第3話 無人島に二人きり
柔らかすぎる二つのクッションが、僕の背中に押し付けられていた。
(いや、ちょっと当たっているとかそんなレベルじゃなくて、抱きついているよね。これ)
これは明らかに興奮状態になっている。僕は身の危険を感じて、身構えた。
今までの戦闘後であれば、女の子たちが興奮状態になっていても、話してなだめる時間があり、彼女たちを止める切り札もあった。
(しかし、今は完全に密着されている……)
ホラー映画のように、夜中に急に起き出して、僕の首筋に噛み付かれて血を吸われる想像をしてしまって、思わず身体中の筋肉が硬直していた。
でも、次の瞬間には抱きついていた妹の腕から力がなくなり、体も少し離れていた。
興奮状態もそう長くは続かない。ある程度の時間が経つと、それまでの反動で力がなくなり完全に眠りに入ってしまう。
そういえばそうだったと、起こさないように少し上体を起こすと、そっと後ろを振り返った
妹は僕が振り返ったせいで手もベッドに広げて熟睡して、可愛らしい寝息を立てていた。
さっき戦闘服を脱いだので、全裸のあられも無い姿でいるはずなのだけれど、月明かりがさしこむだけの闇の中で輪郭しか見えない姿は、芸術的な光景に見えた。
(妹とはいえ、これは気になってちょっと眠れない)
最初はそう思ったけれど、今までに経験のしたことのない闇の効果はすごいものだった。
洞窟の入り口付近は月の明かりなのか、わずかに明るい気がする。
でも、それ以外は視界が完全に真っ暗だった。
家で電気を消して寝るのとは全然違う吸い込まれそうな闇に恐怖さえ感じた。
でも、それしばらくすると、僕もはぐっすりと眠りについていた。
むしろ、この完全に真っ暗な洞窟の中だと背中から感じる吐息、そして触れ合う肌の感触がなかったらとても安心して眠りにはつけなかったかもしれない。
目が覚めた時には、洞窟の中はすでに日の光が差し込んでいた。
目覚めると寝る前より僕の背中にぴったりと張り付いている妹を起こさないように、そっと剥がすとベッドから抜け出した。
振り返ると何も身に着けていない足からお尻までの姿があらわになってしまっていたので、そっと僕は毛布をかけなおした。
「ううーん」
昔から寝起きが悪い妹の唸り声を聞きながら、僕は洞窟の入り口に向かって音を立てないように静かに歩いていった。
(よかった。歩ける)
昨日は、妹に心配かけないように平静を装っていたけれど、本当のところはもう歩いたりできないんじゃないかと不安でいっぱいだった。
ごつごつした石が多い地面を踏んで、痛いのさえ嬉しいと思いながら踏みしめていた。
(でも、このまま外に行くとさすがに痛いな)
どうしようかなと悩みながら洞窟の入り口までたどり着くと、靴が二足、玄関のように揃えて並べてあった。
美咲が基地から、僕の靴も一緒に持ってきてくれたらしかった。
「気が利いている……のか、なんだかよく分からないな」
美咲は普段はがさつな癖に、こんな非常時には妙に冷静なんだよなと微笑みながら靴を履いた。
「おお、絶景だなあ」
外に出た瞬間、誰も聞いていないのに、僕の口から感激した言葉が溢れていた。
少し高台に入り口があるこの洞窟からは、周囲一面に広がる海が朝日に照らされて輝いている。空気はまだ冷たく、潮の匂いが混ざっていた。
後ろを見ると、それなりに大きな島らしく中心部は小山と言っていいくらいに高くて、周囲は緑の木々が覆い茂っている。
住んでいた街や閉じこもってばかりだった基地の中とはかけ離れた豊かな自然の素晴らしい絶景だった。
でも、周囲に人の建造物は何も見えない中で、孤独な恐怖を感じてしまうくらいに、それは非日常的な風景だった。
「すごいところに来ちゃったなあ」
大自然の中にいる感動と戸惑いが半々のまま歩きはじめた。きょろきょろ周囲を見回していると高台からの水が流れている小川にたどり着いた。そっと水を手にすくってみると冷たく、そして綺麗に澄んでいた。
(危ないだろうか?)
