二、出立
「岡山の猫」はタロウを見つけ出し、堤防の先まで連れて行った。
他の猫たちも、何事かと十数匹が後を着いて行った。
俺とソラも、当然その場まで行った。
十数匹の中には、フクもいた。
「それで、話というんはなんなら」
タロウは白猫で身体も大きく、なりより眼光が鋭かった。
「わしは岡山から来た、シゲいうもんじゃが、あんたの噂を聞いてきたんじゃ」
「噂・・?」
「あんた、ここの島のもんじゃなかろう」
「いや、俺は島のもんじゃ」
「ほぅ・・」
「俺はここで生まれ育った。噂はガセじゃろ」
「おかしいな。わしが聞いたんは、あんたは岡山のはずじゃけ」
「だから、違ういうとろが。猫違いじゃ」
「あんたの親は?」
「俺の親もここの生まれじゃ」
「父ちゃん、この男はなにしに来たんなら」
フクがそう訊いた。
「お前は黙っとれ」
タロウにそう言われ、フクはシュンとなった。
「で、噂いうんは、なんなら」
「ここでは言えんが」
「おかしなこと言うのう。わざわざ岡山から来て、言わずに帰るつもりなんか」
「あんた、次の定期便で、わしと一緒に岡山へ行かんか?」
「あほなことを。俺は島のボスじゃ。ここを空けるわけにはいきゃあせん」
「仕方がねぇのう。出直すしかねぇの」
「わざわざ来てもろうて悪かったが、何度来られても俺は行く気はないけの」
「わかった。でもあんた、気をつけた方がええけ」
「・・・?」
「わしの住む「シマ」じゃ、あんたの噂で持ち切りじゃけぇ」
「お前の他に、ここへ来る言うんか」
「ああ。おそらくじゃけど、来ると思う」
「ちょっと待て。噂いうて、なんなら」
「だから言えん言うとんじゃが」
タロウって・・何者なんじゃ・・。
他の猫たちも、不安げに二匹のやり取りを見ていた。
やがてタロウもシゲも、その場を立ち去り、他の猫も散り散りになった。
「お前の父ちゃん、なにもんなら」
フクにそう言い寄ったのは、いつもフクと揉めている灰色の毛で覆われた、一歳でオス猫のマサだ。
フクはボスの後に着いて行こうとしたが、足を止めてマサを見た。
「父ちゃんはボスじゃが」
「だから、そのボスは、なにもんなら」
「知らんが」
「ほんまは岡山もんじゃないんか」
「父ちゃんは違う言よんじゃ」
「ははは。岡山で生きていけんようになって、この島へ逃げて来たんじゃろ」
マサは適当なことを言って、嘲笑した。
「なにを言よんな」
フクは父親をバカにされたことで、牙を見せてマサを威嚇した。
「この島のもんは、みんな田舎もんじゃし、大した天敵もおらず呑気もんばかりじゃから、ボスになるには造作なかったろうに」
「どがな意味なら」
「ボスは、岡山もんじゃ言よんじゃ」
「勝手なことを言よると許さんぞ」
「やる言よんか」
「ほうじゃ」
「マサ、やめとけ」
ソラが割って入った。
「こいつは口ばっかりじゃ。相手にする必要やこ、あらへん」
「わかっとんじゃがの」
「フク、はよ行け」
「ふんっ」
フクは不満そうに、その場を去った。
それから午後の定期便で、シゲは岡山へ帰った。
その際シゲは、人間に交じり造作もなく船に乗り込んだ。
俺はその様子を見て、少しだけ「陸」という場所を見たくなった。
噂で聞いたことがあるが、船の行く先は、岡山というところと、香川というところがあるのは知っていた。
それがどんな場所なのか、俺は全く知らない。
きっと大きな「陸」に違いない。
大勢の人間と猫が住んでいるのだろう。
それから二日後・・
タロウがボスになる前、島のボスであったムクが、ゆっくりとした足取りで俺の前を通った。
ムクは人間でいうところの老人だ。
もう七十六歳と聞いている。
「ムク・・」
俺はムクに声をかけた。
「おう、コテツか」
