10.美しい推しがキレるとめちゃくちゃ怖い
「お待たせしました! ほら、挨拶して!」
背中をバン!と強く叩かれ、男性は前につんのめった。「いってぇ……」と小さく呟く声が、低く響く。
女性は私たちに頭を下げ、「ではごゆっくり」と言い残して再び路地裏へ消えた。
私は男の様子を盗み見る。
まず目を引いたのは、背の高さだった。百九十センチはあるだろう。
ボサボサの黒髪はひとまとめに結ばれ、顎には無精髭が伸びている。肌の白さが、室内で過ごす時間の長さを物語っていた。
うつむくように歩いていた彼は、顔を上げてこちらを見た。長い前髪の陰に隠れて、瞳の色までは見えない。
彼は後頭部をボリボリと掻くと、面倒そうに尋ねてきた。
「ジュールだ。俺に何の用だ?」
「こちらの商品、どれも素晴らしかったですわ」
「はぁ……どうも」
褒められても、けだるそうに答えるジュール。その口調には謙遜でも照れでもなく、ただ心底面倒そうな響きがある。
しかしロザリア様は気にした様子もなく、ジュールに尋ねる。
「単刀直入に聞きますわ。私のブランドの新商品を、依頼することは可能かしら?」
「ブランド?」
「えぇ、『ルストレア』と言うブランドなんですが」
ジュールの表情が、露骨に面倒くさそうに変わった。「関わりたくない」と顔に書かれている。
「悪いが、そういう依頼は断ってるんだ」
「報酬はお支払いしますわ」
「今のままでも細々とやっていけてるんでね。俺はのんびりとやっていたいんだ」
ジュールは気怠そうに答えた。
それでもロザリア様は諦めきれないのか、食い下がった。
「せめてお話だけでもさせていただけませんか?」
「悪いけど、忙しいんでね」
(さっき「のんびりやってる」って言ったばっかじゃない!)
心の中で思わずツッコんでしまう。
ロザリア様は小さく息を吐き、指先で頬を叩いた。そして穏やかに微笑みながら言葉を続ける。
「貴方の腕前なら、エルフェリア王国でも名を馳せられると思うのですが」
その瞬間、男の雰囲気が変わった。
「エル、フェリア……?」
「?」
ジュールの声が掠れた。その反応に、ロザリア様は首を傾げる。
先ほどまでの気怠い無関心が、跡形もなく消える。目の前の男は、石のように固まっていた。
「あの?」とロザリア様が呼びかけた瞬間、ジュールが突然、私たちの背後を勢いよく指さした。
「あ!!!」
ばっと私たちは振り返る。しかし、そこには祭りを楽しむ人々がいるだけだった。異変の気配はない。
困惑して再度ジュールの方を見るが、彼は忽然と消えていた。
代わりに──
でっかい雪だるまが鎮座していた。
ロザリア様は思わず声を出す。
「────は?」
すると雪だるまの背後で、何かが閃いた。そして空気を裂くように、何かが飛んでくる。
危機を察知した私は反射的に叫んだ。
「ロザリア様!」
そのまま彼女を庇うように体を覆い、雪の上に倒れ込む。雪の上に転がった衝撃とともに、背中にずしりとした感触がのしかかった。
痛みは──なかった。
代わりに、冷たい雪玉が後頭部を滑り落ちていった。何が起きたのかと顔をあげたとき、子どもたちが弾けるような笑い声で駆け寄ってくる。
「ねーちゃんたち、雪だらけだ!」
「ジュールおじちゃんと雪合戦してんの?」
「勝てっこないよ! おじちゃん、超つえーから!」
子どもたちはきゃいきゃいと騒ぎ立ててる。
一方で、私は心臓がバクバクと鳴るのを感じていた。
突然現れた雪だるま。さらに大量に投げ込まれた雪玉。
これは多分──魔法だ。
この世界で魔法が扱えるのは、ごく限られた貴族だけ。平民の職人が使えるはずない。さらに「エルフェリア王国」と聞いたときの反応。まさか彼は……
一人の人物が思いついたところで、雪に埋もれていたロザリア様はゆらりと立ち上がった。頭から雪がぱらぱらとこぼれ落ちる。
その視線は、ジュールが逃げたであろう路地裏を鋭く射貫いていた。
「あの男、よくも私をコケにしてくれたわね」
(ひい! ガチギレモード!!)
美しいロザリア様が怒っていると迫力がありすぎる。うっすらと微笑んでいるのがさらに恐ろしい。
ロザリア様は服についた雪を払うと、後ろにいた護衛に命じた。
「護衛たちに伝えなさい」
「はっ!」
「街を包囲するように、私服で待機。そして対象の男がいたら、捕らえて、私の元に連れてきなさい」
「はっ! どのような特徴の男でしょうか!」
「髪は黒で、手入れされていない。無精髭が生えていて、グレーのコートを着ていたわ。でも着替えている可能性があるわね……」
ロザリア様は指先でこめかみを軽く叩きながら、記憶を正確に引き出していく。
「歩幅は約八十センチ。姿勢は猫背気味。利き手は、右肩がわずかに盛り上がっていたし、おそらく右手ね。あとは職人特有の指ダコがあるわ」
あの短時間でそこまで把握していたのかと舌を巻く。
護衛は正義感に満ちた表情で敬礼し、街の中へと消えていった。
ロザリア様は私の方に向き合った。背筋を伸ばし、彼女の命令を待つ。
「ソレイユ」
「はい!」
「あそこの屋台にあるものを、すべて買い占めてくれる?」
ロザリア様は街の一角にある屋台を指さした。
予想外のものが売られており、目を丸くする。するとロザリア様は子どもたちを見下ろし、にやりと笑った。
「買収するわ」




