番外編:ルジェが女神に惹かれた理由
ルジェがフィローレに執着するようになったきっかけのエピソードです。
ある日の放課後、ルジェはいつものように学園の大聖堂を訪れていた。ここは学園の生徒なら誰でも祈ることができるよう、常に開放されているのだ。
ステンドグラスは月明かりを受けて輝き、アストレイヤ様の彫刻は世界を見下ろすように佇んでいる。その沈んだ静謐が、ルジェは好きだった。
特に生徒たちが帰った後の、完全な静寂が訪れる時間がお気に入りだった。
だが、その日は違った。先客がいたのだ。
桃色の髪を持つ女生徒が、祭壇の前で深く祈りを捧げている。祈りに没頭するあまり、ルジェが入ってきたことにも気づいていない。
(この女性は……)
名前は何度も耳にしていた。フィローレ・ランシェ。
元々は平民だったが、光の魔法に目覚めたことで男爵家へ引き取られた女性。
教会派の間では、彼女を巡って意見が割れていた。
「女神の祝福を受けた存在として讃える者」と「平民上がりだと不満を漏らす者」。ルジェはどちらにも属さず、周りの動向を冷静に観察していた。下手に関われば、勢力争いに巻き込まれ、今まで積み上げてきた地位も評判も一気に崩れ去ってしまう。もちろん、フィローレ本人にも必要以上に近づかないよう注意してきた。
(出直した方がいいか)
ここで関わりを持ってしまえば、今までの努力が水の泡だ。踵を返そうとしたその瞬間、祈りを終えたフィローレが顔を上げた。水色の瞳が、こちらをまっすぐ射貫く。
そして静かに──微笑んだ。
ステンドグラス越しに差し込む月明かりが、色とりどりの影を大聖堂の床へ落としている。
アストレイヤ様の彫刻は半分だけ光を受け、もう半分は闇に沈んでいた。大聖堂には風の音すらなく、世界が息を潜めているようだった。
フィローレは歌うように名を呼んだ。
「ルジェ様、ですね?」
「ど、どうして僕の名前を……」
声が掠れていた。一歩後ずさりする。
フィローレは軽やかに近づいてくる。石床に響く革靴の音だけが、静寂の中でやけに大きく響いた。
そしてルジェの前に立ち止まり、小首を傾げる。桃色の髪の毛がさらりと揺れ、月光を受けて淡い輝きを宿した。
「ずっとお話ししてみたかったんです」
「なぜ……」
問いかけようとした瞬間、フィローレは両手をそっと目の前に差し出した。
まるで壊れやすい大切な何かを守るような優しい仕草。すると手のひらの間で、温かい光が生まれた。ぽわり、と淡い光が花開く。
その光を眺めていると、胸の奥がじんわり緩んでいくようだった。酔ったように頭がぼうっとし、思考が甘く溶けていく。
ステンドグラス越しの月明かり。アストレイヤ様の神秘的な横顔。風の音さえも聞こえない夜の静けさ。
その中心で──フィローレが美しく微笑んでいた。
世界を構成する全てが、神話の一ページのように思えた。
(あぁ……僕は今、女神の前にいるんだ)
この瞬間のために生きている。そう思うほどの恍惚だった。
もっとだ。もっと深く、もっとすべてを。
命のすべてを、この方へ捧げなければ。
胸が熱くなり、魂が震えた。
心臓が締め付けられるほどの崇拝がこみ上げ、膝が折れそうになる。
そんなルジェの様子を見ながら、フィローレは小さく呟いた。
「ふふ、効き目は十分ね」
何のことか分からない。ただフィローレが満足そうに笑っている。その事実だけで十分だった。
彼女は言葉を紡ぐ。
「貴方にお願いしたいことがあるの」
「はい、何でもおっしゃってください」
「ふふ」
フィローレは小さな宝物を手に入れた子供のように、かわいらしく微笑んだ。
彼女のお願いを聞き終えたルジェは、迷いなど微塵もなく、大きく頷く。
「お任せください。『手札』として使える女が何人かいますから」
「手札?」
「えぇ。勝手に僕に惚れて、勝手に僕に尽くしてくれる連中です」
「まあ……なかなかの良い性格ね。原作通りだわ」
「原作」という単語が何のことか分からなくて、ルジェは首を傾げる。しかしフィローレは曖昧に微笑むだけだ。
ルジェもつられて微笑む。意味など分からなくてもよかった。
フィローレが望むのなら、きっとそれが正しいのだ。
たとえ自分の手が汚れようと、たとえ誰かの人生を踏みにじろうと、ルジェは構わなかった。
フィローレが笑ってくれるなら、全て報われるのだから。
番外編をお読みいただき、ありがとうございます!
久しぶりに(クズキャラ)ルジェ君を書けて楽しかったです(笑)
そしてお知らせです!
このたび、本作が8/3に書籍として発売されます!
予約ページも公開されております。
発売日にも改めてお知らせしますので、気になる方はぜひチェックしていただけたら嬉しいです。
(下にリンクがあります)




