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きまぐれ★プレートテクトニクス 〜太平洋を横断した陸塊「大東島」〜  作者: 扶桑かつみ
引きこもりルート・戦後編

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447 【付録】第二次世界大戦後の日本帝国の軍備の変遷(3)

 ■日本軍の戦略兵器の変遷


 最初期の戦略兵器の代名詞は、その名の通りの戦略爆撃機だが、潜水艦も運用によっては戦略兵器だ。

 第二次世界大戦では、連合軍の航路破壊では潜水艦が、ドイツ本土爆撃では戦略爆撃機が猛威を振るった。

 日本軍の最初の戦略兵器も戦略爆撃機だった。

 だが原子爆弾、つまり核兵器の登場が全てを変える。

 核兵器の登場以後、戦略兵器といえば核兵器を指すようになった。


 第二次世界大戦後しばらくの日本が、外交と軍事で消極的で慎重と取れる動きが多かったのも、核兵器(原子爆弾)を開発し保有したのがアメリカ合衆国ただ一国だった影響は小さくない。


 まだ弾道弾、長距離ロケットが殆どなかったので、核兵器は戦略爆撃機に搭載された。

 初期の宇宙開発の急速な進展も、核兵器運搬手段を確保するために発展したと言っても過言ではない。

 戦略爆撃機開発能力に劣るソ連がロケット開発に非常に力を入れたのも、長距離ロケットを開発するためだった。

 そして日本も米ソに一歩遅れながらもロケット開発に力を入れて、戦略爆撃機以外の手段を手に入れる。


 そうして次の段階として、生残性、つまり攻撃を受けてもなお生き残る可能性の高い保有方法として、弾道弾を潜水艦に搭載する方法が模索された。

 頑丈な地下サイロや列車移動型の発射装置も開発、配備されたが、核兵器の威力を前にすると潜水艦への搭載が効果的だった。


 この分野では、第二次世界大戦頃に小型爆撃機を大型の潜水艦に搭載する試みをしていた日本軍 (日本海軍)に一日の長があった。

 アメリカが莫大な金を払って技術を日本から買ったほどだ。


 その日本海軍は、いち早く核弾頭が搭載可能な巡航ミサイルを搭載した潜水艦 (伊400潜型など)を実戦配備する。

 1950年代は、主に共産中華を目標とした核搭載の巡航ミサイル潜水艦が主力だった。

 だが弾道弾搭載を他国が目指したのもあり、日本も潜水艦発射型弾道弾の開発と搭載を急いだ。

 (当時はICBMか戦略爆撃機以外は、日本の勢力圏からソ連主要部には届かない。)


 1970年代になると、核兵器の投射手段が米ソ、そして日本でほぼ出揃う。

 一番は大陸間弾道弾。自国から相手国の中枢を直接攻撃できるのが最大の魅力だった。そして射程距離にやや劣る、中距離弾道弾、準中距離弾道弾が続く。

 正確さでは巡航ミサイルが優位だった。

 巡航ミサイルの発展に伴って搭載する戦略爆撃機の価値が復活したり、空中もしくは艦艇から比較的安全にかつ正確に攻撃できるようになった。


 そして日本とアメリカが汎用兵器としても重視した兵器の一つが、攻撃空母だった。

 海洋国家である日本とアメリカらしいと言え、通常攻撃が主体ながら搭載機を核兵器運搬手段として用いることで非常に柔軟な核戦力とした。


 そして日米とも、対抗する国が開発、建造するのを出来る限り阻止した。

 それほど重要であり、日本の場合はソ連崩壊後にウクライナから建造途中で半ば放置されていた大型空母を共産中華が購入しようとしたのに横槍を入れ、日本がウクライナへの手厚い経済支援を加えて購入した上でウクライナで解体させたりもしている。

 

