12.ロザリア様の決意
ジュールは断片化された記憶をひとつずつ拾い直すように、時間をかけて語った。
私とロザリア様は何も言えず、重い沈黙が部屋を包んでいた。
ジュールは彫り終えた金属を布で磨きながら、淡々と手を動かしている。小さな金属片がこすれる音だけが、静まり返った部屋に響いていた。
沈黙をやぶったのはジュールだった。
「屋敷を飛び出して、この街で暮らしはじめて、ようやく気づいたんだ。母親の俺への当たりが弱くなったのは、『受け皿』ができたからじゃないかと」
「受け皿?」
「──ダミアンのことだよ」
ロザリア様が小さく息を呑む音が聞こえた。
「あの女は、自分の理想も、不満も、弱さも、全てを受け止めてくれる誰かを求めていた。父親も、セドリックも、その役割を放棄した。きっとダミアンが全てを……」
最後まで語らず、ジュールは磨いた金属を机に置いた。ジュールは「ふう」と息を吐く。
「アイツに『借り』があるのはそういうことだ。アイツがいたから、俺は生きて来れたんだ」
彼はそう言って、金属片を優しく撫でた。まるで、なくしてしまった大切な何かを撫でるように。
彼らにそんな過去があったのかと、胸の奥が重くなる。うまく息ができなかった。
沈黙の中、ロザリア様は静かに口を開く。
「ジュール様」
「……何だ」
無愛想に返答したジュールに、ロザリア様は驚くべきことを言った。
「『ルストレア』で新商品を出しませんか?」
「はぁ!?」
ジュールは声を荒げる。ロザリア様の発言に、思わず私まで目を見開いてしまう。
しかしロザリア様の表情は、微塵も揺れていなかった。片手で髪をかきあげ、迷いなく頷く。
「俺の話、聞いてたか? ここで提案するか!? 今!?」
「今だからこそ、です」
感情を露わにし、声を張り上げるジュール。
ロザリア様は机の上に置かれた金細工を指先でつまみ上げ、ジュールの目の前へ掲げた。
「貴方が『出来損ない』? 笑わせないで」
ロザリア様の声が、工房の埃っぽい空気を切り裂いた。
ジュールは不機嫌そうに口を開こうとした。だが彼女の瞳に宿る圧倒的な熱に射抜かれ、言葉を飲み込む。
「これほど緻密な細工……エルフェリア王国の宮廷職人でも再現は難しい。持って生まれたセンスに加え、公爵家で本物を見続け、培われた観察眼があるのでしょう」
「……」
「十五年前のあなたは、ただ逃げることしかできなかった。けれど、今のあなたには『強力な武器』がある」
そこでロザリア様は言葉を止め、息を吸った。
「──ダミアン様に、借りを返したいのでしょう?」
ロザリア様の言葉に、ジュールは「う」と喉を詰まらせた。そして腕を組み、「あー」「うー」やらと意味のない声を漏らしながら唸る。
やがて「はぁ」と大きくため息をついた。
乱暴に髪を掻きむしり、投げやりな口調で吐き捨てる。
「……分かったよ。やればいいんだろ!」
「えぇ」
「……ったく」
ぶつぶつと文句を言うジュール。口調は荒々しいが、拒む気はなさそうだった。ロザリア様は満足げに唇に弧を描く。
ジュールはロザリア様をちらりと見て、呆れたように目を細めた。
「ダミアンも癖のある女を選んだもんだ……」
「……別にダミアン様に選ばれたわけではありませんが」
先ほどまで軽やかだったロザリア様の口調が、ほんのわずかに陰った。
ジュールは一瞬だけぽかんとしたあと、さらに呆れたような目を向けた。
「アイツが誰にでもホイホイ優しいわけないだろ。腐っても公爵家の息子だぜ? 一緒にブランドを立ち上げるなんて、信頼してなきゃやらねぇ」
「……励ましてくださるのですか?」
「……違ぇ」
ぶっきらぼうな言い方とは裏腹に、その言葉は不思議と温かい。
ロザリア様がくすりと笑うと、部屋の空気が和やかに溶けていった。
その後ジュールと話し合い、新商品についての相談も無事に終わった。
