幕間2-Ⅱ『愛を失くしたルビーの光』
黒影竜のガオルは、玉座に腰をそえていた。
その玉座は黒鉄色のアイアン製で、
ねじれた大きな角を生やした竜の顔がてっぺんにあしらわれている。
背もたれには細長い穴が開いていて、
彼の長い尻尾が玉座の真後ろへと流れ落ちている。
ここは、スカイランドのどこかにある城の中であり、
ガオルはこの古びた隠れ家の主だった。
オハコビ隊やヒトビトの目を逃れてここに隠れ住むようになってから、
もう何十年もたつ。城を奪いとろうとしてやってくる者は、
容赦なく力でねじふせてきた。
この爪と牙、そして暗闇のブレスの前に、敵はない。
ガオルはここに住み続けるために、
たった一頭でこの暗黒の城を守り続けてきたのだ。
その戦火の証が、この城のいたるところに爪痕として残されている。
ガオルは思案していた。スズカを手に入れるための次なる手を。
その仮面の下からのぞく目は、まるで眠ったように黒いまぶたが閉じられている。
「――ご主人様、まだ悩まれているのですか? お夕食も召し上がらずに」
彼の前にてくてくと歩いてきたのは、胴体がすらりとした黒いトカゲだった。
背丈が百三十センチとなりは小さいが、人間のように二本足で歩き、
上半身が青い蝶ネクタイに執事のような姿だ。
頭はつるつると光沢がのっており、目玉はテニスボールのようにぎろりと黄色い。
「……うるさいぞ、ギュボン。よんでもいないのに現れるな」
ガオルは冷たく言い放った。
「いやあ、しかしご主人様。
今朝から一口も召し上がっていないではありませんか。
先ほどお帰りの時には、いくらかお体を負傷しておられましたしね。
それほどに、その地上界から来たスズカとかいう小娘に、
ご執心でいらっしゃるのですか?」
ギュボンは、執事らしからぬ軽率な口調で言った。
それが気にさわったのか、ガオルはカッとまぶたを見開くと、
小さなギュボンの姿を真っ赤な目で鋭くにらみつけた。
それからすっくと立ちあがり、ギュボンのほうへ足をふみ鳴らしながら近づくと、
重くのしかかるような圧迫感をこめて見下ろしてきた。
「小娘とよぶな! 彼女は、俺の大切な獲物だ!!」
「ひ、ひいぃぃぃぃ!! 申しわけありません! 申しわけありません……!」
ギュボンは死にものぐるいで頭を下げた。
「この世に二つとないのだ。二度と俺の前で、彼女を侮辱するな」
「ぶ、侮辱……?」
ギュボンには、主人の怒りの理由がよく分からなかった。
彼はただ、人間の娘のご馳走を狙っているはずではないのか。
単なる獲物のために、なぜこんなにも敬意をそそぐような言い方をするのか。
しかも、ここ最近では、どこぞの得体の知れない者たちを招いたりして、
城の奥で何かをごそごそと作っているようだし。
ガオルは窓辺のほうへのしのしと歩いていくと、
暗い雲海を照らす月を見上げながら言った。
「彼女は赤き宝石だ。身も心も漆黒に塗りつぶされたこの俺と一つになり、
俺という孤独な竜を真紅のかがやきで照らす存在だ。
そんな彼女が、けっして小娘なものか」
「はあ……」
またわけの分からんことを――黒トカゲのギュボンは、
この漆黒の竜のお世話をはじめてからというもの、
時々彼の口から飛び出す大げさなセリフに、内心あきれていた。
「ご主人様は、今日以外にも人間に触れたことがおありで?」
「……何度も触れたことがある。
どいつもこいつも、腸の煮えくり返るほど憎らしい連中だったがな。
そのほとんどが、この俺を殺そうとした――死神よばわりしてな」
(あー、たしかに死神に見えなくもないかも)
ギュボンは内心、無礼極まりないことを考えていた。
「ギュボン、お前が俺のことを本気で慕っているとは思わん。
かつてお前は、この俺に毒舌をかまし、俺の逆鱗に触れた。
そんなお前は命ごいをし、俺の執事を買って出た……分かるか?
