第十一話 幽霊船(1)
登場人物
ヒロシ:人間。異世界へ転生してしまった普通の成人男性
特別な能力がなにも無い『無能』の人
メリア:木精の血を引く少女。身寄りがなくヒロシと一緒に生活を始める
魔法使いタバサの元で修行し中級魔法を習得した魔法使い
ヒナタ:キャットリング(ネコ人)の女戦士
かぎ爪と野生の勘で戦う明るい楽天家。口調に独特の訛りがある
ツキヨ:ラビットリング(ウサギ人)の女戦士
剣と槍、弓を自在に操る。真面目で慎重な性格
ヤクモ:薬売りを生業とする白衣の優男。戦略に関し天賦の才を持つ
非常に頭が良く、『無能』の転生者ヒロシに興味を持ち仲間になる
ゴーレム:遺跡の地下から出て来た古代の戦闘ロボット
今は機能の大半を喪失している。ヒロシを主として登録した
四魔将:魔王配下の四人の大幹部
それぞれが強大な力を持ち魔物の軍勢を束ねている
港町リンドから王の用意してくれた船に乗り、ヒロシたちは女神の神殿があるという海上の孤島を目指していた。船は立派な作りをしており、十人ほどの船乗りで操縦し、船内には寝泊りが出来る部屋も用意されていた。王族が託宣を受けるために使う物らしく、それを気前よく貸してもらえたのは幸運であった。
二日目までは波も穏やかで問題なく進めていたが、三日目の午前中、太陽が頭上へと迫ろうかという時間にそれは起きた。船乗りたちが騒ぎ始めたのでヒロシたちが甲板に集まると、船乗りたちが海面を指して叫んでいる。
その方向に目をやると、水面に黒い何かが浮かんでいるように見えた。
遠目には岩礁かと思えたが、それは水中から次々に浮かんで来ては数を増やし、船を取り囲むようにして近付いてきた。
「魔物の群れだ! 退治しねえと船が沈められちまうぞ!」
船乗りの誰かがそう叫んだ途端、水面の黒い影は船へと押し寄せてきた。それらは船の側面に取り付くと、よじ登って姿を露わにする。それは人間ほども背丈のある巻貝やヤドカリ、あるいはカニやエビといった巨大な海生生物であった。
甲板まで乗り込んできた魔物たちは、人間の姿を見つけるや、ジリジリとにじり寄ってきた。その数は見えているだけでも十匹以上で、水中にもまだ潜んでいるのは想像に難くない。
「船乗りが犠牲になってはまずい! とにかく魔物を撃退しなければ!」
そう言ったヤクモの声に応じ、まずはヒナタとツキヨが武器を手に先行する。
甲板に上がり込んだ大きな巻貝は、サザエに似た突起の付いた殻を持ち、殻の表面は岩のようにデコボコとしている。殻の下部には本体であろう軟体生物の一部が見られるが、ヒナタが近付くと二本の細長い触手を伸ばし、ヒナタの脚に絡みつく。
「フギャーッ!? ぬるっとして気持ちわりーニャ!」
触手の先端は球状になっており、それが伸びてヒナタの顔面の前まで来ると、球体の表面が水平に割れたようにめくれ、中からギョロリとした目玉が現れて彼女をまじまじと眺めていた。
「この……気持ちわりーって言ってるニャろがい!」
ヒナタはおぞましさからかぎ爪の一撃で触手を切断しようとしたが、いち早くその気配を察知したのか、触手の先端は驚くほどの速さで引っ込み攻撃を回避する。
そして攻撃のお返しのつもりか、ひと回り太い触手を殻の中から伸ばし、その先端をヒナタに向けた。
「――!?」
その瞬間、ヒナタの野生の勘ともいえる感覚が強烈な危険を察し、咄嗟に身を屈める。それとほぼ同時に触手の先端が開き、銛のように返しが付いた巨大な針を発射した。針は彼女に命中せず船の縁に刺さったが、刺さった部分がみるみる変色し、じゅわじゅわと音を立てて溶けていく。
それを目の当たりにしたヒナタは、思わずゾっとして青ざめる。
「あ、危なかったニャ……おーいみんな、こいつらヤバい毒持ってるニャ! 絶対に毒針に触るんじゃねーニャ!」
彼女の声を聞き、甲板に居た全員の視線が集中する。
木材とはいえ船の一部を溶かしてしまう毒を見て、全員の間に緊張が走る。
「戦いを長引かせると船が使い物にならなくなる。急ぐぞ!」
そう声を張り上げたツキヨは跳躍し、目の前に立ちはだかるヤドカリ型の魔物の背中に取り付く。地上では見たことが無いような巨大な貝殻を槍で突いてみるが、殻は鉄のように硬く穂先が通らない。
「……正攻法だと分が悪いな。メリア、魔法を頼みます! 海の魔物は雷の魔法に弱い!」
ツキヨに頼まれ、メリアは呪文の詠唱を始める。
それが終わるまで無防備となってしまうが、メリアと傍にいるヒロシの前には、二人を守るべくゴーレムが仁王立ちしている。ゴーレムは近付く貝や甲殻類の魔物を殴り飛ばし、時には両手で持ち上げて海へ放り投げる。
ゴーレムの強固な装甲には魔物の殻やトゲも通用しないようで、こうした相手にはとても頼もしい用心棒である。
「ゴーレム、メリアを頼む。俺はあっちの魔物を追い払うから!」
ヒロシは新たによじ登ってきたナメクジのような魔物を見つけ、剣を抜いて近付いた。見た目通りにナメクジのような魔物は動きが鈍く、茶色っぽい体色で背中だけが鮮やかな青や黄色の模様が入っていて目立つ。
ヒロシが剣の先で大きなナメクジ型の魔物をつつくと、魔物はゆっくりと頭のような部分を持ち上げ、円形の口を開く。ぬめぬめとした口の中は見るだけでも気持ち悪かったが、魔物は身体を数回震わせると、オエッっと紫色の液体を正面に吐き出した。
――ビチャッ!
