1-09. 友だち
結局ヒナに言いくるめられた俺は、帰った足でまず百均に向かい、新品のタッパーやステンレスバット等を購入した。
セルフレジに同じ大きさのタッパーを何度も通しながら、なぜこんなことになったのか考えた。
異世界へ続く穴に入っておきながら、その日のうちに日本へ帰り、百均でタッパーを買い込む男の話など、聞いたことがなかった。
とはいえ、もしも自分が主人公の物語なんてものがあるとしたら、異世界に十人前の弁当を配達して帰ってくる、その程度の小さな冒険がお似合いな気もした。
百均の後は、スーパーへ向かった。
自炊の冷凍弁当は週替わりで、考えるのが面倒だったので、ローテーションを決めていた。
鮭の塩焼き、生姜焼き、照り焼きチキン、魚のフライ、から揚げ。
つまり、俺は弁当用の五レシピのうち、すでに二つものストックを使ってしまっていた。そりゃ、もともと、続ける気なんて全然なかったしな……。
「えーと」
とりあえず、明日は生姜焼き弁当一択にしよう。スープに入れた生姜についての苦情は入らなかったから、おそらく大丈夫なはずだ。
生姜チューブは、今日のスープに入れただけで、ほとんど残っているし、ちょうどいい。
卵焼きは好評だったから、引き続き採用。おひたしは不評だったので、ここは変えて様子をみる。ニンジンのきんぴらはどうかな……?
無理やり押しつけられたはずの仕事を、いつの間にか楽しみはじめている自分に気づいた。
スーパーで重い買い物をし、休日だというのに早朝に起き、弁当を作って配達する。
もちろん代金は支払われるが、異世界のカネじゃ、市場でちょっとした飲食をする程度の使い道しかない。
必要な食材を見繕いながら、この弁当屋稼業はいつまで続くのだろうと考えた。
マリーが回復し、組合のまかないが復活したら、ヒナは俺を解放するのだろうか。
どのみち、年末年始の休暇が終われば、もう続けられない。休暇はまだ一週間近くあるのだし、まかないのことは、その間に何とかしてもらうしかない。
◇ ◆ ◇
早朝に起きてアパートで弁当を作り、昼前に組合へ配達。広場でヒナと昼飯を食べ、市場を散歩して時間を潰したら、容器の回収に行く。
ヒナと別れて東京に戻り、アパートに帰って洗い物をし、スーパーへ買い出しに出かける。夜、寝るまでの時間は、ネットでのレシピ検索に費やす。
そんな不思議な生活が、数日続いた。
何の予定もなく、無味乾燥に終わるはずだった休暇は、驚くほど充実していた。
むろん、毎日続けるのはかなりキツかったが、ゴールが見えていれば、そこまで走ってみようという気にはなれた。
ヒナには二度目の昼食の席で、弁当の注文を引き受けられるのはあと七日間であり、それ以上はどう説得されようと絶対に無理である旨を伝え、承諾を貰っていた。
また口論になる覚悟で切り出したのに、こちらの主張があっけなく認められて拍子抜けしたが、聞くところによると、マリーはカゼを引いて寝込んでおり、数日中には回復する見込みらしい。
昼のまかないを担うマリーが復帰すれば、弁当屋の客は居なくなる。ヒナとしても、無理に引き止める理由はないと判断したのだろう。
自分で終了を申し出ておきながら、タッパーを返しにくる事務員たちの『おいしい、した』を聞けなくなることに一抹の寂しさを覚えたが、マリーが元気になり、組合に日常が戻るのであれば、それはもちろん良いニュースだった。
◇ ◆ ◇
弁当の配達を始めて、八日目。
例によって容器の回収を終え、例の路地裏へ戻ろうとしたところ、ヒナが俺を広場に誘った。
断る理由はなかった。市場で買わされたアツアツの肉まんを食べながら、俺の異世界弁当屋生活もそろそろ終わりだなと感慨に浸っていると、対面のヒナが話しかけてくる。
「トーヤ。ことば、わかるように、なった?」
「へっ!?」
目を瞬かせた。
ヒナは、いつもの単語区切り話法ではなく、ごく普通に喋っていた。それが、驚くほどクリアに聞き取れたのだ。
「え、なんで?」
「やっぱり。トーヤ、はなすの、すこしうまくなった。だったら、きくのも、うまくなったかも、とおもった」
「そ、そうなの?」
「うん。まえ、トーヤのことば、あかちゃん。いま、ちいさいこども」
俺自身は、最初からずっと変わらず日本語で喋っているつもりだったが、ヒナには、たどたどしい現地語に聞こえているらしかった。
何かしらの変換作用が働いているのだろうが、あの穴のしわざなのか?
