〜第七話〜
それは何気なく聞こえた一言だった。
数人の一族の者たちがレグルス陛下への感謝の言葉を語っている。
私はそれが我が事の様に嬉しくて、彼らの言葉に聞き耳を立てた。
彼らは私がすぐ傍に居る事に気づいてはいない。
そして、一人の年老いた男が同じように陛下に対する感謝の言葉を述べた後……
「わしも陛下には感謝してもしきれんと思うとる。じゃが……それはそれとして、わしらの族長ブラッド様は、わしらを迫害した只人を何時になったら見返して下さるのか? わしの息子の仇を何時になったら取って下さるのかのう? まさか、わしらとの約束を忘れた訳ではあるまいに……」
「っ!!」
その瞬間、私の中で何かが壊れた様な気がした。
頭の中が真っ白になり……私はその後、自分がどうやって家に戻ったのかさえ覚えていない。
だが数人の一族の者に何かを訊ねていた事だけは微かに覚えている。
忘れた訳ではない。決して忘れた訳ではないのだ!
我らが受けてきた仕打ちを! 只人に対する憎しみを! この世界への復讐を!
けれど、その為に今の安寧を脅かす事は出来なかった。
過去を何時までも引き摺るより、未来ある子ども等の為に現在を生きていこうと……それが一族の総意だと思っていた。
しかし、そうではなかった。
一族の者全てが、それを望んでいる訳ではない。
特に年老いた者、身寄りのない者……。
愛する者を理不尽に奪われた憎しみは、そう簡単に捨て去れるものではなかったのだ!
その夜、夢を見た。
『……族長よ。我らの族長、ブラッド様よ……』
「お、お前たち……どうして?」
私の周りを死んだ筈の同胞が囲んでいる。
『何時になったら、我らの恨みを晴らして下さるのか?』
『よもや、我らとの約束を忘れた訳ではありますまい?』
「そ、そんな事は……決して、ない!」
そう答えながら、後ろめたさに胸が痛む。
『理不尽に搾取された我らの命の対価を、憎き只人からどうか奪い取って下さいませ』
「やはり、未だそう思っているのか?」
『痛い……苦しい……悔しい……辛い……哀しい……』
彼らは死んだ時の姿のまま、身体のあちこちから血を流している。
「救われてはいないのか? 今もあの苦しみを引き摺っているのか?」
必死に彼らに手を伸ばすが、届かない。
『どうか、只人達にも我らと同じ……想い、を……』
彼らの姿が霞んで行く――
「お前たち――─――─っ!」
そこで目が覚めた。
全身がびっしょりと汗で濡れている。
身体の震えが止まらない。
私は生きている者たちだけでなく、死んだ者たちの想いをも踏み躙っているのか?
彼らの死を忘れて自分だけが幸せになろうとしているのか?
その日から毎晩、悪夢は続いた。
『何故なのですか? どうして我らの仇を取って下さらぬのです?』
「許してくれ! あの時、お前たちに誓った言葉に決して嘘はなかった。けれど今は状況が違うのだ。我らは安住の地を得た。未来ある子ども等の為にも、今の安寧を護りたいのだ」
『族長よ、貴方は自分たちさえ良ければそれでいいのか?』
『我らは貴方を信じてついて来た。貴方が戦うと言ったから共に戦った。その我らを貴方が裏切るのか?』
「そんなつもりはない」
だが……
眠れぬ日が続く。
眠れば、またあの夢を見る。
日に日に憔悴していく私に追い打ちをかけるように、悪夢はやがて白昼夢となって現れ始めた。
かつての同胞の言葉が私を追いつめる――
『族長よ、我らが族長ブラッド様よ。貴方は未来ある子ども等の為に今の安寧を護りたいと言った。でも、それは詭弁ではないのか?』
『貴方はレグルス陛下のいらっしゃる世界を壊したくないだけなのでしょう?』
「そ、そんな事はない!」
見透かされているような気がした。
『我らは何もこの国をどうこうしてほしいと申している訳ではありません。我らを迫害したのは他国なのですから』
「し、しかし……仮令この国が無関係であろうとも、この国に何の被害を受けなくても、我らが復讐の為に誰かを傷つければ、あの方は……陛下は御心を痛められるのだ!」
思わず本音が出る。
『やはり、レグルス陛下の為ですか? そんなにあの御方が大切ですか? 貴方と共に辛苦を舐めてきた我ら同胞よりも!?』
「違う、どちらも大切なのだ! お前たちも、今生きている者たちも! そして大恩あるレグルス陛下も!! 私はどちらも選べぬのだ! 私には、陛下のいらっしゃるこの世界を壊す事など出来ぬのだ!!」
『ならば、陛下のいらっしゃらない世界なら?』
悪魔の囁きが聞こえた。
「陛下の……いらっしゃらない、世界?」
そうだ! それには何の未練もない!
陛下のいらっしゃらない世界なら躊躇う事なく、完膚なきまでに壊せる。
そこに住まうのは我らを受け入れない只人ばかり。
私はそれを壊して、能力者の世界を創るつもりだったのだから。
そう……!
