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【書籍①巻 8/3発売!】 推しの悪女の侍女になりました 〜断罪フラグ? 推し愛で全てへし折ります〜【コミカライズ進行中】  作者: 海城あおの
第四章 ソレイユ学園編

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4. もう一人のソレイユ


ヴェル(本来のソレイユ)視点です。





 ──突然、火花が散ったように頬が痛んだ。


 だが次の瞬間、痛みがスッと消え、床が遠くなった。

 気づけば私は天井近くに浮かび、眼下の光景を見下ろしていた。

 ロザリア様の前には、頬を押さえて立ち尽くす“私”がいた。


「こんな不味いお茶を持ってくるなんて、どういうつもり!?」


 鋭い叱責が部屋に響く。

 お茶を用意したのは、確かに私だった。

 ロザリア様から「紅茶を用意しなさい」と命じられ、紅茶を淹れ、部屋まで運んだ。そして怒られませんようにと震えながら、カップを置いた。

 そこまでは間違いなく、私自身の意思で動いていた。

 けれど今、眼下にいる“私”は、私の意思とは関係なく息をし、ロザリア様を見つめている。

 手を動かそうとしても動かない。声を出そうとしても喉の感覚すらなかった。


 何が起きているのか、まるで理解できなかった。


 やがて“私”は他のメイドたちに引きずられるようにして、部屋の外へ連れ出された。

 すると私も見えない糸に引かれるように、その後を追って移動した。まるで“私”の頭上に縛りつけられているようだった。

 混乱している私とうってかわって、“私”は窓の外に広がる雨模様を静かに見つめていた。そして次の瞬間、ものすごい勢いでキッチンへ駆け出した。驚いたメイドが声をかける。


「ちょっと、ソレイユ!? さっき怒られたばかりなのに、どこへ行くの!?」


 すると“私”は、迷いなく答えた。


「ロザリア様のお部屋へ行ってきます!」


 そう言って、茶葉とティーセットを手に取り、再びロザリア様の部屋へ向かって走っていく。私は上空から、その一部始終を呆然と見つめていた。

 自分の顔が、自分の知らない表情を浮かべている。

 自分の口が、自分のとは思えない言葉を話している。

 自分の体が、自分の意思とは無関係に動いている。

 胸の奥から湧き上がったのは、恐怖と怒りだった。


「わ、私の体よ!」


 上空から必死に叫ぶ。


「返して! その体は、私のものよ!!」


 だが、その声は誰にも届かなかった。

 十八年間、私はソレイユ・フランとして生きてきた。

 嬉しいことも、苦しいことも、全てこの体と共に味わってきた。それなのに今は、見ず知らずの誰かが私の体を使っている。


(怖い)

(助けて)


 けれど誰も、そこに私がいることすら気づいてくれない。

 私は存在しない唇を噛みしめるようにして、“私”を睨み続けた。


 一週間が経った。

 その間も私は、“私”の頭上を漂いながら、その生活を眺め続けていた。


 私の体に入ってきた人間は、ひどく奇妙な人だった。


 まず、あのロザリア様の専属侍女になった。

 ロザリア様の侍女は二か月も続かないことで有名だった。それほど気性が激しく、使用人への当たりも強いからだ。

 ところが“私”は、専属侍女に選ばれたことを心の底から喜んでいた。水をかけられても、平手打ちをされても、何故か嬉しそうに笑っている。

 見ているこちらが肝を冷やすような状況でも、“私”はにこにことしてロザリア様の世話を焼き続けた。

 意味が分からなかった。頭がおかしいのではないかと何度も思った。


 半年が経つ頃には、私はこの奇妙な生活に慣れ始めていた。

 体を取り戻したいという気持ちは消えていない。だが、“私”の周りで起きる出来事があまりにも新鮮で、目を離せなくなっていたのも事実だった。


 ロザリア様とダミアン様を引き合わせたこと。

 カゼッタでは、ロザリア様と楽しそうに酒を飲んだこと。

 男装して、ロザリア様のエスコートを務めたこと。


 何をするにしても、“私”の行動には一つの想いがあった。


「ロザリア様を幸せにしたい」


 ただ、それだけだった。

 そんな“私”を見ながら、両親の言葉を思い出していた。


『ヴェルは体が弱いんだから』

『家族なら支えるのが当然だろう?』


 私はヴェルを支えることでしか、自分の居場所を作れなかった。

 給金を送れば褒められた。我慢すれば良い姉だと言われた。逆らえば家族を見捨てるのかと責められた。

 だから誰かを愛することは、耐えることだと思っていた。自分を削り、役目を果たすことだと思っていた。


 私は知らなかった。

 こんな風に、見返りを求めることなく誰かを愛せることを。


 私が体を離れてから、一年が経った頃だった。

 その夜、“私”はベッドで静かな寝息を立てていた。


「ロザリアさまぁ……」


 寝ぼけた声で名前を呼び、幸せそうに頬を緩めている。

 私は思わずくすりと笑った。そのまま窓辺へ視線を移し、夜空に浮かぶ月を眺める。すると不意に声がした。


「姉さん」


 驚いて振り返る。

 そこには──ヴェルがいた。

 私と同じように宙に浮かび、体は向こう側が透けて見えるほど半透明になっていた。


(なぜ、実家にいるヴェルが? それにこの体は……?)