「ねえ、トーヤ。しょうばいのしかた、わかった?」
頭の中で考えを巡らせているところに、ヒナの声が割って入る。
「うん?」
「トーヤは、ことばがへた。しょうばいもへた。しんぱい。いいひとは、たくさんいる。でも、みんなじゃない。おおすぎるおかねをとる、わるいきまりではたらかせる、わるいひともいる」
「ああ……」
そうか。ヒナは、俺が弁当屋をやめた後、ひとり生きていけるのか、悪徳商人に騙されるんじゃないかと、心配してくれているのだ。
「きまりは、きめたら、かえられない。それが、しょうばい。わるいきまりでも、しないといけない。だれも、たすけられない」
ヒナの表情は真剣だった。
一度受注したら、たとえお客のためになるとしても、勝手に弁当を減らし、スープを増やしてはいけない。初めての配達の日、彼がそう言ったのを思い出した。
「だから、くみあいをたよって。トーヤが、いいしょうばいできるように、たすけてくれる。いいしごとないときは、みつけてくれる。それが、くみあいのしごと」
「……組合? ヒナじゃなくて?」
考える前に、疑問が口をついていた。
もちろん俺には、この街で生きていくつもりも、商売をするつもりもなかった。
でも、ヒナの口ぶりが妙に引っかかったのだ。ヒナの性格ならまず、『自分に相談しろ』と言いそうなものだった。
「ヒナは、たびしょうにんのこども。このまちにも、たまにくる。でも、ずっとは、いない」
「あ……そっか」
初日に会った、ヒナの父親を思い出した。
彼は市場の片隅に布を敷き、こまごまと商品を並べて商いをしていた。この街の定住者ではなく、街から街へと旅する行商人なのだ。
「ふゆは、ここにいる。でも、はるになったら、パパはつぎのまちにいく。ヒナも、いっしょにいく」
ヒナはうつむき、黙って肉まんを食べた。
食べ終わった後も、じっと口元を押さえていた。一生懸命、涙をこらえているように見えた。
「悲しいの?」
「……ヒナ、たびしょうにんのこども。まちにいく。ともだちになる。でも、すぐ、おわかれ」
大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
ヒナは大人顔負けの商売人だが、同時に、まだ十歳かそこらの子どもなのだ。何度も友だちと引き離されて悲しい思いをし、寂しさを抱えて生きてきたのだろう。
しかし、ヒナの父親は行商人。常に移動しなければ、商売が成り立たない。
賢いヒナには、もちろん分かっている。胸の内を明かしたところで困らせるだけだと、言えずにいたんだろうな。
「ごめん……ヒナ、たのしくない、はなし、した」
「いいよ」
彼の隣に移動した。気の利いた言葉はかけられなかったが、黙って背中をさすった。小さい背中だった。
「ありがと。トーヤは、やさしいね」
しばらくすると彼は泣き止み、自分の手で涙を拭った。顔を上げて、立ち上がった。
最初、何かためらっている様子だったが、まっすぐにこちらを見て、口を開く。
「あしたのちゅうもんは、ベントー、じゅっこ」
「!」
「マリー、げんきになった。あしたは、みんなとおなじベントー、たべたいって、いってる」
「そっか! よかったな」
「……うん。よかった」
なぜか、ヒナの表情は複雑だった。
ヒナはもともと組合の人たちと知り合いのようだったし、マリーのことも知っているような口ぶりだった。彼女が回復して、嬉しくないのだろうか?
