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推しの悪女の侍女になりました 〜断罪フラグ? 推し愛で全てへし折ります〜【書籍化・コミカライズ】  作者: 海城あおの
第三章 ダミアン過去編

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12.ロザリア様の決意


 

 ジュールは断片化された記憶をひとつずつ拾い直すように、時間をかけて語った。

 私とロザリア様は何も言えず、重い沈黙が部屋を包んでいた。

 ジュールは彫り終えた金属を布で磨きながら、淡々と手を動かしている。小さな金属片がこすれる音だけが、静まり返った部屋に響いていた。

 沈黙をやぶったのはジュールだった。


「屋敷を飛び出して、この街で暮らしはじめて、ようやく気づいたんだ。母親の俺への当たりが弱くなったのは、『受け皿』ができたからじゃないかと」

「受け皿?」

「──ダミアンのことだよ」


 ロザリア様が小さく息を呑む音が聞こえた。


「あの女は、自分の理想も、不満も、弱さも、全てを受け止めてくれる誰かを求めていた。父親も、セドリックも、その役割を放棄した。きっとダミアンが全てを……」


 最後まで語らず、ジュールは磨いた金属を机に置いた。ジュールは「ふう」と息を吐く。


「アイツに『借り』があるのはそういうことだ。アイツがいたから、俺は生きて来れたんだ」


 彼はそう言って、金属片を優しく撫でた。まるで、なくしてしまった大切な何かを撫でるように。

 彼らにそんな過去があったのかと、胸の奥が重くなる。うまく息ができなかった。

 沈黙の中、ロザリア様は静かに口を開く。


「ジュール様」

「……何だ」


 無愛想に返答したジュールに、ロザリア様は驚くべきことを言った。


「『ルストレア』で新商品を出しませんか?」

「はぁ!?」


 ジュールは声を荒げる。ロザリア様の発言に、思わず私まで目を見開いてしまう。

 しかしロザリア様の表情は、微塵も揺れていなかった。片手で髪をかきあげ、迷いなく頷く。


「俺の話、聞いてたか? ここで提案するか!? 今!?」

「今だからこそ、です」


 感情を露わにし、声を張り上げるジュール。

 ロザリア様は机の上に置かれた金細工を指先でつまみ上げ、ジュールの目の前へ掲げた。


「貴方が『出来損ない』? 笑わせないで」


 ロザリア様の声が、工房の埃っぽい空気を切り裂いた。

 ジュールは不機嫌そうに口を開こうとした。だが彼女の瞳に宿る圧倒的な熱に射抜かれ、言葉を飲み込む。


「これほど緻密な細工……エルフェリア王国の宮廷職人でも再現は難しい。持って生まれたセンスに加え、公爵家で本物を見続け、培われた観察眼があるのでしょう」

「……」

「十五年前のあなたは、ただ逃げることしかできなかった。けれど、今のあなたには『強力な武器』がある」


 そこでロザリア様は言葉を止め、息を吸った。


「──ダミアン様に、借りを返したいのでしょう?」


 ロザリア様の言葉に、ジュールは「う」と喉を詰まらせた。そして腕を組み、「あー」「うー」やらと意味のない声を漏らしながら唸る。

 やがて「はぁ」と大きくため息をついた。

 乱暴に髪を掻きむしり、投げやりな口調で吐き捨てる。


「……分かったよ。やればいいんだろ!」

「えぇ」

「……ったく」


 ぶつぶつと文句を言うジュール。口調は荒々しいが、拒む気はなさそうだった。ロザリア様は満足げに唇に弧を描く。

 ジュールはロザリア様をちらりと見て、呆れたように目を細めた。


「ダミアンも癖のある女を選んだもんだ……」

「……別にダミアン様に選ばれたわけではありませんが」


 先ほどまで軽やかだったロザリア様の口調が、ほんのわずかに陰った。

 ジュールは一瞬だけぽかんとしたあと、さらに呆れたような目を向けた。


「アイツが誰にでもホイホイ優しいわけないだろ。腐っても公爵家の息子だぜ? 一緒にブランドを立ち上げるなんて、信頼してなきゃやらねぇ」

