへ出る窓へ手をかけた。建て付けが悪いのか開けるのに苦労する。ガコッと妙な音と共に窓が開くと同時に、肌が冷たい空気に触れる。
片手に持っていたトレーを室外機の上に置こうとして、少しためらう。一度部屋の中へ引き返して雑巾を持ってくると、それで室外機の上辺を一通り拭き、その上にトレーを乗せた。
続いて、チンッと電子レンジの音がして、再び部屋に戻る。レンジから皿を取り出しラップをめくると、厚揚げとハムから僅かに湯気がたっていた。皿の端を指で掴み、手に熱さが伝わらないよう注意しながらベランダにそれを運ぶ。室外機の上に設置したトレーに、持ってきた大皿を置く。ベランダの隅に置いてあるアウトドア用のレジャーチェアを引き寄せ、そこに座り込んだ。一息つこうとしたが、目の前に昨日干した洗濯物がずらっとかけられており、少々鼻白む。
これではせっかくベランダで飲むのに、雰囲気が出ないではないか。
もう一度立って、ハンガーごと洗濯物を束ねる。部屋へ引き返し、洗濯物を畳もうとするが面倒になってテーブルに積んでおいた。明日やれば良いだろう。
再びベランダへ出ようと思ったところでポケットに入れておいたスマートホンが激しく振動した。手に取り、電話に出る。
「お、外崎、いま大丈夫?」
「大丈夫。どうしたんだ今波、こんな時間に電話なんて珍しいな」
今波は同じ大学の同期で、パン工場脱落組みの一人である。
「それがさ、俺さっき気付いたんだけど、月曜の一限目、英語の応用Ⅰだよな」
私は頷く。必修科目だ。
「外崎、英語の宿題終わってる?」
「ああ、終わってるよ」
「よかった。ならさ、宿題見せてくれよ。俺この土日忙しくて、宿題やってる暇ないんだよな」
これは嘘だな。今波は頭は良いのだが英語だけは苦手なタイプで、宿題が面倒くさいのだろう。
「分かった。なら月曜は少し早く来いよ。俺のを写すだけだから、10分もあれば終わるだろ」
「ありがとう。外崎は良い奴だな」
良い奴ではない。良い奴と思われたい奴なのだ。
「その代わり…そうだな。文化人類学の提出物、滞ってるんだよ。今波のを見せてくれ。お前、得意だろ」
こう頼んでおいた方が今波も後腐れがないだろう。後腐れがないというのが人間関係を円滑にするコツである。
彼は私の頼みを了承して、少し雑談した後、電話を切った。私はやっと飯にありつけると思い、スマートホンをポケットに戻そうとして、ベッドの枕元に置いた。スマートホンは便利だけれど、時に無粋なこともあるから。
ベランダに出て、椅子に座る。アウトドア用の椅子はパイプと布で出来ており、私が体重を預けると、尻がほどよく椅子に沈み込み、体にフィットした。左手には室外機。その上にはトレー。トレーには缶ビールと、大皿に盛られた厚揚げ、ハム。
缶ビールを手に取り、プルタブを開ける。プシュっと景気のいい音がした。口へ運ぶと、ビール独特の苦味が広がり、同時に、冷たいそれが少々の刺激と共に喉を駆け抜けていく。口を離し、ビールをトレーに置いて息を吐くと、それだけで体から疲れが抜けていき、同時に体が火照り始め、心地のいい充実感が腹の内から芽吹き始める。ビールという名の液体一杯で幸福を覚えるのだから、人間は単純なものである。いや、人間というより「自分が」と言い直すべきだろうか。
しかしこの充実感、あるいは幸福感は、ビールだけに起因するものでもないだろう。今日一日働いて(と言ってしまうと社会人の先輩には怒られるだろうか)疲れたからこそ、一日の終わりの一杯が旨味を増すのである。
加えて、室内ではなく外気に触れながら飲むというのも私の好みだ。
ワンルームアパートにしてはやや広いベランダ。縦1m、横2mほどの広さで、普段は洗濯物を干している。先ほど洗濯物は室内へ取り込んだため、今は物干し竿が一本かかっているだけで、後は室外機と、私の座っているチェア以外に、余計なものは何もない。
左右は隔壁板で区切られている。避難時に蹴破れるように薄い壁で隔たれているわけだが、最低限のプライバシーは守られているのだから充分だ。
アウトドア用のチェアに座ると、正面にはベランダの腰壁が見える。高さは1mそこそこだろうか。転落防止の意味もあるが、部屋の中を見えなくする意味も大きい。もっとも、窓にはカーテンが掛けられているから腰壁が仮に透明だとしても部屋の中は見られないのだけれど。
座っていると、目線とほぼ同じ高さに腰壁の手すりが見えてしまう。腰壁上辺に設けられた手すりだ。座ったままで外の景色を楽しめたら愉快だが、腰壁で遮られているため、その点はやや残念に思う。
もっとも、外の景色といっても大した物はない。
ベランダ側にはこのアパートの駐車場が広がっていて、その先は左右に一車線の道路が延び、道路を隔てた対面には住宅が並んでいるだけだ。座りながら見えるものといったら、それら住宅と電柱くらいで、間違っても景勝地とは呼べないだろう。
