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25 - 安堵



 手紙騒動――ナーシャさんから預かった手紙を私が駄目にしてしまった騒動――の翌日、二度目の“授業”が開かれた。

 もしかしたら咎められるかもしれない、と若干覚悟して向かったのだが、



「ごきげんよう、チカさん」



 見るからに上機嫌なナーシャさんに出迎えられて拍子抜けしてしまった。



「お手紙を届けてくださったようで感謝しますわ」



 もしかするとセルジュは私が手紙を駄目にしてしまったことを明かしていないのかもしれない。どうであれ、忙しいセルジュが訪ねてきたことでナーシャさんの願いは叶えられたようだ。

 自分に好都合な誤解を解いて改めて謝ろうとも考えたが、満足している様子のナーシャさんを前に、今更ほじくり返してもいいことはないだろうと思い直す。

 かくして開始された二度目の授業も、一時間後に恙なく終了した。今日はテーブルマナーについて学んだが、一度目のときよりも明らかに親切かつ親身にナーシャさんが教えてくれて、とても和やかな時間だった。

敵意も感じることなく、私はナーシャさんの警戒リストから外れたようだ。あぁよかったと胸を撫で下し、



「これ、明日セルジュに渡して下さる?」



 帰り際、再び差し出された封筒に「え?」と間抜けな声を上げた。



「先日会われたんでしょう? それならわざわざ手紙なんて……」


「伝え忘れてしまったことがあったの。ね、お願い」


「はぁ……」



 ナーシャさんは私に強引に封筒を持たせると、足早に去っていく。その背中に「あの!」と声をかけたものの、彼女が足を止めることはなく、私は一人部屋に残されてしまった。

 強引に渡された封筒に視線を落とす。

 なぜ再び私に手紙を預けたのだろう。伝えたいことがあるなら直接やり取りをすればいい。それに手紙でやり取りをするにせよ、私を間に挟む必要はどこにも――

 胸の奥でもやもやと渦巻く感情に蓋をする。ナーシャさんとセルジュは私のせいで恋人同士の時間が減ってしまっているのだ。その罪滅ぼしという訳ではないが、手紙を届けることぐらいお安い御用ではないか。

 そう思い直し、今度は翌朝一番にセルジュに手紙を手渡した。彼は封筒に書かれた名前を見るなり一瞬眉をひそめて、封を開けることなく上着の内ポケットにしまい込む。あとで一人になったときに読むのだろうか。

 今度こそ任務を無事遂行した私は、次の“授業”には晴れ晴れとした気持ちで臨んだのだが。



「チカさん、今日もお願い」



 その次も。



「ごめんなさい、どうしても明日の朝までに伝えたいことがあって」



 その次の次も。



「チカさん、はい」



 毎回ナーシャさんは手紙を私に預けるようになった。もはや申し訳ないという素振りすら見せず、さも当然といった風に手渡してくるものだから、さすがにカチンときた。しかし喉元まで出かかった文句を必死に飲み込んで、いつものように去っていくナーシャさんを見送る。

 ナーシャさんはきっと不安なのだ。仕事とはいえ、恋人が別の異性と一日中行動を共にしているのは面白くないはずだ。きっと今までたくさん我慢をさせてしまったのだろうし、恋人に聞いて欲しい話は山のようにあるのだろう。短い逢瀬じゃ時間が足りない。だから溢れる思いを手紙に綴って――

 しかしいい加減に私を挟むのはやめて欲しかった。直接渡してくれないだろうかと思い、しかしナーシャさん本人に言うのは気が引けたため、彼女の文通相手であるセルジュに物申すことにしたのだ。



「あなた方の大切な時間を奪っていることは申し訳なく思っています。けれどいい加減、私を郵便配達員にするのはやめてもらえませんか?」



 翌朝、預かった手紙を渡す際セルジュに伝えた。

 思いの外刺々しい言い回しをしてしまい、気づかない内にストレスが溜まっていたのだろうと他人事のように思う。



「すまない。よく言っておく」



 セルジュは感情のこもっていない声で応えた。そのことがなんだか無性に腹立たしくて、私は厭味ったらしく続ける。



「それと、もしナーシャさんが私とあなたの仲を疑っているようなら、ただの教育係だとはっきり言って安心させてあげてください」



 ナーシャさんがここまで執拗に私に手紙を預けるのも、すべては不安だからだろうと推測していた。恋人の近くにいる相手にけん制――とまではいかずとも、自分という存在を知らしめておきたいのではないか、と。

 だからセルジュがナーシャさんの不安を完璧に拭い去ってあげることができたら、もう郵便配達員の真似事をしなくてすむのでは、と思っての進言だったのだが――驚いたようにこちらを見下ろす夕焼け色の瞳にはっと我に返る。そして自意識過剰な自身の物言いを思い返し、かぁっと頬に熱が集中していくのを感じた。



「ご、ごめんなさい! 自惚れたことを言いました、すみません」



 ナーシャさんが私とセルジュの仲を不安に思っているというのは全て想像――妄想だ。ただ毎回手紙を預けられるのが煩わしいだけなのに、ナーシャさんの心の内を邪推して、セルジュに腹を立て、上から目線で進言するなんて! こんなの、自分の苛立ちを正当化したかっただけだ。

 俯くことで旋毛に視線が突き刺さる。何も言わないセルジュに私はますます焦りを募らせて、とにかく場を取り繕おうと口を開いた。



「いえ、あの、やっぱり女性としては恋人の傍に他の異性がいることを好ましく思わないんじゃないかって、そういう、あの、差し出がましいことを、すみません――」


「俺とナーシャは恋人でもなんでもないが」


「そうですよね……って、え!?」



 大きな声が出た。

 ――セルジュとナーシャさんは恋人ではない?

 突然大前提が覆って、私は唖然とセルジュを見上げる。すると彼は念押しするように大きく頷いた。



「そ、そうなんですか?」



 それでもまだ信じられず、私は一歩近づいて問いかける。

 だって、ナーシャさんは恋人だって――言ってない。よくよく思い返せば“素敵”だとか“彼”だとか思わせぶりなことは言っていたけれど、一度も自分たちの関係を恋人同士だと自称したことはなかった。私が早とちりで勘違いしただけ? でも、それなら最初に感じた敵意は? 二回目以降明らかに優しくなったのは? もしやナーシャさんの片思い? いや、でも――どうであれ、セルジュとナーシャさんは恋人同士ではないのだ。

 その事実が胸にすとんと落ちたとき、私は確かに安堵していた。それはなぜか。もう郵便配達員の真似事を面と向かって断れると思ったからかもしれない。ナーシャさんに対する後ろめたい気持ちが軽くなったからかもしれない。もしくは、セルジュに対する――

 ふと顔を上げる。すると何か物言いたげにこちらの様子を窺うセルジュと目があって、私は咄嗟に叫んだ。



「あ、いえ、なんでもないです。答えなくていいです! すみません!」



 ナーシャさんと恋人同士ではないと知ったとき、確かに安堵した私の心に、どうかセルジュが気づいていませんように――

なぜ自分は安堵したのか、その本当の理由から目を逸らしつつ、そう強く願った。



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