「……励ましてくださるのですか?」

「……違ぇ」


 ぶっきらぼうな言い方とは裏腹に、その言葉は不思議と温かい。

 ロザリア様がくすりと笑うと、部屋の空気が和やかに溶けていった。


 その後ジュールと話し合い、新商品についての相談も無事に終わった。

 工房を後にし、ロザリア様と私は夜の街へ出る。

 空はすでに暗く、ランタンの光が灯っていた。子どもたちの姿はほとんどなくなり、代わりに大人たちが酒を飲み、笑い声を上げている。

 広場に出ると、巨大な火が焚かれていた。

 炎は高く、激しく揺れ、夜の闇を力強く押し返している。

 悪魔を祓うための火だろうか。そんなことを考えていると、ロザリア様が足を止めた。

 彼女は何も言わず、煌々と燃え上がる火をじっと見つめている。


「……ソレイユ」

「はい」

「ダミアン様がいらっしゃるのは、エリアール国だったわよね?」

「! はい……」


 炎の揺らめきが、ロザリア様の頬に影を落とす。ゆらゆら、ゆらゆらと踊っている。

 その揺らめきを見ていると、不思議な感覚に陥る。何か抗えない力に、心ごと引き寄せられるようだ。

 私は思い切って尋ねる。


「ダミアン様に、お会いになるのですか?」


 ロザリア様は、ゆっくりと私の方を見た。

 赤い瞳の中で、炎が小さく揺れている。

 周囲の喧騒が、すっと遠ざかる。まるでこの世界に、私たち二人だけが取り残されたかのようだ。

 不意に、ロザリア様は胸元を押さえた。胸ポケットには、ジュールから渡された試作品が収められている。

 やがて静かに、だけど強い意志を滲ませた口調でロザリア様は言った。


「えぇ」


 ロザリア様は一瞬だけうつむき、炎の方へ視線を戻した。

 揺れる火は、彼女の横顔を赤く染めては、また闇に溶けていく。


「知らなくてもいい。……知らない方がいいのかもしれない」

「……」

「今の関係が壊れてしまう可能性があるなら」


 口調は淡々としているのに、その奥に迷いが滲んでいる。

 ロザリア様は一度、息を整えるように唇を閉じた。


「だけど、私は……」


 言葉が形になる前に、わあっ!と歓声があがった。子どもたちが一斉に空を指さし、はしゃいでいる。

 視線を上げると、雪が舞っていた。

 はらはらと、音も無く、夜の空から降り注いでいる。街を白く染めながら、世界を包み込んでいく。

 私たちはしばらく、何も言わずにその雪を見ていた。


「……私は、知りたい」


 ふと隣から、小さな声が聞こえたような気がした。

 その声は、子どもたちの喧騒や雪にかき消されてしまって、よく聞こえなかった。



 *


 エリアール国へ到着した。

 目の前には、サンベルク家の別荘である大きな屋敷がそびえ立っている。

 格式の高さを感じさせる外観を前にしながら、私は曇天の空を見上げた。重く垂れ込めた雲が、胸の奥に嫌な予感を落としてくる。

 急な訪問のため、ダミアンには事前に手紙を出してはいなかった。それでも屋敷の執事は、ロザリア様の名前を出すと快く迎えてくれた。


「ダミアン様は、もう間もなくお戻りになるかと」

「では、それまで待たせてもらいますわ」


 執事と別れ、案内された部屋に入ろうとした時だった。

 廊下の奥から、思わぬ人物が歩いてくる気配がした。ロザリア様の顔が露骨に歪む。


「久しぶりだな」

「……セドリック様」

「『ロズ商会』は随分と苦労しているように見える。俺と手を組む気にはなったか?」


 職人たちに圧をかけた張本人にも関わらず、この言い草。白々しいにもほどがある。

 私は奥歯を噛みしめ、込み上げる怒りを必死で抑え込んだ。

 ロザリア様は氷のように冷え切った声で答える。


「いえ、全く」

「ほう?」


 セドリックは予想外だと言いたげに片眉を上げた。

 ロザリア様の表情を見て、強がりではないと察したのだろう。セドリックは面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「何か手を打ったのか?」