お前という存在がありながら、俺は孤独なのだ。
外界に繰りだせば、俺は死神として、人間や他の竜たちに命を狙われる。
四面楚歌とはこのことだ」
「あのう、何をおっしゃりたいので?」
「……味方などひとりもいないということだ。
ふっ、自分で言うことでもないが、
わが身に招かれた立場をふり返ると、つい感傷的になってしまう。
今の俺に必要なのは、愛のように真っ赤な命の光なのだ……
真紅、かがやき、赤き宝石? そうか!」
ガオルは何かを思いついたように赤い目を見開くと、
玉座の間をつなぐドアへと飛んでいった。
「ご、ご主人様、どちらへ!?」
しかしギュボンの声は、もうガオルには届かなかった。
ガオルは両開きのドアをどっと開け放ち、部屋を出て行ってしまった。
*
その部屋には、竜のオブジェがそびえていた。
すべてが黄金色にかがやくオハコビ竜のようなオブジェだ。
犬のように長い鼻と口、とがった耳。
頭には、美女を思わせるたおやかな長髪が伸びていた。
瞳は重く閉じられ、こちらの顔を見ることはない。
そのオブジェの大きな両手に、手毬のようなルビーが収められていた。
温かな手という器に入った真紅の果実のように、
ルビーはシャンデリアの鈍い明かりを受けて光っていた。
「ガアナ、すまない……キミに贈るために手に入れたというのに」
ガオルは、悲しげに沈んだ声で語りかけると、
そっと両手を伸ばし、そのオブジェからルビーを取った。
ルビーは、ガオルの手の感触を感じとったかのように、
鮮やかな赤いかがやきで部屋のすべてをこうこうと照らし出すのだった。
*
ガオルは袋を携え、城を飛びだした。やつらの根城にむかって。
真夜中のスカイランドという極寒の世界を、
吹きすさぶジェットストリームに身をゆだねて飛んでいく。
翼の羽ばたきなど気まぐれにすぎない。
ただ宙に浮かび続けることを望めば、あとは風が運んでくれる――
行きたい場所や、行きたくない場所を問わず。
(気はまったくすすまないが、もはやこの方法しかない)
スズカは必ず、オハコビ隊のもとからかっさらう。
そして、この世に一つしかないキミのその身を――。
城を出てから一時間後、ガオルはとある群島に到着した。
いくつものごく小さな島が、ひとつの塊になって浮かんでいる地域だ。
切り立った険しい崖と岩山ばかりで、
なみの生物では生きてゆくことさえ困難な環境だ。
そんな群島のあちこちには、蛮族のような木造のやぐらや、
高床式の屋敷がいくつも見られ、松明の小さな炎が赤い星々のように、
影となった岩だらけの島々に浮かび上がっていた。
ガオルは、群島の中でもっとも大きな島へと降下していった。
そびえ立つ柵ややぐらを飛び越えて、
ある大きな屋敷の前にある広場に勢いよく着地した。
そのすさまじい衝撃で砂ぼこりが舞い上がり、ガオルの姿をおおい隠した。
「何奴だあ!!」
恐ろしくガラガラな声が夜にこだました。
すると、屋敷の中や広場のいたるところから、
コウモリの羽を生やした者たちが何十頭と湧いてきた。
オニ飛竜どもだ。
彼らは手に手に斧やこん棒を持って、
砂ぼこりの中から姿を現したガオルを瞬く間に取りかこんだ。
「だああーぁぁっ、こいつ!」
「黒影竜の野郎じゃねえか!」
「なんでこいつが、わざわざ俺らの縄張りに乗りこんできやがったんだあ!?」
ガオルはオニ飛竜どもにとって、長年の標的だ。
そんなガオルが、真夜中に一匹で自分たちの根城にやってきたので、
オニ飛竜の若手衆はみんな騒然としていた。
「――野蛮なろくでなしどもに用はない。長を出せ」
オニ飛竜どもを鋭く射すくめるような目をして、ガオルはそう言った。
案の定、オニ飛竜どもがゲラゲラと大笑いしはじめた。
「お前、正気かあ!?」
「自分からのこのことやってきて、生きて帰れると思ってんのか!」
「おめでたいやつだなあ。おい野郎ども、こいつを丸裸にしちまおうぜ!」
オニ飛竜どもは、武器や爪をかまえてガオルをにらみつけた。
地上も、空中も、今や彼らの包囲網だ。逃げ場はどこにもない――。
「待てや、若造ども!」
先ほどのガラガラ声の主が、屋敷の中からのしのしと現れた。
そいつは、オニ飛竜の中でも一回り大きな肉体を持ち、また一際老けていた。
ぼうぼうと生えた赤いたてがみが、顔の左右にも長く垂れており、
青い宝石のバンドで留められていた。
「ほう~、おめえがこいつらの言う黒影竜ってやつか?