 なお、日米の海軍力の目安は、本来なら戦略原潜と攻撃型原潜の保有数で測るべきだが、一般的には見た目で分かりやすい攻撃空母の数で見られていた。

 攻撃空母は第二次世界大戦後に、アメリカで初めて誕生した。日本での建造は、第二次世界大戦中に計画された空母の大幅な手直しで何とか保有した。

 そして中満戦争での活躍で、日米双方で新造もしくは改装により数を増した。


 だが保有数は、常にアメリカが日本の二倍以上を保有した。

 近在に海上の仮想敵が少ない日本があまり整備に熱心でないのも理由だったが、1970年までは国力差もあってアメリカが圧倒した。

 原子力攻撃空母を最初に建造したのもアメリカだった。


 日本が追いつき始めたのは1980年代だった。

 特に1982年に成立した政権は、共産主義陣営に対抗するための軍拡を謳い、海軍力の増強にも力を入れた。

 この時日本は、5年に1隻のペースで原子力攻撃空母の建造を計画する。そして円高、好景気、バブル経済による日本経済の大躍進による税収の大幅増額を背景に、次々と大型空母建造し、旧式艦を大改装した。

 計画では、1997年までに新旧合わせて8隻の大型空母が揃う予定だった。

 この頃は「現代の八八艦隊構想」などとも宣伝された。


 しかも1991年の湾岸戦争でペルシャ湾に展開した攻撃空母から発艦する艦載機の映像は、内外に大きな宣伝効果を発揮した。

 なお、この頃の海軍軍拡の副産物で、かつての大型戦艦が徹底的に近代改装されたが核兵器までは搭載しなかった。


 そうして湾岸戦争の頃、日本は6隻体制だった。

 対するアメリカは12隻体制。ちょうど二倍で、質の面でほぼ互角になった。

 しかも1980年代の日本は、日米貿易摩擦解消の為に主力艦上戦闘機をアメリカから大量購入(訓練機、予備を含めると200機近い数)しており、同じ機体が日米で装備されている。


 その後は、米ソ冷戦が終わったので過剰な軍備計画は白紙撤回され、また旧式艦は退役させ、アメリカよりも新しい空母で揃えられた

 そしてアメリカは10隻体制、日本は5隻体制と日本はアメリカの2分の1の規模を維持している。

 ただし5隻のうち1隻は練習空母状態で、通常は4隻体制で有事に1隻が実質的な現役復帰する。

 戦略兵器ですらある空母は、非常に維持経費がかかる為だ。


 米ソ冷戦後の日本海軍の戦力維持は、中華人民共和国の国力及び軍事力の拡大が理由とされた。

 湾岸戦争の2年前には、天安門事件も発生している。

 21世紀になると、1980年代に目指された8隻体制すら真剣に議論されるようになった。それが無理でも6隻体制に戻すという声は強い。

 それだけ中華人民共和国が脅威になった証だが、アメリカは逆に8隻体制に後退させる議論が行われていたのとは対照的と言える。


 そして攻撃空母だけでなく、多くの軍事力が中華人民共和国を仮想敵とするようになる。

 そうした中で核兵器だけは一部例外で、ソ連崩壊後も依然として膨大な数の核兵器を保有し続けているロシアに対抗する事が重視された。


 だが21世紀の日本帝国軍の核戦力は、米ソ冷戦時代よりも縮小していた。

 主力は8隻体制となった潜水艦発射型弾道弾を搭載した戦略原子力潜水艦。

 地上配備の大陸間弾道弾も、独自開発の新型の多弾頭弾を導入しつつ北の僻地に配備が続けられた。

 他にも大型爆撃機、攻撃型原子力潜水艦、水上艦艇搭載の巡航ミサイルがある。


 一方で、アメリカとも協力した弾道弾迎撃の為の防衛システムの構築に力が入れられている。

 しかし国土が広い範囲に及んでいるので、防衛の主軸は西日本列島と大東島、台湾に絞られている。

 また満州国も計画に参加し、迎撃システムを導入している。

 日本軍のレーダーサイトは、満州、極東共和国、韓国にも設置されている。

 弾道弾などが、ロシアと共産中華から飛んでくるからだ。


 そして、世界の核戦力はアメリカとロシアが対抗しているように、日本と共産中華が対抗している。

 ただし日本は、2020年時点でも共産中華の5倍以上の核戦力を有し、世界で最も優秀な弾道弾迎撃システムを保有するので、非常に優位にあるとされる。


 だが1発でも炸裂すれば、核兵器は極めて大きな損害、被害を発生させる。それでいて、核兵器は実戦で使われたことが一度もない。

 このためどの国も、抑止力には常に疑問を持っていると言われる。

 特に、1970年代くらいからは、実弾を使用した実験が行われなくなったので疑問は年々大きくなっていると言われる。

 

