23 ー 思わぬ再会
ある朝、突然エヴァ伯爵に呼び出された。
何か粗相をしてしまったかと慌てて呼び出しに応じれば、朗らかな笑顔で出迎えられた。すぐに本題に入らずに、焦る私をのらりくらりと躱すエヴァ伯爵から一時間以上経ってようやく引き出せたのは、「淑女としての立ち振る舞いを教える講師を紹介する」といった旨の言葉だった。
「研修を受けろと?」
「そんな堅苦しいものじゃないわ。今度屋敷で夜会を開くから、パーティーでの所作を身につけて欲しいだけ」
「はぁ……」
パーティーでの所作と言われてもピンとこない。
「夜会に私も出席するんですか? まさか領主アマンドの跡継ぎとして紹介するつもりで……?」
「さすがにそんなことはしないわよ。三か月は待つ約束だもの」
一旦は安堵したが、その“三か月”の終わりが迫っていることを思い出して緩みかけていた心を引き締める。気づけばもう一か月を切っている。決断を先延ばしにして目を逸らし続けてきたけれど、どうするか、どう答えるか、そろそろ本腰を入れて考えなければならないだろう。
今の生活はとても充実している。ルールーの屋敷の掃除も一段落して、彼女を気にかけつつ町の人々と本の貸し出しを通じて交友を持ち、毎日気づけば夕暮れ時だ。ディネルカという町に愛着を抱きつつあるし、対人関係も良好。このままここで充実した毎日を過ごしたいという思いはあるけれど、それは今の立場が責任のない領主“見習い”だからだ。
もし領主――町の人々の生活に責任を持つ立場になったら、当然今のままではいられない。勉強にももっと精を出さなければならないだろう。幸い負けず嫌いで目の前に壁があればあるほど燃えるタイプだが、今回は私一人のことではなく、町の人々の生活が懸かっている訳で――
「あなたの先生を紹介するわ」
ぐるぐる考え込んでいたところをエヴァ伯爵の涼やかな声で引き戻される。
ぱっと顔を上げれば、いつの間に伯爵の後ろに立っていたのか、ボリュームたっぷりの豪華なドレスを身に纏っている女性と目が合う。彼女はエヴァ伯爵の面影を感じさせる目元を緩めた。
「ナーシャよ。気が遠くなるほど血の繋がりが薄い私の親戚」
「嫌だわ叔母様、そんな意地悪言わないで」
女性――ナーシャさんは目元こそエヴァ伯爵と似ているものの、髪色は落ち着いたブラウンで、瞳の色は赤より茶色に近い赤茶色だった。なるほど遠い親戚と言ったエヴァ伯爵の言葉に納得して、それからふと思う。
(あれ、この人、どこかで見た記憶が……)
初対面ではない気がする。もし会っているとしたら当然こちらの世界に来てからだ。となるとここ二ヶ月ほどの話のはずだが――こちらに来てから盛りだくさん過ぎて、すぐに思い出せそうになかった。
考え込んでいた私の前に美しい手が差し伸べられる。私は咄嗟にその手を取った。
「ナーシャよ。よろしくお願いするわ、領主のお嬢さん」
――ぎゅうう。
握手のためにと重ねた右手を、痛いぐらいに握りしめられる。可憐な見た目とは裏腹に、力が強い人なのかと一瞬思ったが、手が腕ごとプルプル震えているのを見るに精一杯力を込めて握っているのだろう。
だとしたら、なぜ? この世界では実は握手の際、力いっぱい握るのが礼儀であり上流階級のマナー?