そう思いながらも口に含んでみた。どのみち、このままだと干からびて倒れてしまいそうだったので、危険だろうが飲むしかなかった。
「ふう、生き返る」
大げさではなく、水が喉から体に染み込んでいくと失われた生命力が戻ってきたような気がした。何度か水を飲むと感謝しながら座り込んでいた。
「ありがとうございます。……でも、失礼します」
元気になり安心したところで、すっかり忘れていた僕の尿意も我慢できないものになっていた。自然の恵みに感謝しつつも、ズボンのファスナーを降ろして小川に向かって放出しようとした。
「あ、アニキ」
背後から妹の声がした。ちょっとやばいと思いながらも、もう小川に向かって放出しはじめていたのでどうしようもない状態だった。
「勝手にいなくなるから心配しただ……ろ。 う、うわっ」
「な、何を出してるんだ! し、しまえ! ば、ばか」
勝手に覗き込んでおいて、怒られるのはさすがに理不尽だと思うけれど、家の風呂場の脱衣場とかでもそんなものなのだった。世界中のお兄ちゃんにはよくある光景なのだと諦めた。
「ふう、すっきりした」
今さら、慌ててしまったりすると大被害なので、諦めてゆっくりと完全に用を終わらせた。
「ばか!」
「仕方ないだろう」
僕は慎重に自分のモノをしまって、ファスナーを上げるとやっと妹に向き直った。
「ま、まあ、歩けるようになったみたいでよかったね」
もう完全にしまったというのに、妹は顔をそらしながら、ボソリとそんなことを言った。
「ああ、ごめん。心配してくれたんだね」
「はっ!? 心配なんかしてねーし」
随分、慌てて走ってきていたように聞こえたし、今もまだちょっと涙目な気がするけどどうやら心配なわけではないらしい。そういうことにしておこう。
「結構、広い島だね。実は反対側に人が住んでいたりして」
「空から見たけど、家はなかったよ。探検してもいいけれど、もっとアニキは元気になってからな」
僕たちは並んで洞窟に戻っていた。やはりまだ僕は元気に歩けるほどではなかったので、妹に時々支えてもらいながら草花を踏みしめていた。
「今後のことは、決めないといけないよね」
「ん? 何を?」
一夜を過ごした洞窟までの入り口に戻ってきたところで、僕は話を切り出した。しかし、妹の方は何のことだか全く分かっていないようできょとんとした顔をしていた。
「動けるようになったから、すぐに戻るか……それとも」
「ダメです! 反対!」
『すぐに戻るか』と口にしたところで、きっぱりと妹は拒絶した。今は妹のほうが僕の保護者であるかのような態度だった。
「任務を投げ出してきちゃったんだから、すぐに戻って謝罪して調整してもらうのも一つの手だと思うんだけど。他の人たちにも迷惑をかけてしまうし……」
「ダメったら、ダメ。真帆たちは、放っておいても大丈夫だし。少し休みがもらえて嬉しいくらいだよ。きっと」
真帆たちとは、同じ基地にいた他の『ヴァンピレス』と言われている戦うヒロインたちのことだ。口が悪いのは、いつものことだけど、ずいぶんと意固地な妹が意外だった。
ちゃんと話を聞くために洞窟の前の岩に僕はゆっくりと腰を下ろした。
「なんで、そんなに反対するの? ちゃんと身体検査はしてくれていたんだから、一時的に血が足りなくなって倒れただけかもしれないし……」
「基地の身体検査なんて、当てにならない」
「断言はできないだろう」
ちょっと反論はしながらも、自分としても普通の身体検査では今の弱り方は判別できないのではないかと思っていた。
「『マナ』がなくなったのとか分からないんじゃない? それになんか、あの組織。ほんとに体の具合が悪くても隠していそう」
ツンと横を向いて、この話はもう終わりという態度だった。
態度の悪さは怒りたかったけれど、あの組織を心から信用していないのは、僕も程度の差はあっても同意見だったのでそれ以上食い下がる気はなかった。
「でも、それだったら……どうするの?」
『戦うヒロイン組織』は公僕だった。
僕らは国家公務員になったわけではなくて、形の上ではお金をもらえるボランティアだった。そうは言っても一応は組織の一員になって給料をもらっている以上、倒れたので逃げますでは済まされない気がした。
「少なくとも、アニキが元気になるまではダメ」
妹はきっぱりと言い切った。
「しばらく、ここで身を潜めるってこと?」
「それしか無いんじゃないか?」
無いわけがない。色々な人に迷惑がかかる。そう抗議したかったけれど、ふと僕は気がついてしまった。
(もしかして……妹に運んでもらわないと帰れないんじゃないか)
奇跡的に誰かに発見してもらう以外には、とてもこの島から脱出できる気がしなかった。周囲一面、海でまったく他の陸地が見えない水平線を見ながら絶望に襲われていた。