 その一方で核兵器保有国は増え続けていた。

 アメリカ、ロシア(旧ソ連)、日本、イギリス、フランス、中国、この6カ国が核兵器不拡散条約(NPT)で保有を認められた核兵器国になる。

 それ以外に、インド、パキスタン、イスラエルは勝手に保有した形で、国際問題化している。当然というべきか、NPTには加盟していない。

 他にも、かつてイラクが開発を行い、イランも開発を続行している。それ以外にも、過去に核兵器を開発した国が幾つかある。


 そうした中で、米露に次ぐ核兵器を保有、運用する日本の役割はますます大きくなるだろう。



(神の視点より:この世界に北朝鮮は存在しない。北朝鮮が核関連技術、ミサイル技術をばら撒かないので、パキスタンなどでの核開発、ロケット開発は史実とは違っている。)



 ■北方警備と防衛


 日本の北方警備、北方防衛は近代以前からあった。

 千島、荒海渡海、荒州加などの地域を、近代化以前から領有していたからだ。

 しかし帆船の時代は、冬の海に行く事そのものが危険だし、欧州列強から見て地球の果てに位置するので、安全保障上での問題はなかった。

 北米大陸の北西部が大東の近代化の前後にイギリスに奪われたに等しいが、それ以後はイギリス、アメリカも北の僻地に関心を持たなかった。


 最初に注目されたのは、ロシア帝国との対立の頃。

 既にロシアは砕氷船を保有して欧州方面で運用していたが、当時の日本には砕氷船が無かった。

 このためロシアとの対立が深まると、慌てるように砕氷船の計画、建造が開始される。

 そして1903年に、真冬に薄い氷が張る北氷海で活動できる、軽砕氷船が建造される。


 幸と言うべきか、日露戦争でロシアは太平洋方面に砕氷船を置いたり送り込まなかったので、日本の警戒は半ば杞憂に終わった。

 それどころか、既に砕氷船を保有していたので、戦争終盤には北の僻地に侵攻した陸軍部隊を支援し、広大な北氷州を獲得する要因の一つにすらなった。


 そして日露戦争後、日本帝国の領土は北極の4分の1に面するようになる。

 北氷州開発の開発、北氷州の防衛の必要性も出たし、海側から極東共和国を支援する事も考えられたため、次々に砕氷船を建造するようになる。

 氷の張った海で軍艦を先導する形だったが、一部の砕氷船は機銃程度だが武装を搭載して、北の海での哨戒船としても運用されるようになる。

 また、北氷州、荒州加の開発のために、貨物用など多数の砕氷船が整備されていった。



 問題は、北極海側で他国と国境を接すること。

 加えてソ連が、強力で大型の砕氷船を建造したこと。

 日本も対抗上で冬の北極海すら運行できる大型で強力な砕氷船を建造せざるを得なかった。

 この大型砕氷船は、最低でも1隻が現地で配置に付けるように4隻整備され、ソ連海軍と静かな睨み合いをした。


 第二次世界大戦前で、合わせて8隻の砕氷船、軽砕氷船が常に配備されていた。

 その陣容でソビエト連邦ロシア(ソ連)を警戒したが、幸いなことにソ連を敵とする事もなく、大戦を乗り切った。


 そして第二次世界大戦後、米ソ冷戦が開始される前から、ソ連を第一の仮想敵とする日本は、大戦で計画が止まっていた大型砕氷船、砕氷哨戒船複数を相次いで建造し、ソ連に対抗する。

