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37 - 夜会



 夜会はエヴァ伯爵のお屋敷の一室が会場となっていた。おそらくパーティー会場用にと作られたその部屋は全面ガラス張りのホールになっており、高い天井には豪勢なシャンデリアが飾られている。

 メイドたちに身支度を手伝ってもらった後、私は一人このホールに呼び出された。最終的にエヴァ伯爵が選んでくれたドレスは首元から指先まで繊細なレースで覆われている露出度が低い夜空色のドレスで、心許なさはないけれどどこかにレースをひっかけてしまわないかとヒヤヒヤする。

 ホールに足を踏み入れた瞬間、長く伸びるエヴァ伯爵の影を見つける。差し込む夕日によってホール全体がオレンジ色にライトアップされているようだった。



「エヴァ伯爵お一人ですか?」



 一人佇むエヴァ伯爵の背中に声をかけた。そうすれば彼女は振り返って、手に持っていた二つのグラスの内一つを差し出してくる。



「もう少ししたら招待客も来るわ。それまで二人でお話しましょう」



 グラスを受け取って隣に並んだ。伯爵に気づかれないよう匂いを嗅いだが、アルコールの類ではなさそうだ。

 私は一口グラスに口をつける。爽やかな甘みが口から鼻先へと抜けていって、美味しい“リンゴジュース”に思わず口元を緩めた。



「気づいているかしら。あなたがこの世界に来て、今日で丁度三か月経ったのよ」



 ぽつりと落とされた言葉に私ははっと隣の伯爵を見た。彼女は私ではなくガラス越しに広がる自分の領地を見下ろしていたけれど、夕日に照らされた横顔は言葉を失うほど美しく、私は何も応えられずにその横顔を見つめる。



「ご苦労様。あなたはこの三か月、とても立派に勤め上げたわ」



 伯爵が体ごとこちらを向いた。向けられる赤い瞳に夕日のいたずらでオレンジ色が混ざって、ほんの少しだけセルジュを思い出した。



「そんな……勿体ないお言葉です」



 労いの言葉は素直に嬉しく、私は僅かに頬を紅潮させて恥じ入るように俯いた。



「あなたはどうしたい? このまま領主を続けるか、それとも別の道を選ぶか」



 それは予想できた問いだった。そして答えも散々考えていたはずだった。それなのに、私はすぐに答えることができなくて。

 エヴァ伯爵に見つけてもらったあの日。両親の真実を、自分に流れる血の正体を知ったあの日。それから三か月。あっという間だったような、人生で一番長い三か月だったような。

 たくさんの人と出会い、様々なことを経験して、私は今こうしてここに立っている。三か月前は目の前の“魔女”を怪しく思っていたけれど、今では人生の恩人だと心の底から思っていた。

 いろいろなことが変化した。住まい、常識、私自身の意識、過去との向き合い方、人との接し方、朝起きて何を思うか、沈みゆく日を眺めながら何を願うか――。



「……私で、いいんでしょうか」



 叶うことなら、これからもこの町・ディネルカで暮らしたかった。そしてその願いを叶えるために、精一杯領主としての勤めを果たす覚悟はあった。

 けれどやはり、私でいいのかという迷いは振り切れない。私はたった三か月、領主見習いをやっただけの異世界人だ。教育係をつけてもらい全面的にバックアップしてもらっていたし、領主らしい仕事もしていない。ただディネルカで、町の人々と共に暮らしていきたいという願いだけで領主になってもいいのだろうか。



「今更何を言っているの。ゲッコラにも認められたのに」


「でも、私一人じゃ絶対に勤め上げられませんでした。セルジュがいてくれたから……」


「あら、あの教育係は役にたったのね」



 オレンジ色の光に照らされた赤の瞳が細められる。どうしてもセルジュの瞳を重ねてしまい、私はそっと目を伏せた。



「役にたったなんてものじゃありません。彼がいなかったら私、きっと何もできませんでした」



 セルジュにはたくさんのことを教えてもらった。この世界のこと、酔っ払いの拘束の仕方、町の人々との向き合い方、自分の過去の受け入れ方。

 教育係が彼でなかったら、今私が抱いている答えや決意は全く別のものになっていたかもしれない。



「それに町の人たちもたくさん力を貸してくれて……領主らしいことなんて、一つもやってない」



 脳裏に思い浮かぶ顔はいくつもあった。リコ、ルールー、ペルナさん、手紙教室に来てくれたたくさんの町の人たち――。

 私はいつだって空回っていた。領主らしく町の人々のためにと動き出すのはいいけれど、最初は必ず失敗するのだ。しかし彼らは失敗した私を笑うでもなく、貶めることもせず、隣に並んで一緒に励んでくれた。



「私、あの町が好きです。できることなら、あの町で暮らしたい。でも私は……あの町に利益をもたらす人間なのか分からなくて……」



 どうしても思い出すのは精霊ゲッコラの件だ。今回は無事に解決できたけれど、異世界人でかつ優れたリーダーでもない私が領主になることで、町の人々が不利益を被ることになるのではないかと不安だった。

 領主なのに、この世界の常識に明るくない。まじないが使えない。それが今後、どのような影響を及ぼすか、検討すらつけられない。そんな私が本当に領主になっていいのだろうか――