しかし、夜にひっそりと沈む住宅の数々は意外と目を楽しませてくれるし、道路にポツポツと灯る街灯は幻想的に見えなくもない。消灯時間は確か、12時くらいだったろうか。消灯後、暗闇に包まれた住宅街というのも見てみたい。もっとも完全に暗くなってしまうと、食事がしにくくなってしまうが。
11月下旬の深夜。ジャージしか着ていないから少し肌寒いけれど、夜の怜悧な冷たさを感じつつ、何でもない景色を見ながらする晩酌は、悪くないものだった。
箸と皿を手に取り、まず厚揚げを口に運ぶ。大皿は片手で持つには不便だけれど仕方がない。近所のスーパーで買った4個入り100円の厚揚げは、口に含むとじわりと油が染み出して、同時に焼肉のたれの刺激的なスパイスと交じり合う。思えば、私は焼肉で厚揚げを焼くのが好きだった。今回は電子レンジで温めたから香ばしさは不足しているけれど、味は遜色なく、値段を考えると満足すべきと思う。焼肉のたれは偉大である。続けてハムを箸でつまむ。円形のハムにはマヨネーズがかかっている。マヨネーズを包み込むようにハムを丸めて口へ放り込むと、ハムの塩気とマヨネーズの酸味が溶け合って複雑な風味が生み出され、その中にマヨネーズの優しく滑らかな甘みが感じられた。皿を置き、ビールを口に付けてそれらを流し込むと、口の中にはビールの苦味が付け足され、いよいよ混沌とした香りが際立つが、一度ビールで流されてしまうと、後味は存外悪くなく、むしろ口内は爽快感すら覚え、同時にアルコール独特の熱さが体の奥にぽつりぽつりと灯っていく。
外気が冷たいだけに、その熱さはより強調されて、体の芯が温まる感覚と共に、脳や、体全体にふわりとした心地よい感覚が漂い始める。
頭がボンヤリとして、ああ酔ってきたなと自覚しはじめた。
ビールを飲み始めたばかりの頃は、ここでビールを飲み干して、我慢できずにもう一缶ビールを開けて飲んでいた。しかし度々二日酔いに襲われた経験から、そのような飲み方は控えている。今の私は500mlのロング缶一本。これが適量なのである。だから一気に飲み干すのではなく、少しずつ肴と一緒に飲む。食事も一気に流し込むのではなく、少しつまみながらゆっくりと咀嚼していく。これが幸せなのだ。
しかし、どれだけゆっくり歩んでいこうと、いずれゴールはやってくるものだ。30分は経っただろうか。皿には焼肉のタレとマヨネーズのシミが残り、缶も最後の一滴まで飲み干してしまった。
少し物足りないけれど、これでいいのだ。私の気持ちは満たされ、今日一日の疲れは、概ね霧散したように思えた。
ベランダから部屋に戻ろうとして、窓へ手をかける。
中途半端に開いたが、完全には開かなかった。この窓は建て付けが悪い。中途半端に開いてしまうと逆に面倒で、一旦完全に閉めてから開き直さないと上手くいかないことは経験で知っていた。私はもう一度、窓を完全に閉めてから開けようと試みた。
そう、私は知っていたのである。建て付けが悪いのは承知していたのだ。だから全然、苛立つ必要はなかったのである。
しかし私はやはり酒癖が悪いのかもしれない。窓の開きが少々悪いだけで私は苛立ち、同時に今日一日に起きたこと―大学の長々とした講義とゼミ、バイトの助っ人、モトカノの舌打ち、友人の余計な電話―を思い出して、必要以上に、窓に力を入れた。
がつんと大きな音と共に、窓が閉じた。それは問題なかった。
しかし窓が閉じたと同時に、その衝撃で窓の鍵―クレセント錠―まで掛かってしまったことは全くの意想外であった。
閉じた窓を開こうとしてもまったく動かなかったから、おかしいと思った。透明な窓ガラスから中を覗き、クレセント錠が掛かっていることを確認した。
あ、なにかの拍子で鍵がかかったんだな、と思った。そういえば、ベランダに出る時にクレセント錠を中途半端に開けて出てきてしまった。だから今の衝撃で鍵がかかったんだなあ、と思った。
窓を開けようとして、びくともせず、再び窓を覗いてクレセント錠が掛かっていることを改めて確かめた時に、まずいかもなあ、とぼんやりと思った。
窓を開けようとして、動かず、中を覗いて、錠が掛かっているのを確認する。何度か同じことを繰り替えした後、ようやく事の重大さに思い至った。
もしかして閉じ込められたのか?
サッと血の気が引くと同時に酔いが醒めていくのを感じた。乱暴に扱ったせいでベランダの窓の内側から鍵が掛かってしまった。窓だから、当然ながら外側から開ける鍵穴などない。覚醒した頭でどういう状況かを理解しつつ、再び窓に手をかけて力を入れるも、窓は少しも動かない。当たり前だ。内側から鍵が掛かっているのだから。
窓から離れ、左右を見る。ベランダの左右は隔壁板で閉ざされている。続いて振り返る。ベランダの腰壁上辺の手すりに手をかけ、下を覗き込む。下はアスファルトの駐車場が広がっている。高さは3階。落ちたらただ事ではすまないだろう。
再び振り返り、窓に向き直る。窓は内側から閉ざされており、開けられない。
前後左右、出入り口はない。私は、自分がベランダに閉じ込められたことを、ようやく理解した。




