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39 - 朝焼け



 領主として初めて迎えた朝。かなり早い時間に目が覚めた私は、誘われるようにして祖父がかつて使っていた執務室へと向かった。

 扉を開けるなり、大きな二つの窓からのぞく朝日が目に染みる。私は目を細めたまま窓際まで近づいて、自分の瞳の色と同じ朝焼けをじっと見つめた。



「綺麗な朝焼け……」



 優しく町を照らす朝日。祖父が愛した朝日。彼が町の人々のために仕事をしていたこの部屋で、今日から私も領主としての勤めを果たすことになる。

 鼓膜の奥に蘇る声があった。優しい声にチカ、と呼ばれた気がした。今はもう、聞くことのできない両親の声だ

 亡くなった人の記憶は声から薄れていくと聞いたことがある。いったいいつまで私は両親の声を覚えていられるだろう。記憶の中で名前を呼んでもらえるだろう。その日を思うと少し不安で――けれど恐ろしくはなかった。

 なぜならこれからたくさんの新しい思い出が、自分の人生を彩ってくれると確信しているからだ。



(祖父が愛して、父と母が生きた、この世界。この町)



 そっと街並みを窓越しになぞる。朝焼けに触れる。美しい光景に涙が出そうになって、窓に額を当てたまま、そっと瞼を閉じた。



 ***



 用意されたワンピースに袖を通す。コルセットベルトを装着して、動きやすいように髪は一つにまとめた。

 姿見で自分の姿を確認する。随分と早起きだったが目覚めは良好で、鏡の中の自分もすっきりとした顔をしていた。

 ぱんぱん、と頬を叩いて深呼吸を一つ。今日から私は正真正銘、ディネルカの領主なのだ。昨日までと同じ心持ちでいてはいけない。領主として自覚ある言動を心掛けなければ――。

 支度を終え、美味しそうな香りに誘われるままダイニングへと移動した。そこで私を出迎えてくれたのは、漆黒の髪を持つ私の教育係。

 彼――セルジュ・ダリは私の顔を見るなり優しく微笑んだ。



「おはよう、チカ」


「おはようございます、セルジュ」



 挨拶を交わし、彼の隣の席に座る。



「今日の予定は?」


「まずは朝の見回りを。それからルールーの屋敷に顔を出します」


「お供しよう」



 メイドのペルナさんが朝食を運んできてくれる。今日は美味しそうなクロワッサンだ。



「あぁ、そうだ」



 不意に横から声があがった。しかし私は既にクロワッサンに大きくかぶりついたところだったので、顔ごと横を見ることができず、視線だけセルジュに向ける。すると彼は身動きが取りづらい私を見てこれ幸いと言わんばかりに笑みを浮かべ、顔の横の髪を指先でよけて、なんと耳たぶに触れてきた。

 あまり他人に触られたことのない部位を、一応は想い人であるセルジュにいきなり触られて、驚きのあまりお尻が椅子から数センチ浮く。しかしそんな私を気にすることなく、セルジュはそのまま耳たぶをたぷたぷと触り――ひやり、と冷たい感触が触れた。



「やはり君に似合うな。身に着けていてくれ」



 そう呟くとセルジュの手が離れていく。私は慌ててクロワッサンを咀嚼し、紅茶で口内を潤してから、先ほど好き勝手された耳たぶに触れてみた。

 そこにあったのは金属の固い感触。それから、これは宝石かなにかだろうか。金属よりは柔らかい感触もあって、おそらくイヤリングをセルジュにつけられたのだと悟った。



「これはいったい……?」


「好きな相手へのプレゼントだ」



 ――好きな相手!

 想像の斜め上を行く返答にいたたまれなくなる。セルジュの顔を真正面から見られずに視線を泳がせていると、キッチンからこちらを覗くペルナさんと目が合った。彼女は私たちのやりとりを見守ってくれていたようで、向けられるあたたかな視線にますます居心地が悪くなる。



「……待っていてくれるんじゃないんですか」



 俯いて恨みがましく呟けば、隣でセルジュが喉を鳴らして笑った。どうせ意地の悪い笑みを浮かべているに違いない。



「俺が君を好きでいる分は構わないだろう」



 ふ、と気配が近づいたかと思うと、再び耳たぶにセルジュの指が触れた。彼の指先はイヤリングを遊ぶように揺らすだけでなく、私の顔周りの髪までくるくるといじってくる。



「これでも君のためを思って、控えめにしてるつもりだ」



 控えめ? これで? 私は羞恥心で今にも爆発してしまいそうなのに!

 文句を言ってやりたい一心で、私はゆっくりと顔を上げた。そしてセルジュの方を見やる――と、彼が予想外に優しい表情をしていたものだから、驚きのあまり固まってしまう。てっきりこちらを揶揄うような意地の悪い笑みを浮かべていると思っていたのに、夕焼け色の瞳は甘く蕩けて、口元は笑みを抑えきれないというように緩んでいるものだから、見ていられなくて私は再び俯いた。

 セルジュってこんな人だった? こんな――愛おしくてたまらないというような表情をする人だった?

 いじわるな教育係の新たな一面を見てしまったようで落ち着かない。下手に突っ込めば返り討ちにあうだけだと判断し、私はまず朝食を頂こうと食べかけのクロワッサンに手を伸ばした。

 しかし、伸ばした手がクロワッサンを掴むことはなかった。なぜなら、セルジュに手を取られ、阻まれたから。



「俺が我慢できている内に、答えを聞かせてくれよ」



 そのままセルジュは私の手の甲にそっとキスを――させるか!

 私は咄嗟に立ち上がり、勢いよく手を引いた。そうすれば驚いた顔のセルジュが見上げてくる。その表情に若干溜飲が下がったが、それでも朝から好き勝手してくれた彼に対する怒りは収まらず、そのままくるりと体を回転させて背を向ける。

 待ってくれると言ったのに。こんなことをされては、領主の仕事に身が入らない!



「一人で見回りしてきます」



 そう言い残して、私は駆け出した。ダイニングを出て、廊下を走り、そのまま玄関から外へ――。



「すまない、やりすぎた。チカ!」



 背後でセルジュの焦った声がする。しかし私は足を止めず、そのまま町の見回りに繰り出した。そうすればセルジュは当然追いかけてきて――領主としての初日に、教育係と町中を巻き込んでの追いかけっこをする羽目になってしまった。

 燦燦と輝く太陽。気持ちのいい青空。階段が多い町並み。あちこちで交わされる朝の挨拶。

 ――私はこの町で、この世界で生きていく。

 その後、領主と教育係の追いかけっこは、セルジュがまじないという反則技を使ったことで終わりを迎えた。ずるいずるいと文句を言って、領主と教育係の関係を保つことを町中で散々言い聞かせたのだが、私たちの話を盗み聞いていたリコにとんでもない勘違いをされることになってしまった。

 どうやらリコは、セルジュが私に片思いしていると思ったらしい。その結果、リコとルールーが中心となって、町を挙げてセルジュと私をくっつけるための“ラブラブ大作戦”が決行されたのだが――その話はまた、機会があったら話すことにしよう。



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