だからこそ、最も敬愛する人物は一番最初に葬らねばならなかったのだ!!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
世界への復讐を誓った私は、まず標的を定める必要があった。
私の傀儡となる権力者の選定である。
一族だけで事を起こすには無理があると、初めから承知していた。
そもそもサザンに赴いた目的は、その為――権力者に阿る為――だったのだから。
そして、私が白羽の矢を立てた男こそがサンダー・フォル・レオニスだったのだ。
彼の右大臣という地位は絶好の位置だったし、何より彼の野心は大いに利用出来た。
だが、それは表向きの理由に過ぎず、私が彼を選んだ本当の理由はもっと感情的なもの――"妬み"だった。
彼が我ら一族とレグルス陛下の橋渡しとなってくれた事に感謝の念が無かった訳ではない。
けれど、それ以上に私は彼が憎かった。
私が持てず、彼が持っている全ての物を私は欲した。
いいや、違う!
私は彼が「これだけは誰にも譲れぬ」と豪語していた"位置"――レグルス陛下の最も信頼する臣下であり、腹心の友――という位置が欲しかった。
常に陛下のお傍で、陛下の信頼を得、陛下のご寵愛を一身に受ける……。
私は"サンダー・フォル・レオニス"になりたかったのだ!
それ故の"生贄"。
私自身が陛下に刃を向ける事など到底出来ぬ。
勿論、一族の者たちにもそんな事はさせられない。
サンダーに陛下を殺させる事が私の復讐。
己と陛下の仲を、ずっと私に見せつけてきた彼への報復。
それは"嫉妬"という名のどす黒い感情だった。
…───…───…───…───…───…───…───…
運命の日――
私は念動力に特化した者たちを引き連れて、サンダーに少し遅れる形で隠し通路の扉の前に到着した。
ちょうど、サンダーが陛下に手を差し伸べているところだった。
「そうはさせぬ!」
私は念能力者たちに命じて他の兵たちの動きを封じさせると、私自身はサンダーの動きと彼の精神を支配した。
陛下に苦しみを与えぬよう一撃で御命を奪うのが目的だった。
だが、隠し通路の扉の前から動けぬというハンデはあっても、サンダーより陛下の方がお強い。
尽くサンダーの剣を躱される。
これでは埒が明かない!
業を煮やした私は「陛下の動きを封じよ」と直ぐ傍に居た一族の男に命令を下した。
「……?」
男は一瞬、呆けた様な顔をした。私の言葉の意味が理解出来ぬのだろう。
それはその筈だ。
サンダーだけでなく一族の者でさえ、この反乱は陛下の御為、そして我ら一族を苦しめた者たちへの報復の為だと思っていたのだから!
「聞こえなかったのか? 陛下の動きを封じよと言っている!」
「……っ!」
私の言葉を反芻した男の顔色が見る見るうちに青ざめて行く。
「そんな事は出来ません! そんな事をすれば陛下が……」
「私の命が聞けぬと言うのか?」
「いえ、ですが陛下は大恩ある……これは陛下の為の作戦ではなかったの、で……す……」
「ならば、よい!」
私は男の言葉を最後まで聞く事なく、男の精神を支配した。
そして男の念動力で陛下の動きを封じさせる。
自分自身の力が直接陛下の御命を奪う……それだけは何としても避けたかったのだ。
だが忌々しい事に、心も身体も私に支配されているにも関わらず、サンダーの肉体は私の思い通りに動かない。
意識のある無しに関わらず、サンダーの身体が陛下を傷つける事に拒否反応を示すのか?
その上、陛下もそのお姿からは想像も出来ない不屈の精神で、念動力を撥ね返そうと足掻かれる。
それが逆に陛下の御苦しみを増大させる事になるというのに……。
何をしている!
早く止めを刺さなければ、陛下の御苦しみが増すばかりではないか!
私は焦りを隠せない。これ以上、陛下が傷つかれる姿を見ていたくはない!
「サン……ダー……や、め……」
陛下は出せる筈のない声を振り絞られる。そして――
「ブラ……ド……や、めさ……く…………この、ま……では、サン……が、き……ず……」
――ブラッド、やめさせてくれ! このままではサンダーが傷つく?――
こんな状態になっても、貴方は御自身よりサンダーの身を……心を案ずるのか!?
拳が震える。
私の嫉妬心が極限状態に達したその刹那――私に操られたサンダーが陛下に剣を振り下ろした。
勿論、サンダーの無意識の抵抗で剣筋は微妙に逸れる。だが、その時……
『サンダー――――――っ!!』
声無き陛下の叫びと共に、陛下の動きを拘束していた念動力が弾き返された!
動かなかった身体がいきなり解放される。
だが予期せぬその事態は、サンダーの剣を何とか避けようとしていた陛下にとって仇となった。
剣を躱そうとした動きが想定以上に大きくなってしまったのだ。
その一撃こそが、陛下の御命を奪う止めの一撃となった。
夥しい血飛沫が舞う――
サンダーの胸に身体を預けられた陛下が、彼の名を最後まで呼ぶ事なく床に倒れ伏す姿を……私は微動だも出来ず、まるでスローモーションを見ているように呆然と眺めていた。
「……陛下……? 一体……どうなさったの……です……か?」
陛下に問いかけるサンダーの声が聞こえた。
そして程なく、事態を把握したサンダーが陛下の亡骸を抱えて絶叫する。
美しかった彼の漆黒の髪が瞬時に白髪へと変わる様を、私は冷めきった目で見つめていた。
レグルス・ナスルが絶命した瞬間――それは私の心に僅かに残っていた燈火が跡形もなく消え去った瞬間でもあったのだ。




