1. ゴミスキルと、十五階層
十月の第二火曜、新宿ダンジョン十五階層。俺、槙村鉄太は、五人分のリュックを背中に積み、両手にも提げて歩いていた。
赤茶色の短髪から汗が垂れる。湿った石の匂いが鼻にこもり、肩紐が鎖骨へ食いこんでくる。
先頭を歩く育成部長、猪股慧吾が、タブレットを叩いて立ち止まった。
「槙村くん、荷物を下ろしたまえ。……君に、話がある」
「え? はい」
てかてかのオールバックが、通路の灯りを照り返す。下ろした荷物がどさりと音を立てると、部長は顎を上げた。
「1対1でしか発動しないゴミスキルなんぞ、うちには要らんのだよ。槙村、今日で除名だ」
四年間、一度も光らなかったスキルの名前は、『一騎討ち』という。
十六歳で探索者に登録してから四年。五人一組の訓練では、俺のスキルだけが一度も働かなかった。
「ここで、今っすか? 帰りの荷物も、俺が持つつもりなんすけど」
部長は俺じゃなく、タブレットの画面を見る。返事の代わりに、指先が乾いた音を立てる。
「手続きは、今済ませた。午後二時二分。君はもう、ブライトホークの人間ではない」
端末に除名の通知が出る。読み終える前に、隊長の志賀谷嶺二が、俺のジャージからクランのバッジをむしり取った。
「バッジ、返してもらうわ。荷物持ちには、もったいねえし」
前髪の金のメッシュをつまみ、志賀谷は空いた俺の胸を指す。色あせた紺のジャージに、四角く濃い跡が残っている。
「ははっ……まあ、しゃあないっすね」
まあ、いっか。四年間、俺はそうやって笑ってきた。
「笑ってんじゃん。やっぱ荷物持ちは、頭の中まで軽いわ」
「帰りのゲートには乗せんよ。一人で歩いて上がってきたまえ」
階段はあっちか。こりゃ、弟たちの夜食が遅くなるな。腹すかせて待ってる顔を思い浮かべて、ようやく息を吐いた。
「ははっ、了解っす。あ、俺のリュックだけは残してほしいっす。財布も入ってるんで」
「自分の分だけ持っていきたまえ」
部長に続いて、志賀谷たちが背を向ける。
最後尾の椎葉汰一だけが、こっちを振り返った。借り物のぶかぶかのヘルメットが、まんまるの目の前へずり落ちる。
「鉄太さん……」
「なんとかなるって。汰一、重いもんは背中に寄せろよ。肩が楽になるぞ」
志賀谷が汰一の背中に、俺の運んでいたリュックをひとつ押しつけた。
「行くぞ、新しい荷物持ち」
汰一の口が開きかける。声になる前に、みんなの足音が角の向こうへ遠ざかっていった。
急に、背中がすうすうする。楽になるはずが、肩に何もないのが落ち着かなかった。四年ぶんの重さだけ、通路の床に置きっぱなしだ。
午後二時十分。俺は自分のリュックに腰を下ろし、胸の安物のカメラをつけた。
料理配信『てっちゃんの夜食』、視聴者二人。いつもどおりだ。この数字に、ちょっとだけ肩の力が抜ける。
左腕の端末に、〈ねこじゃらし:てっちゃん? どこ、そこ〉と流れてきた。
「十五階層。クビになっちってさ。ははっ」
〈ねこじゃらし:は?〉
「いつもは実家の銭湯の台所で、弟たちの夜食を作ってるけどさ。今日は帰り道のおしゃべりで勘弁な」
〈ねこじゃらし:そこ、動かないで〉
「だいじょぶだって。荷物も減ったし、むしろ身軽だろ。帰ったら、ちゃんと作るからさ」
立ち上がった俺の頭上で、天井に黒い稲妻が走った。石が裂ける音に、耳がきんとする。砕けた石と一緒に、黒い毛並みの巨大な狼が落ちてくる。
「でっ……けえ! いや、でかすぎだろ!」
端末に〈賞金首・黒雷の狼・懸賞金三億円〉。いや待て。腹まで響くうなり声に、喉がひゅっと縮む。晩飯どころの話じゃねえぞ。
床に、光る輪が走る。輪の中にいるのは、俺と、狼だけ。
四年間で初めて、そのスキルが光った。
【交戦円――一対一。固有スキル『一騎討ち』、成立】
【全能力値を、相手の二倍に固定します】
「……おっ。足、軽くねえか?」
胸の奥で、熱いものがぱちんと弾ける。肩紐の痛みまで遠のいて、目の前の爪がゆっくりに見えた。
横穴の口に、銀色のショートボブが見える。膝まである黒いコートの小柄な少女だ。
胸の名札は、冬城霧香。ダンジョン庁の監査官だ。
駆けつけた銀髪の監査官が、輪に飛び込もうとする。
「下がってください。私が――」
助かる。笑って任せようと、足を後ろへ引きかけた。……でも、やっと光ったんだ。今度くらい、自分の力を信じてみてえ。
「来ないでくれ! これは、俺の一騎討ちだ!」
腹の底から声が出た。誰かに〈来るな〉なんて言うの、生まれて初めてだ。
「えっ?!」
冬城さんは片足を上げたまま、白い線の手前でぴたりと止まる。
「……了解。見てます」
上げた足を下ろし、冬城さんはそのまま線の外で膝を抱えて座り込んだ。……そこ、観客席になるのかよ。
配信の数字は一気にうなぎ上り。ヤバい賞金首がはぐれたソロに襲い掛かったのだ。残虐な殺戮シーンの期待に沸いて、暇を持て余した連中がイナゴの集団のように群がってくる。
グルルル……グァァァ!