今まで散々、こいつらが世話になったみてえだが、
見たとこ逃げが得意なだけの弱虫じゃねえな」
威圧感の塊だった。しかし、それはガオルも負けてはいない。
ガオルはオニ飛竜の包囲網の中から、落ちつきはらった声でこう答えた。
「お前が長か。俺がどう評価されているかは興味ないが、
お前たちのしつこさだけは認めているからな。
今夜は数十年分のあいさつをしに来た。
俺はガオル。そっちの名を聞きたい」
「いいぜ、その度胸にめんじて名乗ってやるよ。俺はバーダムだ。
おめえの見立てどおり、オニ飛竜族の長ってもんだ……で、
本当の用件はなんでえ? 今までの借りを一気に返しにきたってか。
その袋の中にどんな武器が入っているかは知らんがな。
まずはその悪趣味な仮面をはずしてもらおうか!」
バーダムに要求されたガオルは、
自分の黒い仮面を左手でそっと触れ、こう答えた。
「ハクリュウ島では不覚をとったが、今夜、俺がこの仮面をはずせば、
それは俺の本来の力が解き放たれることを意味する。お前たちなど敵ではない」
「へえ、言うねぇ」
「だがあいにく、今夜は戦いに来たわけじゃない。
お前たちのようなウスノロでも、交渉ぐらいは通じるはずだ。これを見ろ!」
ガオルは袋を手に取ると、
その中からさん然とかがやく真紅のルビーを取りだして、
オニ飛竜どもの前に見せつけた。
するとどうだろう。オニ飛竜どもが感嘆の声をもらし、
真っ赤な光に魅了されたように目を奪われているではないか。
彼らの黒い目がルビーのまばゆい光に満たされ、
緑のうろこがキラキラと真っ赤にそまっている。
「お、おめえそいつぁ……
俺らが長年追い求めてきた『クイーン・ルビー』じゃねえか!」
バーダムもわなわなと口をふるわせながらルビーを見つめていた。
「そうだ、これはまさにそれだ! 生あるものの手に触れられた時、
このように鮮やかな光に満ちあふれる、《魔石》の一種だ。
かつて、俺がある目的のため、
ナーガ島の古き神殿に仕掛けられた数々の罠をかいくぐり、手に入れたものだ。
お前たちがこれを欲しがっていることを、風のうわさで耳にしたのでな」
ゴクッ!
あたりから生唾を飲みこむ音が聞こえてくる……狙いどおりだ。
こいつらは魔石に目がない。
「へへへっ、あのナーガの神殿を制覇したとはなあ……」
バーダムは少し恐れをなしたような表情をした。
「ホントの力を隠してるってのは納得したぜ。
あの神殿には仲間が大勢挑んだが、生きて帰ったやつはひとりもいなかった。
神殿の中に朽ちた亡骸に、冥福を祈ってくれたかい?」
「……やめろ、ぞっとする。俺は取引にきたと言っただろう?
このルビーをお前たちにくれてやる。
そのかわり、俺の望みを叶えろ。俺に従え!」
ガオルは、オニ飛竜どもをぐるりと見回しながらよびかけ続けた。
「俺には、竜生に必要とする獲物がいる。
その子を迎えに行くための援護をしろ。
そうすれば、今までのつまらない魔石たちよりも、
ずっと価値のある魔石をくれてやろう。金に換えれば億万長者だ。
堅固な要塞を建てるなり、毎日のように宴に明け暮れるなり好きにしろ」
いきなりのことで、バーダムも若手衆もひどく迷っているようだった。
だれもが歯噛みし、獣のようにうなり声を上げた。
「答えは!」
ガオルは威圧するように大声で叫んだ。