 いざ決断のときとなると、途端に不安になる。



「領主の座を捨てて、どこか別の場所で暮らすつもり?」


「……それも一つの道かもしれません」



 エヴァ伯爵が示してくれた“別の道”に小さく頷いたときだった。



「チカお姉ちゃん、いなくなっちゃうの!?」


「あ、こら!」



 背後から聞き慣れたかわいらしい声と、それを咎める声がする。

 弾かれたように背後を振り返った。するとそこにいたのは、



「リコ、ルールー、それにみなさん……」



 すぐ近くに目を潤ませるリコ、彼女を制止するように抱きしめるルールーの姿があり、ホールの入口にはディネルカの町の人々が立っていた。

 どうして彼らがここに。私がエヴァ伯爵に尋ねるより早く、ルールーの腕を振りきってリコが駆け寄ってきた。



「やだ! ずっとここにいて!」



 ぎゅう、と私の腰のあたりに抱き着くリコ。彼女に続くようにして、入口付近でこちらの様子を窺っていた町の人々も近くまで駆け寄ってきた。



「チカ嬢ちゃんは立派な領主様だ」


「チカ様!」


「アマンドさんの後継ぎとして、町を支えておくれ」



 四方八方からかけられるあたたかな言葉に泣きそうになる。涙で滲む視界の中、町の人々と一人一人目線を合わせて――ルールーの赤の瞳と目が合った瞬間、彼女がくしゃりと顔を歪ませた。



「チカ、置いていかないで」



 ルールーが駆け寄ってくる。ずっと抱き着いてくれていたリコと合わせて、二人の少女の体を強く抱きしめた。

 背中に回された小さな腕を振り払えるはずもない。彼女たちを置いていけるはずがない。この先何があっても諦めず、挫けず、ディネルカのために身も心も砕こう。

気づけば涙が頬を辿っていた。



「彼らはあなたを望んでいるみたいよ、チカ」



 エヴァ伯爵の声に顔を上げる。すると彼女は慈愛に満ちた表情で私たちを見下ろしていて、私も自然と微笑み返すことができた。

 ルールー、リコとの抱擁を一旦解く。そして再び周りを囲む町の人々の顔を見渡して、大きく頭を下げた。



「まだまだ半人前な私ですが……どうかこれからも、よろしくお願いします」



 この世界で、この町で、領主として生きていく。

 ようやく下せた決断を皆が拍手で祝福してくれた。私はぺこぺこと何度も頭を下げて、自分の幸運と恵まれた環境を噛みしめ――なぜ彼らがここにいるのか、と先ほど真っ先に浮かんだ疑問が蘇ってきた。



「……ところで、どうして皆さんがここに?」



 問いかければ、エヴァ伯爵は目尻に皺を寄せてくしゃりと笑った。いつも絵画のように美しく笑う彼女にしては珍しい、無邪気な笑顔だった。



「このパーティーは、新しい領主の誕生を祝うパーティーだもの」



 ***



 宙を浮いて次から次へと運ばれてくる豪勢な食事、演奏者無しで音楽を奏でる不思議な楽器たち、楽しそうに踊ったり談笑するディネルカの人々。

 まじないがふんだんに使われているのであろうパーティー会場を眺めながら、私はエヴァ伯爵に小声で問いかけた。



「領主の話、私が断っていたらどうするつもりだったんですか?」


「私は魔女よ? 未来のことなんて全てお見通し」



 ふふん、と鼻を鳴らして自信満々に答えた“魔女伯爵”は、しかしすぐに優しい笑顔に表情を変えた。



「いいえ、誤魔化すのはよしましょう。ただあなたを信じていただけ」



 向けられる言葉に胸が熱くなる。

 町一つとはいえ、異世界から連れてきた小娘に領主を任せるなんてやはりエヴァ・ダリ伯爵は“変わり者”だろう。しかも前領主と関わりがあったとはいえ、自分の孫を教育係としてつけた。

 けれどそんな“変わり者”の“魔女伯爵”の許に招かれたからこそ、今の私がある。感謝してもしきれなかった。



「ありがとうございます、エヴァ伯爵。血の繋がりもない私を迎えに来てくださって……。伯爵のおかげで、私の人生は変わりました」


「あら、お礼を言うのはまだ早いわよ。あなたにはこれからたくさんのことをやってもらうつもりだから」



 伯爵が手に持っていたグラスをこちらに傾ける。私は彼女のグラスに自身のグラスを合わせて、音も鳴らないささやかな乾杯を交わした。



「お手柔らかにお願いします」



 不意にエヴァ伯爵が何かに誘われるように背後を振り返った。私も数秒遅れて振り返る。そこにはパーティーではしゃぐ町の人々の姿と――更にその向こう、ホールの入口に立つ一つの人影を見つけた。

 その人は、“いつも”とは違いかっちりとしたタキシードに身を包んでいる。


「さぁ、みんな、新しい領主チカを激励してやって。好きなだけ食べて、好きなだけ踊りましょう」



 エヴァ伯爵が人々の和に入っていく。私がその背を追いかけようとすると、彼女は右手でそれを制した。そして顎を軽くしゃくってホールの入口に立つ人影を示す。



(……セルジュ)



 私はゆっくりとその人――セルジュに近づいていった。

 どう声をかけよう。まずは領主になることの報告? その次にこの三か月間のお礼を言って、それから、それから。

 だんだんと距離が縮まってセルジュの表情が見えるようになる。彼が優しく微笑んでいると分かった瞬間、私は駆け出していた。



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