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ハルトはフラップに続いて、
多くのロボットたちが停まるロータリーを左手に見ながら、
屋上に出る短い階段へとむかった。
「外に飛びだせるデッキがあるんですよ」
フラップがハルトにむかってそう言った。
「ハルトくん、デッキについたら、
ぼくが警備部の病院の前まで飛んで運んであげますね。
といっても、ぼくもう、勤務時間がすぎちゃってますから、
フライトスーツも着られないし、エッグポッドもご用意できないですけど」
フラップは、左腕には何もつけていなかった。
あのウェアラブルデバイスは、仕事中にしか使えないツールだったのだ。
「大丈夫。キミの体につかまっていればいいんだよね」
ハルトはぜんぜん気にならなかった。
フラップの体に直につかまって飛ぶというスタイルには、
キャンプ場にいるあいだにかなり慣れている。
スズカに会いに行けるなら、細かいことは気にならなかった。
「――フラップ、お風呂入った?」
「え、はい。入りましたけども?」
「いやさ、フラップからあまーい花っぽいにおいがするから――」
「ふふっ。竜だって身だしなみや、体のにおいには気をつかいますよ。
お花のシャンプーを使ってると、メスっぽいってよく言われるけど――
あ、外はすっごく寒くなってますよ。『温めの術』を使いはじめておきますね」
階段を上がると、そこはすぐに広めのデッキだった。
ここから見えるのは、第七層の内部――昼間の大通りのような明るさと騒々しさ。
まばらに浮かぶ広告モニター。おびただしい数の亜人客の雑踏。
夜の時間は、ポートが集まる上層部よりも、
下層部のほうが宿泊ホテルもいくつかあるので、利用客が集中しやすいと見える。
第七層の灰色の天井が厚くのしかかるようで、
ここは展望デッキとしてはあまりいい役目を果たしていない。
さすがに他の客はひとりも訪れていなかった。
「夜の九時までにここに戻らないといけません。
あと一時間ちょっとしかないですよ。少し急ごうね」
「うん、スズカちゃんと話す時間が一秒でも長くほしいや」
フラップは、ハルトを両腕のなかにしっかりと抱きかかえると、
ぴょんと床をけり、デッキから巨大吹きぬけの方向へと飛んでいった。
夜のターミナルは、真冬のように底冷えする寒さだ。
しかし、フラップが竜の秘術のひとつ、温めの術を発揮してくれていた。
そのおかげで、ハルトは凍えるような冷風から身を守られ、
フラップの体からじわじわ発生する陽気に温められていた。
鼻孔をくすぐる花シャンプーのにおいもあいまって、なかなか心地いい。
「スカイランドの住民はみんな、天空の冷えこみなんてへっちゃらですから、
温めの術なんて必要ないですけど、ハルトくんは別でしょう?」
「実感ないけど、今はそんなに寒いんだね。
日が昇ってた時はあんなに暖かかったのに」
「ああ、日中のターミナルが暖かいわけじゃないんです。
ハルトくんたちがここへ来る前に最初にお渡しした、
ツアースーツの恩恵だったんですよね。
あれには、着る人を暑さや寒さから守る、特別な素材が使用されているんですよ」
「もう一つ疑問していい? どうして、ここは空気がうすくないの?
ターミナルもすごく高いところに浮かんでいるのに」
「ハルトくんは本当に知りたがりなんだね。――ターミナル全体に、
酸素を満たす特殊なフィールドが張られているからですね。
オハコビ隊のエンジニア部門が開発したんです」
「――そのエンジニア部門って、すごすぎるなあ。なんか神さまみたい」
フラップは、第七層の一角にあるスピードリフターの搭乗スペースまで、
ゆるやかに降りていった。
ここにもいくつもの搭乗口がならんでいて、
やっぱり亜人客がいくつも列を作って待っていた。
けれど、病院へむかうリフター搭乗口の前には、
幸いにも亜人客が一人もならんでいなかった。
フラップはハルトを搭乗口の前に下ろして、静かにリフターの到着を待った。
ピンポーン。
リフターがすぐに到着して、スライドドアが開く。
ふたりは、はじめていっしょにリフターの中に乗りこんだ――
それも、たったふたりきりで。
フラップは、ドアのそばにある操作盤をいじりながら、こんなことを言った。
「なんだか、秘密の密会に行くみたいで、わくわくしませんか」
「………え?」
「ふふふっ、冗談だって思ってるでしょう?