(そう考えると妹の機嫌を損ねるのもよくないよな……)
まだ、本調子とは程遠い体のことも思って弱気になっていた。
「み、美咲ちゃん。僕のことを心配してくれるのは嬉しいけれど……」
「はあ? アニキのことなんて心配してないし」
じゃあ、この状況は何なんだ。
めんどくさい妹に、内心では困り果てていたけれど顔は笑顔をなんとか保ちつづけた。
「何にしても、連絡手段は確保しておかないといけないんじゃないかな?」
「なんでさ?」
不機嫌そうな態度で聞き返してくる。何でそんなに嫌がるのか。
「他の女の子たちくらいには、連絡しておいたほうがいいんじゃない? 迷惑かけているわけだし、もし僕らに何かあったら助けてもらえるかもしれないし」
「いらないし。それとも、アニキは個人的に誰かに連絡をとっておきたいの? 真帆さん? 弥生姉さん? まさか菜々じゃないわよね」
じっとりとした目で、下から睨まれる。
「なんで菜々ちゃん?」
威嚇しているのだろうけれど、何で他の女の子たちと連絡をとったら怒られるのかがさっぱり分からない。
「え。 まさか……本当に菜々にも手を出していたのか?」
妹は、ショックを受けたようによろめいていた。『なんだその演技は?』と僕は冷めた目で眺めるだけだった。
「て、手なんか出してないよ」
慌てて手を振って否定する僕だった。
「ふう、さすがに、私の親友には手を出してないか」
本気で胸をなでおろしている妹がいた。なんか失礼だなと僕は冷めた目でじっと妹を見ていた。
「何で他の女の子には、手を出しているみたいな言い方なんだよ」
「え。 少なくとも真帆さんと弥生姉さんには、手を出していたでしょ?」
「だ、出してないって」
真帆さんと弥生姉さんは、うちの基地の戦うヒロインチームにとって大事なリーダー格の二人だ。
いつも前向きなムードメーカーだった真帆さん。
そして、年長者としていつもみんなを優しくフォローしてまとめてくれていた弥生姉さんがいたから、なんとか僕もやってこられたのだと思う。
それだけに、特に二人には連絡をしておきたいという気持ちが心の片隅にあった。
「二人は、頑丈だし。平気だよ。へーき。連絡なんてとらなくても大丈夫」
妹はそんな楽観的な言葉を口にした。
まるで僕が話そうとしたことを、先回りして牽制してきたように聞こえてしまって何も言葉が出てこなかった。
「弥生姉たちなら、コミュ力も女子力も高いし。他のドナーと組むことになっても、うまくやっていけそうだし」
それは確かにそうだろうと僕も思う。
でも、二人が他の男の血を吸っている光景が一瞬浮かんで、ちくりと僕の胸を突き刺した。
(どっちに嫉妬しているのだろう? 真帆さん? 弥生姉さん? それとも両方かな?)
口の端を変な角度に傾けて、自嘲気味に笑っていた。
僕らの基地に戻りたいと思っていた。
でも、戻ったところで、今の僕は何の役にも立ちそうもない。そう考えると、真帆さんたちも他の基地にいってしまうか、他のドナーがやってくるのが自然な流れだろう。
「そうだね。ここで休むか」
なんだろう。僕らの基地で……自分が必要なくなっている光景が一瞬浮かんで……悔しい気持ちになった。そんな光景は見たくないという気持ちが、僕の足を止めた。
そのまま、僕は洞窟の前の草むらに大の字に手足を広げて倒れ込んだ。
目の前にはひたすら青い空だけが広がり、横からは土の匂いが、そして心地よい風が通り抜けると草の匂いが僕の鼻を刺激し続けていた。
不快なことは何もない。このまま大地に溶けてしまいたいくらいだった。
「ア、アニキ? 休むならベッドで寝な。汚れちゃうぜ」
普段、家では服なんて脱ぎ散らかしていたくせに妙なところで潔癖なのか、几帳面なのか妹はオロオロしながら言った。
まあ、普段は僕の方が几帳面で地面になんて絶対に寝転ばないので驚いているのかもしれない。
「なかなか気持ちいいぞ。美咲も横になってみたら? ここでしばらく身を潜めるんだったらこれくらい慣れておかないとね」
「え? 何? どうしたの? まあ、私は全然かまわないけれどさ」
何か不安そうに僕を眺めながらも、美咲はおずおずと僕の隣で寝る姿勢になりはじめた。
戦うヒロインの戦闘服は、少々汚れたとしてもすぐに洗い流せそうでいいなと思いながら隣で寝転んだ妹の姿を眺めていた。
「ア、アニキ。何ジロジロ見てんだ?」
キモいと言いながら、背を向けてしまうのだけれど、ちらちらと頭だけ振り返って僕に視線を送っていた。
よくわからないけれど、どうやら心配をしてくれているのだろうということは伝わってきた。
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