それがヒロシに振れることはなかったが、その液体から立ち上る臭いを嗅いだ瞬間、ヒロシは顔面を真っ青にして口元を押さえ、慌てて船の縁に身を乗り出す。
「おえええええっ!?」
それはとてつもなくひどい臭いで、一瞬で強烈な吐き気を催すような代物だった。
船酔いでさえこうはならなかったというくらい、ヒロシは激しく嘔吐して胃の中のものを海にぶちまけた。
「くっさ! おえええっ! くっっっさぁ!!」
ゲロと汚物と生ごみを混ぜて念入りに腐らせてもこうはならんだろうというような、まさに筆舌に尽くしがたい悪臭であった。すっかり胃の中身を吐き出してどうにか立ち直ったヒロシは、目に涙を浮かべながらナメクジ型の魔物を剣先でつつく。
「この、あっち行けっ! こんなもん撒き散らされたら戦うどころじゃないぞ……うぷっ!」
チクチクされて嫌がるナメクジとヒロシがやり合っていると、突如として空気を裂くような激しい音と閃光が発せられた。
ヒロシがその方向を見ると、メリアが付き出した杖の先から青白い電撃が放たれ、硬い殻に覆われた巻貝の魔物に直撃していた。魔法が直撃した部分は殻が砕けてしまい、さらに剥き出しになっている本体に激しい電流が走る。身体の内側を焼き尽くされ、巻貝の魔物は煙を立ち上らせたまま動かなくなった。
「す、すごい……」
その威力は目を見張るものがあり、魔法については完全に素人のヒロシでさえ、メリアの成長が著しい事はすぐに理解できた。
「皆さん魔物から離れてください!」
メリアの声を聞いて魔物と戦っていた仲間や船乗りたちは急いで魔物たちから距離を取る。直後、メリアの杖先が閃光を放ち、迸る電撃が次々に魔物へと襲い掛かる。電撃は魔物たちの殻を穿つばかりでなく、濡れた身体を感電させ内側から焼き貫いていく。
ほどなくして電撃の発射が終わった時には、甲板に乗り込んでいた魔物のほとんどが焼け焦げて煙を上げ、もう動かなくなっていた。ヒロシの近くにいたナメクジ型の魔物も、黒焦げのよく分からない塊となって転がっていた。
「皆さん無事ですか? ヒロシ様……!」
メリア周囲を見回してからヒロシの元へ駆け寄ってきた。たった今、無数の魔物を全滅させた魔法使いとは思えないような、穏やかで礼儀正しい普段通りの彼女である。
「いやあ、メリアの魔法は本当に凄かったなあ。これも魔法の特訓の成果かい?」
「はい、タバサ先生にしっかり修行を付けてもらいましたから」
「俺もあんな風に魔法が使えたら良かったのになあ……って、んん?」
ふとヒロシが空を見ると、さっきまで快晴だったはずが、暗く重い雲に覆われてしまっている。周囲はどんどん暗くなり、穏やかだった海も波が高く荒れ始めてきた。
「な、なんだ!?」
船が揺れるほどに海が荒れ、周囲の船員たちも動揺が隠せない様子である。
異様な雰囲気に甲板がざわめく中、突如船のすぐ横の海面に巨大な水しぶきが上がり、水中から巨大な黒い影が飛び出してきた。それは表面にフジツボや海藻がびっしりと生えた、真っ黒でボロボロの帆船であった。
この時のヒロシたちはまだ知る由もない。船を取り囲んだ魔物の群れでさえ、これから訪れる恐怖の前触れに過ぎない事を。




