336 2nd_War(2)
■日華開戦
1937年夏に「第二次上海事変」が起きるが、中華民国にとってあまりよいタイミングではなかった。
同年6月、ソビエト連邦ロシアで軍部に対する空前の大粛清が始まり、その事が既に諸外国にも知られていたからだ。
そしてソ連が軍事的に身動きできないことを日本人もある程度知っていたのだが、蒋介石はソ連の事情を全く考慮せずに、日本に対するリアクションを起こした。
「華独合作」に余程勢いを付けられた格好だ。
現代では、蒋介石の行動に当時青息吐息の中華共産党が関わっていたと言われる。
だが、この説は基本的に中華共産党や世界中のコミンテルン、共産主義信奉者たちが政治宣伝で一般化させただけだった。
西安事件がターニングポイントだったとも言われる。
この頃の中華共産党は、延安に命からがら逃れるも国民党軍の攻撃の前に、本当に青息吐息だった。
日本と中華民国(国民党)を戦争させようとするテロを用いた謀略も、それほど巧くいっていなかった。
満州国内では、共産党はほぼ殲滅されていたほどだ。
しかも日本は、共産党対策では国民党と連携することを日常とすらしていた。
このため瑞金からの逃避行で、よく共産党が生き残れたと言われるほどだった。
それでも1937年7月7日の「廬溝橋事件」が日華全面戦争の発端とする説が強いが、当時の日本側は単なる共産主義テロとしか考えていなかった。
軍の記録、政府の公文書、外交文書にも残されている。
廬溝橋のある北京方面でも、警戒程度は上昇したが軍はほとんど動いていない。
実質的には、テロリストの摘発を強化したぐらいだった。
その後も続いた北京(北平)方面での共産主義テロも同様に対処した。
中華国内で国民党と共産党がそれぞれ日本を攻撃したのは、単なるスタンドプレーの結果に過ぎなかった。
そして上海での日本への軍事行動は、国民党と国民党の独裁者である蒋介石が、「華独合作」で自信を得て、日本を国際的に孤立させるべく実行した事だった。
日本軍が大きく動けば、既に関係が大きく悪化しているアメリカと強く対立し、ドイツとアメリカの力を借りることで日本を排除しようというのが彼の大まかな考えになる。
かくして、10万以上(総数30万人)の国民党軍の精鋭部隊が、国際法を無視して上海租界の軍事的中立地帯に塹壕を作り、日本人の多く住む地域を半包囲し始める。
だがこれはテロではなく、明確な国家による軍事行動だった。
1937年8月に「第二次上海事変」が起きるが、日本は事態を楽観していた。
蒋介石は、明らかにヘマをしたのだ、と。
相手は国際法違反をしていたので、その事を国際社会に訴えれば、戦わずして相手が引き下がる可能性が高いと踏んでいた。
その上で、自分達は被害者となり中華民国は大きく外交失点するだけなのだから、相手のミスもいいところと言うのが事件発生当時の日本側の感想だった。
加えて、中華民国も国民党も日本軍が本気になって戦えば、すごすごと引き下がり向こうから事実上の白旗を振ってくると侮っていた。
そして実際に、日本帝国と中華民国の国力差は懸絶していた。
軍事力については、数だけは中華民国軍が多かった。だが、武器弾薬の殆どを輸入している中華民国軍は、訓練された精鋭部隊を除くほとんどが、旧時代の軍閥という名の野盗やゴロツキ、無職者の集合体であり、「軍隊」として体を成していない組織が殆どだった。
「華独合作」でさらに多くのドイツ製武器を得ることが出来たが、それは戦時に使ったらすぐに無くなる程度のものでしかない。
さらに言えば、ドイツと約束した中華民国内での兵器工場の建設は、まだ計画途上だった。
蒋介石自身も、装備を調えた国民党直属の精鋭部隊以外がアテにならない事は知っていたので、上海での日本軍攻撃には自らの子飼いの兵力を中心に差し向けた。
経緯については省略するが、初期の「上海事変」は小競り合いであり宣伝合戦だった。
しかし、日本が中華民国の国際法違反を世界に訴えても、欧米諸国の動きは低調だった。
西欧諸国は第一次世界大戦の心理的影響で、戦争や国際紛争に敏感であり、そして臆病だった。
親中派のルーズベルト大統領が率いるアメリカのように、明らかに中華民国の肩を持つ国もあった。
既に中華民国と防共協定を結んでいたドイツも、当初はほとんど沈黙していたにも関わらず、だ。
一方でドイツは、中華民国の武器の追加発注に応えていた。
これは、日本に対する敵対行為であり、日本のドイツに対する心証を非常に悪くする一手となった。
日本政府は、アメリカに対するよりも先にドイツに強く抗議したほどだった。
そして日本は、国際法を犯した中華民国への懲罰として、上海方面に大規模な軍の遠征実施を世界に対して発表する。
ボイコットしていた国際連盟の事も久しぶりに「思い出し」、中華民国の中立法違反を訴える書類を提出した。
中華地域用の「九カ国条約」対策としても、悪いのは先に違反した中華民国だと強調して、日本の正当性を訴えることを忘れなかった。
国際外交に疎いと言われることの多い日本だったが、この時は及第点以上の外交活動を行っていたと言えるだろう。
しかも全てを、世界中のマスメディアに広く公開した。
悪いのは、明らかに中華民国だった。
そして日本政府は、これ以上中華民国が違反を続ける場合、宣戦布告と軍事行動も辞さずと発表する。
これに対して中華民国(蒋介石)は、戦争状態になるとアメリカには中立法があるので支援どころか貿易すら出来なくなるため、戦争ではない戦闘状態もしくは紛争状態で日本を貶めて、最終的には追い出す動きを続ける。
アメリカなど一部の列強も、日本より中華民国を支持した。
中華民国はどうでもいいが、強大化した日本の力を少しでも殺ぎたかったからだ。
そして情勢の結果、日本政府は中華民国政府に対して正式な手続きを経た上で最後通牒を突きつける。
24時間以内に明確な回答と行動がない場合、48時間以内に宣戦布告を実施し、軍事行動を開始すると宣言する。
しかも日本政府は、その事を世界中の報道各社に同時に発表した。
これに対して、既に戦闘が行われているため国際的にも引っ込みが付かなくなっていた中華民国(蒋介石)は強気の姿勢を崩さず、むしろ上海での軍事行動を強化した。
これで日本が悪役になり、国際的に日本を中華の大地から追い出しやすくなると考えたからだ。
もっとも、蒋介石は大切なことを忘れていた。
いや、気付いていなかった。
実際の軍事力を比較すると日本軍が懸絶していたという事を。




