表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ばかって言う君が好き。  作者: 下駄
Three year
27/38

May


ドキドキ。

ドキドキ。


私の心臓の音、誰にも聞かれていない?


ドキドキ。

ドキドキ。


馬鹿みたいになっているこの音。

落ち着こう、そう思ってもとまらないこの音。


せっかく30分早く切り上げてきたのに、そう思いながらも、

この胸の高まりをおさめるためにはしょうがないかと、

結局いつもより時間をかけて会社から帰っていた。


家に着いた。

鞄から鍵を取り出して、カギ穴に差し込む。

毎日していること。

でも今日はそんな単純作業でさえ、特別に思える。


ガチャ

「ただいま~。」

 言ってすぐに、リビングのドアの向こう、明かりがついた部屋から音がした。


「おかえり。」

靴を脱ぎながら、帰宅した自分に何度も何度もそう返してきた私なのだけれど、

今日は自分に返事しない。


「おかえり倫子。ご飯作ったよ。」

 彼がこうして、返事してくれると分かっていたから。


「ありがとう、ただいま。」

 私は靴を下駄箱にしまい終わると、彼に抱き着いた。

彼の甘いにおいと、今日の晩御飯のにおいがした。


「お風呂が先でもいいけど。」

 彼がくしゃっと私の頭を撫でた。


「ううん、このにおいはカレーでしょ?

早く食べたいな。」

 抱きしめられたまま、彼の顔を見あげた。

 

「分かった。

あ、別にごはんの前に、俺でもいいよ?」


「ばか。」

 帰宅して早々、しかも玄関で、

はたから見れば何してんだって話なんだけど、でも楽しくて仕方がないの。

 

ただいま、おかえり。

ただそれだけのことなのにね。



同棲1日目。

彼と正式に私の家で住むことになった。


あの、彼が帰ってきた日から―――。


「さっき温めておいたから、座ってて。すぐ持っていく。」

 彼はキッチンに立つと、カレーが入った鍋をくるくるとかき混ぜ始めた。


「ありがとう。箸はここにあったの使うの?」


「うん、倫子のとこで使ってた箸の方がきれいだから。

でも、今日はカレーだから、スプーンだけどね。」

ばかだなぁという口調で彼は笑った。


「うるさい。」

彼の笑いにつられてしまう。


私は鞄を置こうと寝室に入った。

「あ、倫子。

荷物しまうところ分からなくて、とりあえずそっち置かせてもらってるよ。」


彼の言葉通りクローゼットの前に、

彼の荷物と思わしき段ボールが3個ほど積んであった。


「うん。」

 寝室から彼に返事して、明かりもつけないまま、かばんを隅に置くと私は段ボールの一つに触れた。

詰め詰めに入っているのかもこっりと盛り上がっていた。


現実なんだ、これ。

私、直人と同棲するんだ。


今でもまだ彼が家にいることが信じられない。

夢じゃないかって思ってしまう。


それでも、この段ボールが、カレーのにおいが、キッチンから聞こえてくるカチャカチャという食器の音が、

現実だって教えてくれる。


まさか私が同棲することになるなんて。

いつかは誰かと住むようになるのかなとか考えてたけど、いざするとなると……。


「倫子?」

 カレーをテーブルに置くついでに、様子を見に来た彼が寝室をのぞいた。

両手に持っているお皿に盛られたカレーの湯気が、彼の顔の前にぷわ~んと揺れる。


「なんでもないよ。

うわあ、カレーおいしそうだね!」


彼はカタンカタンと音を立てながら、テーブルに置いた。

私もそこに座る。

彼はスプーンを取りにいってから、隣に座った。


「じゃあ、いただきます。」

「いただきます。」

 手をあわせて、私は彼に軽くお辞儀した。

福神漬け入りの、サラサラでもなくドロドロでもなく、中間のとろみのカレー。

スプーンにごはんとルーを盛って、私は口に運んだ。

「ん~!おいしい。

 直人のカレー本当おいしい。」

 顔がほころんでいく。


「よかった。」

 彼が私の頭をまた撫でた。


触れ合える距離。手を伸ばせば届く距離。

何か聞けば、何か答えが返ってくる。

特別なことなんていらない、単純なこと。

私が一番したかったことが、今、私たちできているんだ―――。



 二人の間に、スプーンがお皿をする音だけが続く。

二人とも食いしん坊だから、おしゃべりよりご飯優先。

だから、こうして食べているときは黙りがち。

でもたまに目をあわせて、おいしいねってアイコンタクト。

それだけでおいしさが増す。


「直人の前のお家、売れてて残念だったね。

空いてたら、直人のところの方が広かったのに。」

 お茶を飲んで、のどを潤す。


「まあな~、

あそこ人気だって借りたとき言ってたからな、不動産屋さん。


でも別に俺はどこでもいいからさ、倫子と入れればどこでも。」


「はいはい。」

 私はまたお茶を飲む。

ばかって言っても割に合わないぐらい、照れくさい、甘い言葉に酔ってしまいそうだったから。


「倫子、照れてるの?」

彼が私の顔をのぞいた。


「うるさい!ほら早く荷物片付けるよ!」

自分の分と彼の分のお皿をキッチンに運ぶ。


「ほんと照れ屋だな。」

 笑いながら彼は、コップを持ってきた。


洗い物をはじめた私。

落ちそうになった袖を、彼がめくってくれる。


「…またこっちに勤務になってよかった。」


「うん。」


 彼はこちらで勤務することを任されたみたいで、

何かある限り、移動は当分もうないみたい。


「……もし部屋狭かったら、新しく探そうね。」

 お皿をすすぐ。


「ばか。さっき言ったこと本気だから、気にすんな。」

 私の頭を右手の中指でこつん。


「ごめん。」


「…もういつでも会えるんだよな。」

 彼はぎゅっと私を後ろから抱きしめる。


「…うん。」

 注ぎ終わった私は、水を止めて腰にまわされた彼の腕にそっと触れた。

食器を洗い終わったというのに、私たちはしばらくそのままでいた。

彼も私の肩に顔をうずめたまま、私も彼の腕に触れたまま。


会えなくて寂しくて辛い毎日――――。

もしかすると私たちは、この日の為に送っていたのかもしれない。

にくいほどに幸せをかみしめるこの瞬間のために。


人知れず私はそう思った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