「お答えする義務はありませんわ」


 冷たく、突き放すような口調だった。

 両者の睨み合いが続く。ひりつくような緊張が満ち、廊下の空気が張り詰めていく。呼吸をすることさえ苦しい。

 ──その時だった。

 革靴の踵が、床を叩く音が響いた。

 足音の方向を向き、ロザリア様ははっと目を見開く。

 そこには状況を理解できず、戸惑った表情で立ち尽くすダミアンがいた。


「ロザリア様……それに、兄さんも。どうしてこちらに?」


 困惑を隠せない声で問いかけるダミアン。彼の問いに答えたのはセドリックだった。

 肩をすくめ、軽い調子で口を開く。


「『ロズ商会』が、なかなか大変な状況と聞いてな」

「なっ……!」

「大変な状況……?」


 ダミアンは言葉の意味を掴めず、探るようにロザリア様を見つめた。だが彼女はすぐに答えられなかった。何から説明すべきか、どこまで話すべきか、逡巡しながら言葉を失っている。

 そんな一瞬の迷いを見逃さず、セドリックは口を挟んだ。


「エルフェリア王国の職人が、軒並み使えなくなったそうだ」

「国内の職人が……?」

「だから俺が、代案を用意してやった」


 セドリックは片頬だけで笑い、高らかに言った。


「ロザリア・ヴァレンティーノを、俺のもとに引き抜く」


 その瞬間、ダミアンの目が大きく見開かれた。

 ロザリア様は耐えきれず声をあげる。


「セドリック様! 貴方の提案は、きっぱりとお断りしたはずです」

「なら、ダミアンに判断してもらおう」


 まさかの提案にロザリア様は絶句する。セドリックは面白そうに口角を上げた。


「考えろ、ダミアン。どちらがロザリアのためになる?」


 その問いに、ダミアンは何一つ言葉を発しなかった。

 廊下には重たい沈黙が流れ続ける。

 やがてその沈黙に飽きたかのように、セドリックは呆れた息を吐いた。


「……お前は、本当に変わらないな」


 苛立ちを含んだ息を吐き捨てる。


「場が荒れそうになると、すぐ空気を読む。誰かが傷つきそうになれば、黙り込む」


 責めるというより、嘲るような口調だった。そこに優しさは、欠片もない。

 それでも、ダミアンは沈黙を選び続けた。

 私は彼の表情を、ちらりと盗み見る。そして息を呑んだ。

 ダミアンの顔に浮かんでいたのは、怒りでも悲しみでもなかった。

 逃げることも、抗うことも許されず、ただ耐えることだけを覚えさせられた人間の顔だった。

 まるで叱責が降り注ぐのを待つ子供のように、彼は何も言えず、何も選べず、その場に立ち尽くしている。

 その痛々しい表情に、胸が軋んだ。

 セドリックはそんな彼を一瞥し、ロザリア様に向き合った。


「もう一度言っておく。俺のところへ来たければ、いつでも歓迎してやろう」


 ロザリア様は一言も答えず、赤い瞳で睨み返す。

 セドリックはそれ以上言わず、くるりと踵を返した。革靴の音を響かせながら、廊下の向こうへと消えていく。

 重たい静寂が、しばらくその場を支配する。誰も、すぐには言葉を発せなかった。

 やがてロザリア様が何か言おうと息を吸った、その時だった。ダミアンは力なく微笑む。


「……お見苦しいところを」


 そう言い残し、ダミアンは踵を返した。


「ダミ……」


 ロザリア様は名を呼ぼうとする。

 だが、その声が形になる前に、ダミアンは去ってしまった。一度も振り返ることなく、廊下の向こうへと消えてしまう。

 胸の奥に、鈍い痛みが広がっていく。この場に残されたロザリア様の心を思うと、苦しくて仕方がなかった。


(何か、声をかけなければ──)


 そう思い、彼女の顔を見た瞬間、思わず目を見開く。

 そこにいたのは、今にも崩れそうな主人の姿ではなかった。

 強く、揺るぎない決意を宿したロザリア様の姿だった。


「ソレイユ、部屋で待機してくれる?」


 そう告げると同時に、ロザリア様は迷いなく一歩踏み出す。


「行かれるのですか?」


 思わず、そんな言葉が口をついて出た。

 ロザリア様は足を止めることなく、覚悟を決めた声で言う。


「当然よ」


 そして真っ直ぐ、ダミアンが消えた方向へと歩いて行った。



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