1-11. マリー
最終日、ヒナは例の路地には居なかった。先に行って待っているのだろうと思い、そのまま組合の事務所へ向かった。
案の定、ヒナはロビーの椅子で待っていた。その隣に、見覚えのない女の子が座っている。組合の受付嬢でも、事務員でもなかった。
歳は、たぶん大学生くらい。ピンと伸びた背筋が印象的な子だった。普通に椅子に座っているだけなのに、どことなく、撮影中のファッションモデルを思わせた。
万年猫背人間には一生縁のなさそうな、静かながら毅然とした佇まい。思わず足を止め、遠巻きに見とれてしまった。
「ふふ、おはよ、トーヤ」
ヒナが挨拶した。いたずらっぽく笑って、女の子を指し示した。
「このひとが、マリー」
と言った。この人がマリーだった。
想定外の事態に、フリーズした。マリーは昼のまかない担当だと聞いていたから、勝手に、学食のおばちゃんみたいな人をイメージしていた。具体的には、親方の奥さんとか……例のエックスの愚痴ポストが頭に浮かんだのも、おそらくそのせいだった。
「えっ、あっ、……その節は、どうも」
気が動転して、意味不明のセリフを口走った。初対面なのに、どの節が何だというのだ。
俺のしょうもない発言は、どんな現地語に翻訳されたのだろうか。マリーは長い金髪を揺らして、くすくす笑った。悪意のある笑いかたではないように思えたが、耳が熱くなった。
「はじめまして、トーヤ。わたしのかわりに、みんなにベントーをつくってくれて、ありがとう」
柔らかい声だった。俺が現地語に疎いことをヒナに聞いたのか、子ども相手のように、ゆっくり丁寧に話してくれていた。
「あ、いえ、それは……仕事なので。えっと、弁当のお届けにあがりました」
と返した。噛まずに言えた。いつの間にか、弁当屋がすっかり板についていた。マリーは頷いて席を立ち、上階に向かって呼びかけた。やがて、親方が下りてくる。
「そうだ。今日はマリーの快気祝いだから、特別な弁当にしたんだよ。楽しみにしててほしい」
と伝えると、ヒナがすばやく通訳した。親方が何か返した。
「トーヤ。おやかた、ひろばにいって、みんなでいっしょにたべよう、っていってる。トーヤとヒナも」
「えっ」
「よいかんがえ。いっしょにたべよう」
「いやっ、……あ、ヒナが行きたいってこと? じゃあ、行っておいで。俺は広場の、別の席で食べるから」
「なぜ?」
ヒナが怪訝そうに眉をひそめた。そりゃ、ヒナみたいな社交的な子は、同じ場所に行く人たちとわざわざ違う席で食事をするなんて、意味が分からないのだろう。
しかし、考えてみてほしい。組合のみんなは、当然、お互いをよく知る仲だ。和気あいあいとした会になる。そこに、ヒナが混ざる。少なくとも、問題は起こさない。持ち前の明るさでおおいに場を盛り上げ、温かく歓迎されることだろう。
だが、俺のような、弊社の忘年会ですら飲み会ぼっちの人間がだ、何かの手違いで他社の懇親会に一人もぐりこんでしまったら、どうなると思う?
俺が気まずいだけならまだしも、最悪、会の雰囲気を台無しにする恐れがあった。俺の存在が完全に無視され、周囲が内輪ノリで盛り上がるのが最善パターンであり、つまり組合の人たちが良い人であればあるほど、状況は悪くなる可能性が高かった。
「いや、そりゃあ……」
「わたしも、おねがい。トーヤも、いっしょにたべよう。わたし、ずっと、トーヤとはなしたかった」
ヒナと言い合いになりかけたところに、マリーが割り込んだ。そちらへ顔を向けると、俺に向かって、にっこり微笑みかけた。
えっ、なんで? どういうこと? 訳が分からず、またフリーズした。その間に事務員たちは、各々コートを着込むなどし、わらわらと外へ出ていった。
後には、俺とヒナ、親方とマリーが残された。
「きまり。いっしょにいこう」
俺が黙り込んだ隙に、ヒナが勝手に決めた。結局、右手に弁当を入れた旅行カバンを提げ、左手はヒナに引かれ、俺は、みんなと一緒に広場へ向かうことになった。