 疑問を口にするより先に、彼は寂しそうに笑った。


「僕、死んじゃったみたい」


 その言葉を聞いても、思ったほど驚かなかった。

 ヴェルは生まれた時から体が弱く、ほとんど屋敷の外へ出たことがなかった。どれほど薬を飲んでも良くなる気配はなかった。


「そう、なのね」


 それだけ答えると、ヴェルは申し訳なさそうに目を伏せた。


「姉さん、ごめん。僕の治療費のために、ずっと……」

「気にしないで。家族でしょう」


 いつもと同じ言葉が、すらりと口から出た。

 するとヴェルは寂しそうに笑った。見ているだけで胸が痛むような、静かな笑みだった。

 家族のために支えるのは当然。

 それは両親から何度も聞かされ、私自身も信じ込もうとしてきた言葉だった。私が心からそう思っているわけではないと、ヴェルには分かっていたのかもしれない。

 居心地の悪さを隠すように、私は話題を変えた。


「今の貴方の体は、屋敷にいるの?」

「うん。眠っていたら、急に息が苦しくなって、そのまま。まだ誰も気づいていないけど」


 ヴェルは力なく微笑んだ。


「死後の世界へ行く前に、せめて姉さんに会いたいと思ったんだ。でも……」


 そう言いながら、ベッドで眠る“私”へ視線を向ける。目の前の状況が理解できず困惑しているのだろう。

 私は、一年前に自分の身に起きたことを話した。

 そして、この一年間で“私”がしてきたことも。

 ヴェルは“私”の突拍子もない言動に驚き、呆れ、やがて声を上げて笑った。こんな風に弟とゆっくり話したのは初めてだった。

 病気のことも、お金のことも、両親のことも考えずに、ただ二人で一つの話をして笑う。

 それが、不思議なくらい心地よかった。

 一通り話し終えると、ヴェルは楽しそうに“私”を見下ろした。


「ずいぶん変な人が、姉さんの体に来たんだね」

「まったくよ」


 そう返すと、ヴェルはまた小さく笑った。

 けれど、やがてその笑みは消えた。


「もっと姉さんと、こんな風に話せばよかった」


 ぽつりと呟く。


「もっと色々なところへ行きたかった」


 その声に胸の奥が締めつけられた。

 ヴェルは、優しい子だった。

 仕送りを求める両親の言葉には何度も傷つけられた。それでも私は、ヴェル自身を嫌いになることだけはできなかった。

 きっとヴェルも、自由ではなかったのだ。

 過保護な両親に守られ、屋敷の外をほとんど知らないまま、病人として生きることを求められていた。病気の体を守るためには、それが正しかったのかもしれない。

 だが外の世界を知らないまま、あの屋敷で静かに死を待つような日々を送ることが、ヴェルにとって本当に幸せだったのだろうか。

 私は拳を握りしめた。


「ねえ、ヴェル」

「何?」

「私が……貴方の体で生きるのはどう?」


 ヴェルは驚いたように私を見つめた。


「貴方が見られなかったものを、私が見るの。貴方が行けなかった場所へ、私が行く」

「それは……姉さんが、僕の体に入るってこと?」

「ええ。できるかどうかは分からないけれど」

「でも、そうしたら姉さんの体は……」


 ヴェルはそこで言葉を切った。何を言いたいのかは分かった。

 私はベッドで眠る“私”を見下ろした。

 もちろん、自分の体に未練がないわけではない。十八年間を共に生きてきた、たった一つの体だ。


 けれど、私はこの一年間を見てきた。

 この人がどれほど他者のために行動し、どれほど懸命に生きてきたのかを。


「いいの」


 自分が思うより、穏やかな声が出た。


「この人になら、託してもいい」


 私が答えると、ヴェルはしばらく視線を揺らした。

 やがて迷いを振り切るように、まっすぐ私を見つめた。


「うん」


 そして、泣きそうな顔で笑った。


「僕の分まで、生きて」


 その言葉とともに、ヴェルの体がさらに透き通っていく。

 別れが近いのだと分かって、私は何かを言おうとした。けれど──言葉が見つからなかった。

 ヴェルは消える直前、目を細めて言った。


「ありがとう、姉さん」


 その姿が完全に消える。私は、ヴェルがいた場所を見つめたまま動けなかった。

 そこには細い光の糸が残されていた。淡く輝きながら、窓の外へと続いている。

 これまで私はどれほど強く願っても、自分の体から遠く離れることができなかった。

 

 けれど──今は違う。

 

 光の糸は窓の外へ伸び、遠い場所へと続いていた。

 ヴェルが私を受け入れてくれたからだろうか。あの光を辿れば、彼の体へ行ける。

 理由は分からないが、なぜか確信できた。


 窓の外を見る。

 遠い空はわずかに白み始め、夜が明けようとしていた。

 時間はあまり残されていない。

 両親や使用人がヴェルの体を見れば、すぐに死んでいることに気づくだろう。その前に辿り着かなければならない。

 最後にもう一度、ベッドで眠る“私”を見下ろす。


「この体を、お願いね」


 返事はない。

 それでも“私”は、ロザリア様の名を小さく呟きながら、幸せそうに眠っていた。

 私は光の糸へ手を伸ばす。

 そしてその導きを辿るように、故郷の屋敷へと飛んでいった。




お読みいただき、ありがとうございます。


本日8月3日、『推しの悪女の侍女になりました 〜断罪フラグ? 推し愛で全てへし折ります〜』

第1巻が発売されました!


こうして発売日を迎えられたのも、応援してくださった皆様のおかげです。

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WEB版からの加筆や書き下ろしエピソード、9枚もある挿絵なども、

ぜひ楽しんでいただけたらと思います。


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『推しの悪女の侍女になりました』が
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書籍版では、WEB版の加筆に加え
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書き下ろし短編を2編収録しています。


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― 新着の感想 ―
なぜに憑依が成立したのかまだ謎ですね。 弟さんが亡くなった時にしか、まともに姉弟が話せなかったって、切ない。
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