疑問に思いつつ、手元に落としていた視線を上げ、ナーシャさんを真正面から見つめる。
――目が笑っていない。冷めきった赤茶の瞳が、ギラギラと私を見つめている。
(……敵意)
なぜかは分からない。しかし向けられる視線には、確かな敵意が宿っていた。
***
今日はお昼過ぎからルールーの屋敷にお邪魔して、一通り綺麗になった屋敷の模様替えを行っていた。空き部屋になっていた一室に屋敷中の本を集めて書斎を作ることにしたのだが、本を分類して本棚に並べていく作業はなかなかに大掛かりで、気が付けば窓から見える太陽が山の向こうに沈み始めている。
その景色に私ははっとなった。今日からマナー研修が始まるのだ。
「ごめんなさい、今日はもう帰らないと」
作業の手を止め、セルジュとルールーに断りを入れる。
「何かあるのか?」
「実は今度、エヴァ伯爵のお屋敷で夜会が開かれるらしいんです。それに出席して欲しいと言われて……マナーを身に着けるための勉強を」
話を聞いたセルジュは片眉を上げた。どうやら彼はエヴァ伯爵の屋敷で開かれる夜会について聞いていないようだ。
「それなら屋敷まで送ろう」
「いえ、伯爵が迎えを寄こして下さるようですから、あなたはもう少しルールーと一緒にいてあげてください」
ありがたい申し出を断ってこちらからお願いすれば、少し遠くで黙々と作業していたルールーが振り返った。苦虫を嚙み潰したような表情をしている。
「げぇ~セルジュと二人? 帰っていいよ」
「そう言われるともう少しいてやりたくなるな」
素直じゃないことを言うルールーに、意地悪く返すセルジュ。一見すると険悪な二人に見えるが、どちらも口調は軽いもので、じゃれ合っているだけなのだろう。出会ったばかりの頃、ルールーを怒鳴りつけたセルジュを思い出し、仲良くなったものだと嬉しくなった。
「ふふ、それじゃあまた」
そう挨拶を残し、足取り軽く屋敷へ戻った。そしてエヴァ伯爵が寄こしてくれた迎えのメイドと共に、まじないで伯爵家に一飛び――だったのだが。
「二分の遅刻ですわ。淑女たるもの、時間はきっちり守っていただかないと」
「も、申し訳ございません」
二分遅刻してしまい、初日早々ナーシャさんからお叱りを食らった。
一応は男爵家の血筋に連なっているが、数か月前まではただの学生だったため、貴族社会のあれこれやら上流階級の常識やらは全く分からない。こちらに来てからも貴族らしい暮らしをしていた訳でもなし、正直今回のマナー研修は気が重かった。
「それでは始めましょう」
ナーシャ様の呼びかけを合図に“授業”が始まる。恩人ともいえるエヴァ伯爵の恥にならないよう、しっかりマナーを身につけなくては――
しかしいざ始まったのは、正直拍子抜けしてしまうぐらい普通の“授業”だった。胸を張って姿勢よく歩きなさい。指先まで意識して動かしなさい。淑女たるもの常に朗らかに微笑んでいなさい。
初めて身に着けたボリューミーなドレスの裾の扱いに若干戸惑ったが、それ以外はそこまで苦労することなく“合格”をもらえた。
「なんだ、案外問題ありませんわね」
――つまらなそうに呟いたナーシャさんの声は聞こえなかったことにしたけれど。
向けられる視線は依然友好的なものではなかった。しかし理不尽に叱咤されることはなかったので、気づかない振りをしてやり過ごす。
そうして一時間の授業が終了した。
「ありがとうございました」
練習用にと身に着けていたドレスから着替え、ナーシャさんにお礼を言う。彼女は軽く頷いて応えたかと思うと、
「ねぇ、お嬢さん。あなたの教育係、素敵よね」
「……は?」
突然そんなことを言い出した。
私の教育係。それはつまり、セルジュのことだ。なぜ彼が突然話題に上がったのだろう。
戸惑う私の目前に、上品な薄桃色の封筒が差し出される。その封筒越しに、ナーシャさんはにっこりと微笑んだ。
――ピリリと頬が引きつるような敵意。
「これ、彼に渡してくださる? 最近彼、どこかのお嬢さんにかかりきりで忙しいみたいで、連絡が取れなくて」
うふふとわざとらしく笑い声をあげて、ナーシャさんは退室していった。
一人残された私は、渡された薄桃色の封筒に視線を落とす。そこには愛しのあなたへ、なんて宛名が書かれていて――
瞬間、脳裏に浮かんだ光景があった。
あれは、そう、私がこの世界に来た初日。エヴァ伯爵から自分の出生について教えられて、領主見習いになることを決意した後のこと。メイドに連れられて、与えられた部屋へと向かい、そして――
廊下でセルジュにしな垂れかかる“彼女”と出会ったのだ。
「……思い出した。初日の夜、廊下でセルジュといちゃついてた人だ……」
メイドは確かに“彼女”をこう呼んでいた。ナーシャ様、と。




