第1話「薬効不足の失敗作」
「フィリア・ノクスレイさん。また薬効が規定に届いていません」
基礎調薬演習の担当教官、マルセル先生の声が実習室に落ちた。
王立リオラ学院は6年制の名門校で、2年生になる春に7つの専門学科へ分かれる。薬術科、魔術科、騎士科、教養科、機工科、結界科、召喚科。
その中でフィリアが入ったのは、薬草と調薬を学ぶ『薬術科』だった。
今日は薬術科に進んでから初めての中間実技試験だ。ここで落第点を取れば補習になり、次も駄目なら薬術科に残れるかどうかまで話が及ぶ。
試験内容は《魔力増幅薬》を時間内に調薬すること。
小鍋に薬液を張り、細かく刻んだ赫熱草を落として弱火にかける。赤い葉脈から色が溶け出し、薬液がじわりと熱を帯びたところへ、精製した魔石粉を少しずつ加える。
鍋底で淡く光った粉を木べらで混ぜると、赤い薬液の中に細い光の筋が走った。
赫熱草で魔力を押し上げ、魔石粉で薬効を身体へ通しやすくする。
最後に蒼冷草を適量混ぜて反動の熱を逃がせば、薬剤は綺麗な赤を帯び、《魔力増幅薬》が完成する。
周りの小鍋はどれも鮮やかな赤に染まっていた。
だが、フィリアの小鍋だけが薄い黄色のまま、静かに揺れている。
「《魔力増幅薬》って、薬術科なら最初に通る課題でしょう?」
「《翠月寮》では影が薄いのに、実技のときだけは目立つのね」
くすくす笑う声が広がる。
フィリアは返事をせず、木べらを握り直した。
レシピは間違えていない。
ただ、薬効を強めるために赫熱草をもう少し煮出せば、残熱と呼ばれる副作用が強くなることを知っていた。
残熱は普通なら、少し頭が冴える程度で済む。
だが疲れた身体に残れば、頭の奥で術式の火種だけが消えなくなることもある。
その結果、体は火照り、眠りたいのに目が冴え続ける。
この試験で見られるのは、魔力をどれだけ押し上げたかだ。
飲んだ後に残る熱や、眠りを奪う反動までは点数にならない。
それでもフィリアは、残熱の気配を放っておけなかった。
薬は効けば終わりではない。
幼い頃、亡き母が何度もそう教えてくれた。
その言葉の意味をもっと深く知りたくて、フィリアは薬術科を目指した。
効き目だけを追うのではなく、その後に残る負担や副作用まで学びたかった。
だからこそ、この試験で赫熱草を足せなかった。
蒼冷草を木べらでゆっくり馴染ませると、小鍋の中の熱は静かに落ち着き、薬剤は澄んだ薄黄色のまま止まった。
《魔力増幅薬》としての効果は弱い。
だが、この薬を飲んだ人の頭には、嫌な熱は残らないだろう。
「……提出しなさい」
マルセル先生は瓶を光に透かし、検薬皿に一滴落とした。
「反応は安定しています。危険な薬ではありません。ですが、《魔力増幅薬》としては薬効が規定を大きく下回っています」
そこでマルセル先生の眉がわずかに寄った。
怒っているというより、解けない問題を前にしているような顔だった。
マルセル先生だけは知っている。
フィリアは入学時の基礎筆記も、薬術科進級時の筆記も満点だった。
特に副作用と禁忌に関する記述は、教本の範囲を越えている。
それなのに実技になると、いつも薬効だけが規定に届かない。
学生の成績を他の生徒の前で口にすることはできない。
周りの誰も知らないし、フィリア自身も自分から言うことはない。
だからこそ、分からなかった。
これほど薬の基礎を理解している生徒が、どうして実技になると、測定値だけが低い薬を作り出してしまうのか。
「……はい」
フィリアは小さく返事をした。
マルセル先生は検査用の小瓶だけを手元に残し、余った薬剤の入った小瓶をフィリアへ返した。
薄黄色の薬剤が瓶の中で小さく揺れる。
「薬効が足りないなら、試験としては不合格でしょう?」
背後から誰かの声がした。
「《魔力増幅薬》なのに魔力が増えないって、それもう別の薬ではなくて?」
調薬台の周りから、また笑い声が沸き起こる。
たしかに薬効は足りない。
試験で求められたものを作れなかったのは自分だ。
だが、飲んだ人の頭に残る熱を減らしたかっただけ。
そんな言い訳を口にしても、きっと誰にも届かないだろう。
返された薬液は、もう試験薬としては不合格だ。
ただ、フィリアにはその薄黄色の中に、捨てきれない静かな効き方が残っているように見えた。
フィリアは小瓶を鞄にしまい、笑い声を後にして実験室を出た。
□■□■□
昼休みになっても、食堂へ行く気にはなれなかった。
さっきの笑い声がまだ耳の奥に残っていて、人の多い場所へ入れば、また同じように周りから見られる気がした。
昼食の小さな包みを抱え、フィリアは薬術棟の奥へ向かった。
薬術棟の奥には、中庭のようにぽっかりと開けた広い一角がある。
授業で使う明るい温室から外れたその場所には、月庭と呼ばれる古いガラス製の大きな温室が残っていた。
強い日差しを嫌う薬草を育てる場所で、蒼冷草や夜露草の鉢が棚に並んでいる。
薬術科2年には3つのクラスがあり、学院内外に点在する薬草区画には、それぞれ管理係が置かれていた。
月庭も、そのひとつだ。
この古いガラス温室は教室棟から少し離れている。
置かれている薬草も扱いに気を使うものが多く、ただ水をやればいい場所ではない。
遮光布の位置、土の湿り具合、鉢の向き、葉先の色まで見なければならなかった。
そのうえ月庭は、昔から学院に残る『習わし』にも使われてきた場所だった。
本来なら、薬術科2年の3クラスから1人ずつ係を出し、3人で責任を持って管理することになっている。
だが、月庭は薬術棟の奥にあり、教室からも寮からも遠い。古い温室は土の匂いが服につき、置かれている薬草も扱いが難しいものばかりだった。
どのクラスでも人気の係ではなかったらしく、他の2人も自分から望んで来たようには見えなかった。
顔は知っている。
担当日を決めた時に、短く言葉も交わした。
だが、きちんと話したことはない。
2人も最低限の水やりや入口側の確認はしていたが、蒼冷草の葉先、遮光布の角度、鉢の土の湿り気、奥の棚まわりまで見る者はほとんどいなかった。
気づけば、細かな確認はフィリアがするようになっていた。
押しつけられたというより、誰もそこまで気づかなかったのだと思う。
そしてフィリアも、自分が気づいてしまうと放っておけなかった。
誰も長くはいない。
誰にも笑われない。
薬草の匂いだけが静かに満ちている。
だから月庭は、フィリアにとって少しだけ息をしやすい場所になっていた。
だが、この場所で学院中が憧れている存在の声を聞くことになるなんて、思ってもいなかった。
薬術科⋯⋯翠月寮
魔術科⋯⋯白塔寮
騎士科⋯⋯黒剣寮
教養科⋯⋯金冠寮
機工科⋯⋯銀輪寮
結界科⋯⋯蒼壁寮
召喚科⋯⋯紅星寮