ムクは立ち止まり、縁側の下にいる俺を覗きこんだ。
俺はゆっくりと立ち上がり、縁側の下から出た。
「訊きたいことがあるんじゃが」
「ほう、なんなら」
「ボスのタロウのことじゃが、タロウは島のもんじゃないんかの」
「それを訊いて、どないすんなら」
「あんた、この間、岡山のもんが船で来たん、知らんのか」
「ああ・・」
「知っとるんか」
「それがどないしたんなら」
「タロウを探しに来たんじゃ」
「ふーん・・」
「あんたはタロウに負けて、ボスの座を奪われたんじゃろが」
「ほうじゃが」
「タロウのこと、知っとんじゃろが」
「まあ・・な」
「それで、どうなら。タロウは島のもんじゃないんじゃろ」
「あいつは岡山もんじゃ」
「やっぱり!ほなら、なんでタロウはこの島に来たんなら」
「それはわしもよう知らん。ただタロウは、この島に辿り着いたとき、恐ろしいほど強うての。あっという間にわしはボスの座を奪われてしもうた。それでもあいつは、特に威張り散らすことものうて、うまいことここのもんを纏めとる。わしはそれでええと思うとる」
確かにそうだ。
息子のフクはわがままで生意気だが、タロウは威張り散らすことがない。
というか・・そもそもタロウに逆らう者などいない。
「コテツはずっと一匹で、大変じゃろ」
「いや・・まあ、そうじゃけど、俺にはソラがおるし、餌も人間が与えてくれるし、不自由はしとらんが」
「それならええが」
「ムクこそ、身体がえらかろう」
「なんの。今はのんびり余生を楽しんどる」
「ムク・・」
「なんなら」
「俺、船に乗って「陸」へ行こうと思とるんじゃが・・」
「それはやめといた方がええ」
「なんでなら」
「陸は恐ろしいところじゃ。島で育った田舎もんが生きて行けるところじゃありゃせん」
「ほうかの」
「ほうじゃ。お前はここで生きていきゃええ」
「・・・」
「お前は若いから、その気持ちもわかるがの、行けばきっと後悔するけの」
「ほうかのぉ・・」
「いらんこと考えんと、はよ、嫁さん見つけぇ」
そう言ってムクは、またゆっくりと歩いて行った。
俺はその後、ソラと話した。
「話いうんは、なんなら」
堤防の先で俺とソラは寝そべっていた。
「ソラ、お前、陸へ行きとうありゃせんか」
「え?なに言うんなら」
「岡山いうところへ」
「陸なんぞ、興味やこ、ない」
「そうなんか。俺は行ってみたいと思うとるんじゃけど」
「なんでなら」
「ここにおるんもええけんど、知らん土地を見てみたい」
「冒険心、いうやつか」
「そんな大層なもんでもないけど、ここで一生を終えるのもなんじゃと思て」
「行ってどないするんなら」
「どないって・・とりあえず見学いうんか・・」
「あはは、見学?まるで人間の子供がやる、遠足みたいじゃの」
「そうそう。遠足でええが」
「遠足なぁ。ほんで戻って来る言うんか」
「船にも乗れるし、行って帰ってくることくらい、どうっちゅうことありゃせんが」
「そりゃまあ、そうやけんど」
「な、俺たちで行ってみんか?」
「それで、いつ行く言うんじゃ」
「まあ、別に急いで行くこともありゃせんし、ソラの都合に合わせるけんど」
「そうか。俺、かあちゃんに言わんとな」
「やっぱり黙って行けんか」
「そりゃそうじゃ。弟や妹もおるんじゃし」
「ほなら、話してみたらええが」
「うん、わかった」
船の定期便は一日に数回あるし、俺はこの時点で行って帰ってくることくらい造作ないと思っていた。
ソラの言うように、遠足気分でいいと思っていた。
岡山いうところへ着いて、危ないと感じたら、すぐに引き返せると高を括っていた。
それから数日後・・
「おい、コテツ」
俺が縁側の下で寝そべっていると、マサが声をかけてきた。
「なんなら、マサ」
「お前、船に乗るらしいの」