 加えて、こちらもソ連への対抗でもある開発促進のため、商業用の砕氷貨物船の数も大幅に増やした。

 そのうちの1隻は1950年代から南極観測船として用いられ、国民に広く知られると共に親しまれた。


 また第二次世界大戦後は、国境警備は海軍ではなく海上保安庁の管轄となった。このため、海軍籍の砕氷船が移管され、さらに多数の哨戒専門の砕氷船が整備される。


 だが1977年、ソ連は原子力を動力とする大型の砕氷船を整備すると事態は逼迫する。用途は貨物だが、戦略上では日本にとって脅威だったからだ。

 このため日本でも原子力砕氷船の計画が持ち上がり、1988年に最初の原子力砕氷船が就役する。

 ただし半ば象徴的なもので、実験船とされた。

 大きさも最大級の規模を誇るが、原子力船を南極に入れるわけにはいかないと考えられたので、南極観測船にもされなかった。

 その一方で、1960年代からは南極観測専用の砕氷船が建造されるようになった。


 そしてその後、ソ連が崩壊してロシアとなるが、ロシアは国力が限られているのあり、日本の北方警備用の砕氷船も少しずつ数を減らしていった。

 だが21世紀に入ると北極の氷が溶け始め、近い将来に北極が航路として使える可能性が高まると北の海の重要性が増す。


 日本は荒海渡海、縁具海峡を経て北極と繋がっている。

 北極も緯度で見れば4分の1の範囲に及ぶ。

 だが日本は、あまり北極の海を航路として使おうとは考えなかった。

 だが、ロシアと共産中華が欧州と北東アジアを結ぶルートとして注目する。

 スエズ運河航路が約2万キロメートルなのに対して、北極航路は1万3000キロメートルほど。

 航路として使えれば高い価値があった。


 ただし、日本以外が北極海の東の玄関口である縁具海峡を使うとなると問題がある。

 縁具海峡の最も狭い場所には、真ん中あたりに島がある事もあって全て日本帝国の領海に含まれる。

 国際海峡なので民間船の航行は認めていたが、軍艦は原則禁止、最低でも事前通告が必要としていた。


 米ソ冷戦時代は、ソ連軍艦艇は航行を禁止していた。

 潜水艦が近づいた際には、追いかけ回した事件すら起きている。

 それに北東アジア入ると、大陸に至るには必ず日本の近海、さらには海峡のどれかを通る必要が出てくる。


 ロシアの時代になると一定時間前の事前通告としたが、国交を正常化してもロシア、そして共産中華の軍用艦艇は通行を禁じていた。

 そして領土問題も絡めての軍事関係なので、日中の溝が埋まることはなかった。


 このため共産中華は、北極航路問題では強硬な態度を見せるようになり、日本としても海峡警備、北の海全体の警備を強化せざるを得ず、2010年頃から再び哨戒砕氷船の増勢に転じた。

 加えて軍艦籍の砕氷船の建造も行われるようになっている。

 そしてこれからも、戦略性をさらに増した北極に直接領土を有する有力な国として存在感を増していく事だろう。


■あとがきのようなもの


 皆様、この度もお付き合いいただきありがとうございました。

 本コンテンツは私どものホームページでも更新が止まったままだったので、今まで転載は控えていました。

 ですが一部書き足したので、こうして「小説家になろう」に掲載しました。


 また本コンテンツは「ねこくち」様が2000年代初期に書かれたコンテンツを、私どもが引き継いだ形になります。

 この影響もあり、まだ未完成のルートがあります。

 できる限り完結、完成まで持っていきたいとは考えていますので、気長にお待ち頂ければ幸いです。


 コンテンツ自体への私どもの感想としては、我々の世界の日本の2倍以上あるので色々とやりやすいなあ、というのが正直な感想でした。

 我々の世界の日本の縛りの重要な幾つかがリミッター解除された状態なので、かなりのイージーモードでした。


 それではまた違う世界でお会いしましょう。

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― 新着の感想 ―
完結ありがとうございます。 やはり、自力が違うと色々変わりますね
お疲れ様でした。また別ルート連載するの楽しみにしています。
ひと先ずの完結お疲れ様でした!  極彩色の夢をありがとうございます♪  別ルート、ゆるりと楽しみにお待ちします。
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