葦原国の剣士9
その夜、寝る前にランプの灯りでタパタイラに貰った神霊の本を読んだ。教えて貰った文字の記憶を頼りに。
まだ殆んど読めなかった。ぱらぱらとめくった。
首が二つある神鳥の絵があった。長い首の先にある鳥の頭は、龍の頭だった。絵の下の文字を読むと「ノア」と書いてあった。
首が何本もある黒い蛇の絵の下には「ウポコポオ」とあった。
牛頭の神の姿が描かれてあり、そこには「マウオラ」とあった。文章は途切れ途切れにしか読めなかったが、どうやら生命の誕生と死を司る神のようだった。
渦巻きの上に立つ女神の絵があり、「ヴェセプタ」とあった。同じく途切れ途切れに読み下した内容は、冥界などの異界へつながる扉を開く神のようだった。
「勉強熱心じゃない。でもその本子供向けなのよ」
突然の声にふり向くと、窓枠にフィオラパが腰掛けていた。透き通った体で。もう驚きはしなかった。待っていた。
「ケイを持って来てくれたのか」
フィオラパは、すとんと床の上に降りた。それから彼の側まで歩いてきた。
「せっかちな人は嫌い」
「事情が変わったんだ。ケイが欲しい」
「それでどうするの?」妖精は意地の悪い笑みを浮かべた。「それで何が出来るの? あんたに」
「それは……、」アオイは言葉に詰まった。「分らないけど……でも、何か出来るからくれるんじゃないのか?」
「うふふ。その通りよ。慌てないで。説明しなきゃいけない事が山ほどあるんだから」
フィオラパは手を開いた。その手の平、その五センチほど上の空間に、碧色の石が現れた。表面に朱色がまだらに走っている。大きさは直径二センチくらい。中心に孔が穿たれている。
「これがケイ……?」
「そう。あんたのケイ。で、どうする? 普通は首にかけるの。力を高める爲に水晶とか色んな石と一緒に。でもあんたの場合手首でもいいわよ。どっちがいい? 首と手首と」
考えてもどちらが良いか分るはずもなかった。
「じゃあ、手首に……」
「分ったわ。左手を出して」
アオイが手を出すと、フィオラパの手のケイが消えた。同時に彼の手首に現れた。数珠のように紐に通され。
「紐はわたしからのサービスよ。後で好きな石を加えるといいわ。じゃあ用意はいいかしら?」
「用意……?」
「今から注意事項を沢山言うから。しっかり憶えるのよ。先ずこのケイの名前」
「名前があるのか?」
「勿論。どのケイにも名前があるわ。このケイの名前は『龍翅』。つまり龍の翅」
「龍の翅……」
「それから、このケイはあんたにしか使えない。もしあんたが死んだら一緒にお墓に埋めてもらうといいわ。遺したって誰にも使えないもの。そこが先ず普通のケイと違う。
それから、このケイは既にプレ・レレ(跳躍呪)を宿している。
普通、ケイは与えられた時、何も宿してないの。対応する元素とか、宿せる呪文の数とか、色々決まりがあるだけで。巫術師か魔導師が呪文材料を調合して、初めてケイに元素魔法が宿るの。
その点これは、お届けしたその日から使えますって奴よ。そのかわりこのケイは他の呪文を宿せない。タパタイラに言っといて。調合したって無駄よって。
プレ・レレの呪文文言は『フル』。
左手に印を結び、移動先を目線で指定して唱えるの。
他の元素魔法は右手を翳して呪文効果の対象を決めるけれど、プレ・レレは目線だけで決まる。あんたが睨み据えた先にあんたが跳んじゃうわけ。
結ぶ印の種類は二種類。月の位置によって使い分けるの。それはタパにでも訊くといいわ。ここまではいい? 憶えたかしら」
「あ、ああ……ちょっと待って」
「待ってあげない。これから先はあんたに関すること。
普通、プレ・レレは熟練すれば自分以外も跳ばすことが出来る。その場合跳ばしたい物や人に右手を翳して、跳ばす先の空間を睨み据えて唱えれば良いの。
でも、あんたの場合それは出来ない。いくら上達してもあんたが移動させられるのは自分だけ。
でもがっかりすることないわ。自分自身の移動に関しては他の誰よりも勝れてる。頭抜けてる。桁外れ。いっぱい褒めちゃうけど。あんたにこのケイが与えられるのは、それが理由。ざっと見廻してあんたが断トツだったってわけ。頑張っちゃうといいわ。
じゃあ、あんたの魔力の経路を開いてあげる。私の前に座って目を閉じて」
「ちょっと待って。もう一度」
「駄目。目をつむりなさいったら」
アオイはあきらめてフィオラパの前に座り、目を閉じた。
「あんたの経脈はまだ閉じている。開いてあげる。クンダリーニを上昇させてチャクラを回転させちゃうの。とっても幸せな気分になっちゃうから覚悟するといいわ。
普通はとっても修行しないと人間には起こらない事。悟者の扉が開かれる瞬間でもあるわ。でも、今回は自力で修行したわけじゃないからそうはならない。幸せな気分にはなっちゃうけど。
はじめ怖いくらい迸っちゃうわよ。いくいくって感じ。なに? わたしは子供じゃないのよ。人間でもないけど。分るように説明してやったの。
言ってみれば、そうね。人間打上げ花火。
じゃあ、いいかしら。体を楽にして。大きくゆっくり息をして。それが始まっても怖がっちゃ駄目よ。抵抗しないで身を任せるの」
フィオラパは手の平を彼の頭に翳した。
次の瞬間、体の中を何かの流れがジェット気流の様に吹きぬけた。下から、上へ。それが起こった瞬間恐怖した。意識を根こそぎ消し飛ばされそうに感じた。しかし噴きあがった。目の裡に光の波が押し寄せ脳内を満たし頭頂から抜けた。自身の意識まで共に抜け、成層圏まで打上げられたように感じた。
目の裡に星が瞬いていた。意識も体も炭酸の泡になったように感じた。
驚き、星のちらつく目を押し開くと、妖精は既にいなかった。
「おい……。いないのか……?」
返事はなかった。気配も。開け放たれた窓から月明りが静かに差し込んでいた。ケイを与えてくれたのがマアシナかどうか、訊きそびれた。しかし。
アオイは布団に倒れこんだ。目を閉じた。
不思議な感覚が続いていた。
星々に包まれている感覚。
宇宙を感じ、宇宙のほうも彼を知っている、彼の存在を認識している、そう感じられた。
これで移動呪が使えるのか––、彼は思ったが思考は途切れ途切れだった。いつしか、そのまま眠ってしまっていた。