「え・・ソラから聞いたんか」
「うん。それでその「遠足」じゃけど、俺も行くから連れてってくれんか」
「えっ、マサも行くんか」
「うん」
「親には言うたんか」
「あほな。言うわけないじゃろが」
「え・・」
「直ぐに行って帰れるんじゃ、バレやせんが」
「そがいに、上手くいくとは限らんぞ」
「なんなら、お前が言いだしたことじゃが」
「俺は、天涯孤独の身じゃが。誰も心配するもんやこ、おらんからええんじゃ」
「ええが。俺も行く言よんじゃ。連れてけ」
「そりゃ、お前がそうしたいんじゃったら、それでええけんど、バレても知らんぞ」
「心配してもらわんでもええ。ほんじゃ決まりな」
俺とソラとマサか。
まあ、行って帰ってくるだけじゃ。
特に心配することもありゃせん。
そして三日後の昼・・
俺とソラとマサは、定期船が来るのを桟橋で待っていた。
他の猫たちも、観光客目当てで大勢が集まっていた。
「ソラ・・お前、よう許してもらえたの」
俺はソラに訊ねた。
「許してくれるはずがありゃせんが」
「え・・」
「言うとらん」
「ソラ!お前、それでええんか」
「行って帰ってくるだけじゃが」
「ほうやが・・ええんか」
「ええんじゃ」
まあ・・行って帰って来るだけじゃし・・ええんじゃろうけど・・
「マサも言うとらんのじゃろ?」
ソラがマサに訊いた。
「ほうじゃ」
「そうよの。そうするしかないんじゃし」
ほどなくして定期船が船着き場に到着した。
大勢の観光客が下りてきて、猫たちが押し寄せている様子を見て、直ぐに写真を撮り始めた。
俺たちは混雑を利用して、船に乗ろうとしていた。
「おい、お前ら」
フクが俺たちに声をかけてきた。
「なんなら」
俺がそう答えた。
「お前ら、船に乗るんか」
「ほうじゃが」
「父ちゃんに言うぞ」
「勝手に言うたらええじゃろ」
「父ちゃん、言うとったぞ。船に乗ったらあかん、言うとったぞ」
「お前には、関係ねぇが」
そこでソラがそう言った。
「フク。なんもお前に乗れ言うとらんが。お前はさっさと人間に媚びでも売ったらええが」
マサがそう言って笑った。
「なにを言うんなら!媚やこ、売っとらんが!」
「もうええが。お前はあっち行け」
「父ちゃんに言うてやる!」
「言やぁええが。ほなな」
マサがそう言い、俺たちは船に乗った。
そして船尾の椅子の陰に身を隠した。
「お前ら、こんなことしてええと思っとるんか!」
フクが船に乗り込んで、俺たちの前でそう言った。
「フク!はよ降りぃ!」
マサがそう叫んだ。
「勝手に島を出たらあかんて、父ちゃん言うとったぞ!」
「だから、はよ降りぃって!」
「なんぞあっても知らんからな!俺は父ちゃんに言うからな!」
そう言ってフクは船から下りようとしたが、人間に足を阻まれ降りる場所を探していた。
あいつ・・早く降りんと、このまま岡山まで行ってしまうぞ・・
ブッブー!
そこで出発の汽笛が鳴った。
「あっ!フク!」
俺は思わず叫んだ。
ほどなくして船員は、船と桟橋を繋ぐタラップを外した。
フクはとうとう、降りることが出来なかった。
「フク・・」
俺はフクの傍へ行き、そう呟いた。
「どうすりゃええんじゃ・・。俺・・帰れんのか・・」
「こっち来い」
俺はフクに、みんなのところへ来るよう促した。
フクは、トボトボと俺の後に続いた。
「フク・・お前も行くんか」
マサがそう言って笑った。
フクは不安を隠しきれず、マサに反論することすらできないでいた。
「フク、大丈夫じゃ。お前はこの船に乗ったまま、引き返しゃええんじゃ」
ソラが励ますようにそう言った。
「乗ったままなら・・帰れるんか・・」
「帰れるぞ。だから心配せんでもええ」
そして船は、岡山に向けて走った。




