葦原国の剣士10
八.[葦原国の剣士]
その後、しばらく川の流れを眺めながら下流へ歩いた。ずっと石の護岸が続いていた。
ユタとリュウ少年が川面を指差し言った。
「見てみて。アオイさま。コエが岸に寄ってるよ」
のぞいてみると水面の直ぐ下に大きな黒い魚がいた。大きな口をパクパクしている。口の横には髭がある。
どうしてこれがコイじゃなくてコエなんだ––? 正体を見ても謎が深まるばかりだった。正体が同じだった。
しばらく川辺を散歩して後、門をくぐり町へ戻った。その時、遠くの方で半鐘の音。
リケミチモリはハッと顔を強張らせ、ふりかえるとアオイに言った。
「あれは蠻族が襲撃してきた合図です。あの音は南側の防壁。私は武人ですので行かなければなりません。後はリュウに附いて行って下さい」それから息子であるリュウ少年をふり返り言った。「アオイ殿をこの区画の廟堂にご案内するのだ。頼むぞ」
「はい。お父さま」リュウ少年は答えた。
「では、私はこれにて」ミチモリ氏はそう言い残して駆けて行った。駆けると左足の不自由なことがはっきり分った。
リュウ少年が先に立った。
「この区画の門は閉ざされてしまいます。この区画にあるお廟へ行きます」
そこは広い通りだった。両脇には二階建ての民家が並んでいる。漁をするらしく網が干してある。家々の戸や窓がバタバタと閉ざされ、雑多な武器を持った男達が南の方角へ駆けて行った。その姿も消え去り、あっという間に人っ子一人いなくなった。
その時。
背後で悲鳴。
ふり返ると、今、彼らが入ってきた川に面した門、分厚い木の扉、それが押し破られ番兵が斬られていた。そこにわらわらと群れている者。薄汚いボロを身に纏い、柄の長い斧を手にした者。人間より一回り小さい躯。遠目で顔形までは分らないが、土色の顔。
初めて目にするアオイにも分かった。これが。
蠻族––。
アオイがふり返ると二人の少年は息を飲んでいた。リュウ少年はまだ冷静に見えた。しかしユタは半鐘が鳴った時から震えていた。気付いていた。今、ふり返って見ると、足が竦んでしまっているようだった。
走って逃げることは無理だ。アオイは覚悟を決めた。それは少年の境遇を聞いた時から、心に決めていたことだった。
「心配するな。俺に任せろ」
リュウ少年が、ハッと我に返り駆け出した。
脱兎の如く駆け出すと、民家の軒先に立てかけてあった木の棒を二本取り、戻ってきて、一本を彼に渡し、一本は自分が持ち身構えた。棒は樫で、先端に小さな鉄の鉤爪が附いていた。しかし勿論、殺傷する爲の道具ではない。おそらく、漁で網を手繰り寄せる爲の物。
「小鬼族です」リュウ少年は口早に言った。
「わかった。俺が盾になる。ユタを頼む」ユタの足は動かない。俺が盾になり、囮となり、蠻族達の注意を逸らさなければならない––。
棒を手に、二人の少年を背後に庇い、道の真ん中に立った。
小鬼族はすぐそこまで来ていた。先頭に一匹、その後ろに十匹以上。ギョロっとした目、裂けた口、牙がのぞいている。牙は乱杭歯。
ふり下ろされた大鉞を身を捻りかわした。勝手に足がはしった。体側面に躍り出て横向きに棒を繰り出した。鉄の附いた先端をあばらに喰らわせ、一匹を転がした。棒を引き込み、廻し、反対の先端を正面の小鬼族の顔面に喰らわせた。
二匹の小鬼族を突き転がしたが、そこは群れの只中。
ふり上げられた二本の大鉞。再び勝手に足が反応した。細かく足を刻むフェイント。逆方向へ抜けた。斧が空を切った。抜けざま突きを繰り出した。さらに一匹を転がした。
助かった、こいつらは好戦的だ。全て俺を狙ってる––。
小鬼族が全て自分に群がっていることを見て取ると、アオイはさらに足を走らせ、群れを二人の少年から引き離した。
己に引きつけて、駆け、その間に考えていた。
俺は、剣をやっていたのか––、いや、剣じゃないかも知れない。さっきから勝手にはしるこの足、咄嗟に反応する足の運び、これは剣術じゃない気がする––。
足を止め、ふり返った。バラバラと駆けてくる小鬼族の向こうで、リュウ少年がユタを庇いながら、気附かれないようにその場を逃れようとしていた。民家の戸口を開いて、女の人が必死に手招いている。
アオイは目の端でそれを見た。よし––。
ふり下ろされた斧をかわし、敵胸板に鉄の先端を喰らわせ突き転がした。躯を廻し、背後にいた一匹に突きを喰らわせた。
アオイはさらに足を走らせた。しかし取り囲まれている。取り囲む小鬼族達の壁を抜けることは出来なかった。
アオイの周囲には三匹の小鬼族。襲いかかってくる。その背後に十匹以上。仲間が人間を引き倒すのを待ちかまえ、斧を叩き込もうと目を血走らせている。
次々打ち下ろされる三本の斧をかわし、二匹に突きを喰らわせ、一匹を見た。その距離、間合い、頭部の高さ、敵はたった今斧をふり抜いた所、一瞬で見て取ると頭の中に鮮烈なイメージが浮かんだ。
棒を捨て、瞬間背を向け、左足で宙を切る後ろ廻し蹴り、その勢いで宙を跳び、右奥足で敵頭蓋を蹴り砕いた。身を翻し地に降りて、棒を拾い上げた。
小鬼族達は目にした技に驚いたのか、攻めあぐねたか、一瞬の間があいた。
その時。
民家の二階から声。
「剣士様、剣をお使いください」
見あげると、二階の窓から女の人が身を乗り出して、彼に向かって剣を放り投げた。
飛んできた剣を空中でつかみ、すぐさま鞘をはらった。
片手で剣を持った。少し腰を落とし、左半身で構え。切っ先を斜め後方、少し下向きに。足を肩幅に開き、重心は躯の芯に。こう構えるのではない気がしたが、こう構えた方が蹴りを放ち易いと思った。躯を廻すのも、この構えの方が好い、と。
取り囲む小鬼族の後ろに見えた。さっきの女性が二人の少年を連れて家の中へ逃げ込もうとしている。が、一匹の小鬼族が気付いてそこへ駆けている。
「畜生」
アオイは駆け出した。が、抜けれない。取り囲む小鬼族が壁になり次々斧撃ち下ろす。
無心だった。斧かわしながら唱えた。龍首の印を結び。
「フル」
(fulu[ppn ]羽)
妖しく光った手首のケイ、龍翅。
次の瞬間、目の前に小鬼族の背中があった。二人の少年を庇う女の人に、斧をふりあげている。
考える暇はなかった。その背中を貫いた。腹まで突き破った。嫌な感触が手に伝わった。生きている者の感触。
女の人は少年二人を連れて引き戸の中に逃れた。
アオイは貫いた刃を横に薙いだ。小鬼族はごろごろと地面をのたうちまわった。かん高い声できぃきぃ喚きながら。
「くっ……」
生き物を刺し貫き、その生き物が臓腑を垂れこぼしながらのたうちまわっている。その光景にアオイは思わず息を飲んだ。同時に鼻をつく異臭。嗅いだことのない強烈な臭い。しかし考えている余裕は無かった。
背後をふり返った。小鬼族が駆けてきていた。