工房を後にし、ロザリア様と私は夜の街へ出る。
空はすでに暗く、ランタンの光が灯っていた。子どもたちの姿はほとんどなくなり、代わりに大人たちが酒を飲み、笑い声を上げている。
広場に出ると、巨大な火が焚かれていた。
炎は高く、激しく揺れ、夜の闇を力強く押し返している。
悪魔を祓うための火だろうか。そんなことを考えていると、ロザリア様が足を止めた。
彼女は何も言わず、煌々と燃え上がる火をじっと見つめている。
「……ソレイユ」
「はい」
「ダミアン様がいらっしゃるのは、エリアール国だったわよね?」
「! はい……」
炎の揺らめきが、ロザリア様の頬に影を落とす。ゆらゆら、ゆらゆらと踊っている。
その揺らめきを見ていると、不思議な感覚に陥る。何か抗えない力に、心ごと引き寄せられるようだ。
私は思い切って尋ねる。
「ダミアン様に、お会いになるのですか?」
ロザリア様は、ゆっくりと私の方を見た。
赤い瞳の中で、炎が小さく揺れている。
周囲の喧騒が、すっと遠ざかる。まるでこの世界に、私たち二人だけが取り残されたかのようだ。
不意に、ロザリア様は胸元を押さえた。胸ポケットには、ジュールから渡された試作品が収められている。
やがて静かに、だけど強い意志を滲ませた口調でロザリア様は言った。
「えぇ」
ロザリア様は一瞬だけうつむき、炎の方へ視線を戻した。
揺れる火は、彼女の横顔を赤く染めては、また闇に溶けていく。
「知らなくてもいい。……知らない方がいいのかもしれない」
「……」
「今の関係が壊れてしまう可能性があるなら」
口調は淡々としているのに、その奥に迷いが滲んでいる。
ロザリア様は一度、息を整えるように唇を閉じた。
「だけど、私は……」
言葉が形になる前に、わあっ!と歓声があがった。子どもたちが一斉に空を指さし、はしゃいでいる。
視線を上げると、雪が舞っていた。
はらはらと、音も無く、夜の空から降り注いでいる。街を白く染めながら、世界を包み込んでいく。
私たちはしばらく、何も言わずにその雪を見ていた。
「……私は、知りたい」
ふと隣から、小さな声が聞こえたような気がした。
その声は、子どもたちの喧騒や雪にかき消されてしまって、よく聞こえなかった。
*
エリアール国へ到着した。
目の前には、サンベルク家の別荘である大きな屋敷がそびえ立っている。
格式の高さを感じさせる外観を前にしながら、私は曇天の空を見上げた。重く垂れ込めた雲が、胸の奥に嫌な予感を落としてくる。
急な訪問のため、ダミアンには事前に手紙を出してはいなかった。それでも屋敷の執事は、ロザリア様の名前を出すと快く迎えてくれた。
「ダミアン様は、もう間もなくお戻りになるかと」
「では、それまで待たせてもらいますわ」
執事と別れ、案内された部屋に入ろうとした時だった。
廊下の奥から、思わぬ人物が歩いてくる気配がした。ロザリア様の顔が露骨に歪む。
「久しぶりだな」
「……セドリック様」
「『ロズ商会』は随分と苦労しているように見える。俺と手を組む気にはなったか?」
職人たちに圧をかけた張本人にも関わらず、この言い草。白々しいにもほどがある。
私は奥歯を噛みしめ、込み上げる怒りを必死で抑え込んだ。
ロザリア様は氷のように冷え切った声で答える。
「いえ、全く」
「ほう?」
セドリックは予想外だと言いたげに片眉を上げた。
ロザリア様の表情を見て、強がりではないと察したのだろう。セドリックは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「何か手を打ったのか?」
「お答えする義務はありませんわ」
冷たく、突き放すような口調だった。
両者の睨み合いが続く。ひりつくような緊張が満ち、廊下の空気が張り詰めていく。呼吸をすることさえ苦しい。
──その時だった。