狼の爪が、俺の顔へ迫る。なのに、爪の先までよく見える。
俺は軽く裏拳を払った――。
「ほれっ!」
手応えなんて、ほとんどないが――。
グホォ!
狼は横へ吹っ飛び、小部屋を仕切る薄い石壁を三枚ぶち抜いた。
「へ……?」
巨体が黒い霧にほどけて消えていく。
『????』『はぁ?!』『おいおい』『なんじゃこりゃ』
配信のコメントも一様に困惑している。
床には黒い魔核がひとつ。砕けた石の音がやむ中、左腕で〈討伐賞金 三億円〉が光る。
「……三億。え、三億って、あの三億?」
「はい。あの三億円です」
配信の数字は、二から十万へ跳ね上がっていた。……帰り道なんだけど。
輪が消えると、冬城さんは立ち上がり、魔核へタブレットを向けた。
「ダンジョン庁、監査官の冬城です。賞金首〈黒雷の狼〉、単独での討伐を確かめました」
小さな白い顔の、眉ひとつ動かない。画面を叩く指だけが忙しい。
「認定します」
「お、おう……どうも」
「壁、三枚抜けてます。修理費は、別に請求しますので」
「えっ」
「……冗談です」
俺は壁の穴を見上げ、財布へ伸ばしかけた手を止めた。引いたはずの汗が、また背中を伝う。
「……財布は、しまっていいです」
「見てんじゃねえか! っていうか、笑っていいんだよな、これ?」
冬城さんは壁を見上げた。眉はまっすぐのまんまだ。
「はい。それにしても今のは何なんです?」
「そんなの俺が知りたいよ! 四年間、一回も光らなかったんだぞ!」
そこで、腰の無線がガリッと鳴った。
「十五階層、聞こえるか。十四階層でブライトホークの部隊が、中ボスの群れに追われて後退中」
「あいつら……汰一も一緒だろ」
足が勝手に走りだしかける。冬城さんが、俺の進む先へタブレットを向けた。
「救助班が向かっています。……それより、配信、切ってもらえますか?」
「わ、分かった。ねこじゃらしさん、またな」
カメラの灯りが消える。それと同時に、冬城さんのコートのポケットが一度だけ震えた。
通知なら、まあいいか。冬城さんは背を向けて、肩を小刻みに震わせる。……いや、なんでだよ。
「ふはっ……あはははっ! 三枚! 壁、三枚って……!」
爆笑しだす冬城さん。
「え、なに、なに?」
「ごめ、むり、おなか痛い……一騎討ちって、そういう……」
「ちょっと何だよ! 笑いすぎだろ!」
冬城さんは壁に手をつき、しゃがみ込んだ。腹を抱えたまま横へ転がり、また壁に手をつく。通路いっぱいの笑い声に、今度は俺の息もすんなり出てくる。
「さっきまで真顔で座ってたのに、今ごろかよ。そんな笑ったら、監査官の仕事できねえぞ」
「むり、だって、軽く手を振っただけじゃん。狼もびっくりだし……あはははっ!」
冬城さんは急に背筋を伸ばし、笑い声をぴたりと切った。
「はぁぁあ……。今のは、記録に残しません」
「いや、もう遅えって。腹抱えてたの、ばっちり見たぞ」
「……幻覚です。槙村さんは、何も見ていません」
一秒で真顔だ。すげえな、この人。
「……それで。槙村さんは、これからどうするんですか?」
置いていかれた背中は、もう軽い。初めて一人で倒して、初めて、これは俺の戦いだって言えた。バッジの跡に手をやる。ここは、空いたまんまでいい。
「……なあ、冬城さん。俺、ソロで配信、始めてみるわ」