ぼく、ホントにそう思ったんですよ? 竜は嘘をつきませんから」
リフターのドアが閉まり、ふたりは病院がある第三層にむかって降りていった。
*
警備部が運営する病院は、
魚人のスキンケアセンターと、動物人の整毛センターの間に立っていた。
角が丸みをおびた長方形の箱のような形の建物で、大きな五階建てになっていた。
透明な外壁が、大通りの冷たい照明の光を受けて、
真っ白にかがやいているように見える。まるでシロクマの毛の色みたいだ。
余計な派手さがないのもいい。
地上界にもこんな病院をよく見かける気がするので、ハルトも親近感がもてる。
正面玄関には、二頭のオハコビ竜の警備部員が、
いかめしい表情で番犬のように左右に立っており、
フラップとハルトがやってくると、自衛隊員のような敬礼をして迎えた。
フラップも、律儀に敬礼を返した。
「フラップも警備部員なの?」
「いえ、ぼくはお運び部の所属ですよ。
でも、ぼくも警備部の訓練を受けたことがあるから。
その頃のくせが残っているというか、ね」
「警備の訓練ってことはさ、フラップも何かと戦うの?」
「いざとなれば、ですけどね。
ぼく、悪いやつと戦う時は、すんごく強くなれますよ!
ゾウさんだって投げ飛ばせますもの」
「そんなまさか! ははは!」
笑いあいながら正面口をすすむと、受付とロビーがあった。
中は外装と同じく、何もかもが白い内装で、素晴らしく清潔感があった。
夜なので待合人は数えるほどしか見ない。しんとした空気の中で、
天井スピーカーから流れるヴァイオリンの音楽と、
ソファで寝息を立てているトカゲ族のおじさんの寝息だけがよく聞こえる。
受付には、白いキツネ族のお姉さんがひとり、
ちょこんと座ってコンピューターを操作していた。
フラップは、受付に立ってこう告げた。
「あのう、フラップです。スズカさんの面会に来ました。ふたりです」
すると受付のヒトは、
白いふわふわな顔にハッとした表情を浮かべて、こう答えた。
「フラップ様とハルト様ですね。お待ちしておりました。
係の者がご案内いたしますので、
あちらのエレベーターへお願いできますでしょうか」
受付のお姉さんは、右に続く通路の奥のほうへ手を広げてうながした。
エレベーターの前に、看護婦らしい姿をしたオハコビ竜が一頭いて、
ボタンを押してそのドア開けてくれた。
ふたりは、看護婦さんといっしょにドアの中へ進み入った。
エレベーターは、最上階の七階へと一気に昇った。
ドアが開き、ふたりは看護婦に続いて奥の部屋へと案内された。
途中、通りすぎる個室のドアとドアの感覚が、妙に広すぎるとハルトは思った。
「ここは特別室が集まるフロアとなっています。
スズカ様のお部屋は、一番奥の一級個室となっております」
看護婦がそう教えてくれた。
一級個室というのは、どんな意味をもって一級なのだろう。
それぞれの個室のドアの横に、
かなり性能の高そうなセキュリティ盤がつけられているのを見ると、
ここはどこかの島のご要人や、何かに命を狙われる人を保護するところのようだ。
(スズカちゃんの部屋は、そのなかの一級個室――)
黒い竜に襲われただけで、
スズカがそんな部屋に保護されるのには、どんな理由があるのか。
スズカは、閉じこめられた籠の鳥にされてしまったのだろうか。
考えているうちに、ハルトたちはついにスズカの部屋の前にやってきた。
部屋のドアの左右にも、何も着てはいないが、
やはり警備のオハコビ竜たちはついていた。
「お待ちしておりました。フーゴ総官より、面会の許可は出ております」
「ドアロックは解除されておりますので、どうぞそのままお入りください」
ハルトたちは、看護婦と別れて、自動で開かれたドアのむこうへ入った。
中はぼんやりとした常夜灯がついているのみで、少し暗かった。
でも、壁や床や天井、窓のカーテンもすべてにおいて真っ白なのは、
うっとうしくなるほどよく分かった。部屋は異様に広い――
まるで一流ホテルのスウィートルームだ。
つるつるとした壁に、空の島の風景画がひとつ飾られてはいるものの、
それ以外に面白いものは何もない。がらんとした部屋だった。
カーテンのすき間からは、ターミナル内部の金色の明かりが見える。
スズカは、ひとりベッドに腰を下ろしていた。
服はピンクのパジャマに着替えていた。
窓の外をぼんやりと見つめていたのだが、ハルトたちが中に入ってくると、
はっとしてすぐにこちらをふりむいた。
その頭には、黒い機械のようなヘッドバンドをつけていた。
左右に白い耳がついていて、緑のランプが光っていた。
ロボットアニメのパイロットがつけていそうなものだ。
『フラップ! それに、ハルトくん……来てくれた』
スズカがくちびるも動かさずにしゃべった。




