第2話「余裕の裏側」
――実習。
初めての臨床現場。
学生たちは、明らかに浮き足立っていた。
緊張と、不安と、少しの期待。
空気が落ち着かない。
⸻
「じゃあ、この患者さんの状態、どう見る?」
指導医の問い。
一瞬、沈黙が落ちる。
「……はい」
ラーナが手を挙げる。
「軽度の脱水に加えて、感染症の初期段階かと」
淡々と。
無駄のない説明。
「根拠は?」
「皮膚の乾燥と、発熱の推移。それと――」
視線を患者に向ける。
「呼吸数が微妙に上がっているので」
一拍。
「まだ重症ではないですが、放置すると悪化する可能性があります」
静かに言い切る。
「……いいね」
指導医が頷く。
「その通り」
周囲が少しざわつく。
「すご……」
「ちゃんと見てる……」
小さな声。
ラーナは何も反応しない。
ただ、次を待つ。
(……当たり前)
それだけだった。
⸻
「じゃあレオ」
名前が呼ばれる。
「はいはい」
軽い声。
壁にもたれていたレオが、ゆっくり前に出る。
「今のに追加するなら?」
ラーナの視線が、わずかに動く。
(……何言うつもり)
レオは患者を一瞥する。
「んー」
少しだけ考えて。
「今のだと、まだ“そう見える”って段階でしょ」
一歩、近づく。
「この人、水分取れてない理由、そこじゃない気がするんだけど」
空気が止まる。
「……どういうこと?」
指導医が聞く。
「環境っすね」
あっさりと。
「日焼けしてないし、最近外出てない感じ」
「買い物行けてないんじゃないですか?」
一拍。
「だから脱水っぽくなってるだけで」
「原因は感染じゃなくて、生活崩れた方」
⸻
「……」
ラーナの思考が、一瞬止まる。
(……そこまで見る?)
レオは肩をすくめる。
「で、たぶん軽い栄養失調も入ってる」
患者の手元を見る。
「爪の感じ、ちょっと気になるし」
指導医が、ゆっくり頷く。
「……なるほど」
一拍。
「確かに、その可能性もあるな」
カルテを確認する。
「……一人暮らし、最近食事取れてないって書いてある」
ざわつきが、一段大きくなる。
「え、そこまで見るの?」
「やば……」
(……違う)
ラーナは、じっとレオを見る。
(見てる場所が違う)
同じ患者。
同じ情報。
なのに。
(……一段、深い)
⸻
レオがふと、こちらを見る。
目が合う。
にやっと笑う。
「惜しかったね、“答え”は合ってたのに」
小さく、口の動きだけで言う。
(……は?)
一瞬で、感情が揺れる。
でも。
(……違う)
悔しさだけじゃない。
(……なんで)
理解できないものへの引っかかり。
⸻
実習が終わる。
廊下。
人がばらけていく。
ラーナは一人で歩く。
(……負けた?)
その言葉が、浮かぶ。
(違う)
即座に否定する。
(まだ、テストじゃない)
(……でも)
さっきの光景が、頭から離れない。
⸻
休憩スペース。
学生たちの輪の中心にレオがいる。
「さっきのやつすごくない?」
「いやあれ普通気づかないって」
軽い笑い声。
「まあ運いいだけでしょ」
そう言いながらも、否定はしない。
「てかレオって彼女いんの?」
「それ今聞く?笑」
適当に流す。
距離が近い。
空気に馴染んでる。
――中心にいる人間のそれ。
⸻
少し離れたところ。
ラーナは一人で資料を見ている。
(……うるさい)
視線だけが、そちらに向く。
(軽い)
でも。
(……違う)
さっきのやり取りが、頭に残っている。
(あれは)
運じゃない。
⸻
ふと、レオがこっちを見る。
目が合う。
一瞬で、口元が上がる。
――来る。
ラーナは視線を落とす。
(関わらない)
そう決めているのに。
「ねえ」
もう隣にいる。
「無視?」
「……何」
短く返す。
「いやー、思ったよりちゃんとしててびっくりした」
「……は?」
「もっとガチガチの優等生かと思ってた」
横目で見る。
「ちゃんと“現場見てる顔”してたじゃん」
(……何それ)
評価されてるのか、バカにされてるのか分からない。
「でもさ」
一歩だけ、前に出る。
ラーナの進行方向を少し塞ぐ。
「悔しかったでしょ」
まっすぐ言う。
「……別に」
即答。
でも。
一瞬だけ、間があった。
レオが、それを見逃さない。
口元が、少しだけ上がる。
「出てるよ」
「……何が」
「顔に」
距離が、近い。
「分かりやすいなあ」
からかうような声。
でも。
目は、笑ってない。
「……うるさい」
一歩、引く。
「ねえ」
追ってくる。
「次のテスト」
一拍。
「やっぱりちゃんと勝負しよっか」
ラーナの足が止まる。
「どっちが上か」
「はっきりさせよ?」
軽い口調。
でも。
逃がさない声音。
——沈黙。
(……関わらないはずだったのに)
「……いいよ」
ラーナは、振り返る。
目は、まっすぐ。
「やればいい」
一瞬。
レオの目が、わずかに細くなる。
――面白いものを見つけたみたいに。
「いいね」
楽しそうに笑う。
「やっぱそうこなくちゃ」
「負けないから」
ラーナは、静かに言う。
「うん」
あっさり頷く。
「知ってる」
一拍。
「だから面白いんだよ」
そのまま、先に歩いていく。
軽い足取り。
振り返らない。
ラーナは、その背中を見る。
(……あいつ)
苛立ち。
でも。
(……同じだ)
あの一瞬で、分かってしまった。
余裕そうに見えて。
あれは。
(……積み上げてる側)
静かに、息を吐く。
(……負けない)
その感情は。
初めて、はっきりとした“対抗心”だった。
——あいつに対しての。