革靴の踵が、床を叩く音が響いた。
足音の方向を向き、ロザリア様ははっと目を見開く。
そこには状況を理解できず、戸惑った表情で立ち尽くすダミアンがいた。
「ロザリア様……それに、兄さんも。どうしてこちらに?」
困惑を隠せない声で問いかけるダミアン。彼の問いに答えたのはセドリックだった。
肩をすくめ、軽い調子で口を開く。
「『ロズ商会』が、なかなか大変な状況と聞いてな」
「なっ……!」
「大変な状況……?」
ダミアンは言葉の意味を掴めず、探るようにロザリア様を見つめた。だが彼女はすぐに答えられなかった。何から説明すべきか、どこまで話すべきか、逡巡しながら言葉を失っている。
そんな一瞬の迷いを見逃さず、セドリックは口を挟んだ。
「エルフェリア王国の職人が、軒並み使えなくなったそうだ」
「国内の職人が……?」
「だから俺が、代案を用意してやった」
セドリックは片頬だけで笑い、高らかに言った。
「ロザリア・ヴァレンティーノを、俺のもとに引き抜く」
その瞬間、ダミアンの目が大きく見開かれた。
ロザリア様は耐えきれず声をあげる。
「セドリック様! 貴方の提案は、きっぱりとお断りしたはずです」
「なら、ダミアンに判断してもらおう」
まさかの提案にロザリア様は絶句する。セドリックは面白そうに口角を上げた。
「考えろ、ダミアン。どちらがロザリアのためになる?」
その問いに、ダミアンは何一つ言葉を発しなかった。
廊下には重たい沈黙が流れ続ける。
やがてその沈黙に飽きたかのように、セドリックは呆れた息を吐いた。
「……お前は、本当に変わらないな」
苛立ちを含んだ息を吐き捨てる。
「場が荒れそうになると、すぐ空気を読む。誰かが傷つきそうになれば、黙り込む」
責めるというより、嘲るような口調だった。そこに優しさは、欠片もない。
それでも、ダミアンは沈黙を選び続けた。
私は彼の表情を、ちらりと盗み見る。そして息を呑んだ。
ダミアンの顔に浮かんでいたのは、怒りでも悲しみでもなかった。
逃げることも、抗うことも許されず、ただ耐えることだけを覚えさせられた人間の顔だった。
まるで叱責が降り注ぐのを待つ子供のように、彼は何も言えず、何も選べず、その場に立ち尽くしている。
その痛々しい表情に、胸が軋んだ。
セドリックはそんな彼を一瞥し、ロザリア様に向き合った。
「もう一度言っておく。俺のところへ来たければ、いつでも歓迎してやろう」
ロザリア様は一言も答えず、赤い瞳で睨み返す。
セドリックはそれ以上言わず、くるりと踵を返した。革靴の音を響かせながら、廊下の向こうへと消えていく。
重たい静寂が、しばらくその場を支配する。誰も、すぐには言葉を発せなかった。
やがてロザリア様が何か言おうと息を吸った、その時だった。ダミアンは力なく微笑む。
「……お見苦しいところを」
そう言い残し、ダミアンは踵を返した。
「ダミ……」
ロザリア様は名を呼ぼうとする。
だが、その声が形になる前に、ダミアンは去ってしまった。一度も振り返ることなく、廊下の向こうへと消えてしまう。
胸の奥に、鈍い痛みが広がっていく。この場に残されたロザリア様の心を思うと、苦しくて仕方がなかった。
(何か、声をかけなければ──)
そう思い、彼女の顔を見た瞬間、思わず目を見開く。
そこにいたのは、今にも崩れそうな主人の姿ではなかった。
強く、揺るぎない決意を宿したロザリア様の姿だった。
「ソレイユ、部屋で待機してくれる?」
そう告げると同時に、ロザリア様は迷いなく一歩踏み出す。
「行かれるのですか?」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。
ロザリア様は足を止めることなく、覚悟を決めた声で言う。
「当然よ」
そして真っ直ぐ、ダミアンが消えた方向へと歩いて行った。