「どうしたの?」
「トーヤのしごと、さいご。もう、あえない……?」
「えっ」
言葉に詰まる。
弁当屋稼業が終わった後のことは考えていなかったが、当然、弁当の配達がなくなれば、俺にはもう、異世界と関わる理由はない。
でも、親方にもらった弁当代金はほとんど手つかずのまま、アパートの一角に積み上げられていた。
使い道もなく、正直なところ場所を取って邪魔だったし、なにより、異世界の硬貨が日本のアパートで腐っていくのは不健全な気がした。
ヒナが知ったら、きっと怒る。
「……ううん。また、ヒナに会いに来るよ。ここで一緒に、ご飯食べよう」
詳しい貨幣価値は分からないが、結構な額を貰っているはずだ。ヒナが街に居る間、ときどき彼を誘って食べ歩きをするくらいのカネはあるだろう。
春までに使い切れなければ、旅立つ前に餞別として渡せばいい。
「! トーヤ、ベントー、もってくる!?」
パッとヒナの表情が輝く。
「えっ? ……いやその……肉まんとか、串焼きとかさ……おいしいもの、市場にいっぱいあるでしょ。食べ歩きしようよ」
「する! でも、ベントーもたべる!」
「ああ、うん……分かった」
頷くと、ヒナはわくわくした様子で続ける。
「あしたのつぎは、いつくる?」
「えっと……」
まあ、年明けの仕事の状況次第だが、そろそろプロジェクトの終盤だから、平日は厳しいかもな。
土日は休めると思うけど、念のため、今回は日曜日にしておくか。
明日の次に会える日が七日先だと分かると、ヒナは少し寂しげな顔をしたが、「わかった」と頷いた。
「じゃあ、おひるのまえに。さいしょのところで、まってる」
「うーん……組合のロビーで待たせてもらえないかな? 組合の仕事に関係ない時は、入っちゃダメとか?」
「ううん。あいてるときは、だれでもはいっていい。でも、どうして、くみあいでまってる?」
「だって、あの路地じゃ寒いでしょ。ヒナ、いつも先に来て待ってるから」
ヒナが目を瞬かせた。
「……わかった、そうする。じゃあね」
頷いて手を振り、背を向けた。今日は、ここで解散らしい。
いつもなら、最初に出会った路地まで送っていってくれるのだが、……もしかして俺、組合までの道が分からないと思われてたのか?
だったら、送迎しなくても大丈夫だって、もっと早く言えばよかったな……。
「あ、そうだ、ちょっと待って! 聞きたいんだけど」
ふと思い立って、呼び止めた。ヒナが振り向く。
「なに? かえるみち、わからない?」
「いや、そうじゃなくて。その、ずっと聞きそびれてたんだけど……なんで俺のこと、トーヤって呼んでるの?」
ヒナがたびたび口にする『トーヤ』という単語が、俺を指しているのは知っていた。
でも、俺の名前はトーヤではなく、かすってもいないし、そもそも、異世界では一度も名乗っていない。
どうせ弁当屋が終わったら切れる縁なのだから、わざわざ訂正するまでもないと思っていたのだが、……これが春までの付き合いとなると、聞いておいたほうがいい気がしたのだ。
「ふふ」
ヒナが嬉しそうに笑う。
「トーヤのなまえ、ベントーヤ。でも、ともだちは、なまえ、みじかくする。だからトーヤ」
「えっ……?」
とっさに理解できなかったが、すぐに気づいた。
組合へ弁当を届ける時、俺は毎回『弁当屋です』と名乗っていた。ヒナはそれを、俺の本名だと思ったのか!?
配達に行ったときに名乗るのは、普通は店の名前だろ。いや、異世界は、配達先で本名を名乗る文化なのか……?
「あ、そう……分かった。ありがとう」
と返した。
ヒナはなぜか、ちょっと不満そうな顔をしたが、何も言わずに、そのままどこかへ去っていった。
「トーヤ、かあ……」
もう一度、響きを確かめるように、ひとりで呟いた。
ちょっと変な感じもしたが、しかし、異世界に居る間は異世界専用の名前を名乗るというのは、良いアイデアのように思えた。
新しいことを始める時、まず形から入るのは、俺がいつもやっていることだった。
――そう、今ここにいる俺は、東京で暮らす冴えないサラリーマンじゃない。
弁当屋の、ベントーヤなのだ。




