22 - 穢れた者同士
腕の中で震えていた小さな体が、徐々に落ち着きを取り戻していく。すん、と鼻をすする音に見下ろせば、かわいらしい旋毛が見えた。
「落ち着きました?」
「ん……」
ルールーは小さく頷く。
居心地が悪そうにもぞもぞと身じろぎしたので、彼女を抱きしめる腕の力を緩めれば、小さな体はいくらか離れていって距離ができた。銀の髪から覗く耳が赤く染まっているのを見るに、私の前で泣いたことを恥ずかしく感じているのかもしれない。
「今日はもう帰りましょうか」
私個人としてはルールーをこのまま一人にしておきたくなかったが、そっとしておいて欲しいと思っているかもしれない。そう思い提案したのだが、
「あんたの話、して」
「え?」
「ん……」
ルールーは私を引き留めた。言葉だけでなく、私の服の裾を引っ張るという愛らしい動作込みで。
私は一瞬面食らったが、こちらを不安げに見上げてくる赤の瞳と目が合った瞬間、「もちろん!」と大きく頷いていた。思いのほか大声が出てしまい、目を丸くしたルールーを椅子に座らせる。そしてすっかり冷めてしまった朝食の紅茶を淹れなおして、私は彼女の向かいに座った。
「私は異世界のニホンという国で生まれました。そこで生まれる人は多くが黒い髪に黒い瞳を持っていて……ほら、私はこんな見た目をしているから、日本人っぽくなかったんです」
できるだけ明るく、重く受け取られないよう、取り留めのない雑談をするような軽い口調で語り始める。
ホワイトブロンドの髪、朝焼け色の瞳、小麦色の肌、と順番に指さしてみたが、ルールーは私の話の内容にいまいちピンときていない様子だった。生まれる世界が違えば、それだけ常識も考えも感じ方も何もかも違う。そう思うと今こうしてルールーと一緒に過ごせている時間が奇跡のように思えた。――実際、奇跡に近いのかもしれないけれど。
「あることないことを言う人もいれば、私自身をきちんと見てくれる人もいました。楽しい思い出もあります」
少し前の私からは出てこなかったであろう言葉。
悪意にばかり敏感で、嫌なことばかり覚えていて、それらで向けてもらった好意や楽しかった思い出まで塗りつぶしてしまっていた。なんて愚かだったんだろう。なんて時間を無駄にしてきたんだろう。
そう自分が後悔したばかりだからこそ、ルールーには大切な思い出を忘れずにしっかりと抱きしめて欲しい、なんて身勝手な願いを抱き始めていた。
「ルールーも、このお屋敷でお父様と過ごされた日々は、楽しかったですか?」
「うん……」
ルールーは迷うことなく頷いた。
彼女の手が朝食のパンに伸びる。小さな口いっぱいに頬張って、次に紅茶へ手を伸ばす。ルールーのまあるい頬を撫でるように窓から光が差し込んでいた。
穏やかな時間だ。彼女は父親とこんな時間をたくさん過ごしたのだろうか。
「町の皆さんは、優しかった?」
「うん……」
「エルフも人間も、関係なかったでしょう?」
「でも、みんな、そうじゃない」
そのときのルールーが脳裏に描いていたのは一体誰だったのだろう。町の人間の一部か、それとも他のエルフか。
「ええ、その通りです。でもだからってすべての人と関わりを絶ってしまったら……あなたは独りになってしまう」
もしルールーが経済的にも安定している立派な大人なら、独りで生きていくこともできるかもしれない。けれど今の彼女はまだまだ幼い少女だ。現実問題、独りで生きていくには何もかもが足りない。
叶うことなら私が助けになりたいけれど、私も援助してもらっている身だ。それに領主のお試し期間を終えた後、どうなるか分からない。万が一領主を続けることになったとしても、今のように毎日彼女の許に通うことはできないだろう。
「ねぇ、ルールー。町は嫌いですか? 町の人々とは、会いたくない?」
だからこそ、ルールーを町全体で保護したかった。幸い以前から町の人々が近くに越してこないかと誘っていたらしいし、ルールー本人が彼らを受け入れる気になれば、良い方向へ話は進んでいくだろう。
ルールーは答えに窮したのか、首を振ることも頷くこともせず、俯いてしまった。今すぐ判断を迫るのは性急だと思い、助け舟を出そうとしたとき、
「……ニンゲンの血は、穢れている」
感情のこもっていない声でルールーは呟いた。
低く抑揚のない声は不自然で、彼女本人の口から出てきたものとはとても思えず――もしかすると過去、誰かに言われた言葉を言われたときの声ごと真似しているのかもしれない、と思った。
「だからルールーも、穢れている。穢れているから精霊の声を聞けなくて、まじないが使えない。穢れているから……父さんも母さんも、死んじゃった」
そのときようやく理解した。ルールーは町の人々が――“ニンゲン”が嫌いなのではない。自分の中に流れていると言われた“ニンゲンの血”が嫌いなのだ、と。
彼女の母親の“フテイ”について、何かの間違いだと赤の他人の私が否定することは簡単だけれど、事実は確かめようもない。だからその件について、下手に言及するつもりはなかった。――そのかわり。
「私とお揃いですね」
今の私にできるのは、あなたは独りじゃないと言い続けること。あなたさえ望めば手を差し伸べてくれる人は沢山いるのだと、伝え続けること。
「私も精霊の声が聞こえなくて、まじないが使えなくて、両親を亡くしています。だからルールーが穢れているなら私も穢れてる」
かなり強引な結び付け方だった。もしかすると大人びたルールーには鼻で笑われてしまうかもしれないと思ったけれど、それでもよかった。
「穢れた者同士、仲良くしましょう」
俯いたままのルールーに右手を差し出す。ルールーは顔を上げない。それどころか体を丸め込んで、先ほどよりも更に俯いてしまう。
それでもめげることなく手を差し伸べ続けた。そのままどれぐらい経っただろうか。若干腕がだるさを訴え始めた頃、ぺち、と一瞬、差し出した手のひらにルールーの手のひらがぶつかった。
それは握手というよりもハイタッチに近かった。私が触れた手を握るより早く、ルールーは椅子から立ち上がって「眠いからもう一回寝る」とダイニングを出ていってしまう。
(……明日も出迎えてくれるかな)
一瞬触れたぬくもりを忘れないよう、私はぎゅっと拳を握りしめる。
ルールーが退室するとき微かに聞こえたぐす、という音――ルールーが鼻をすすった音には、気づかなかった振りをした。
***
「感心しないな」
「え?」
ルールーの朝食を片付けて、ダイニングを出たときだった。
背後から声をかけられて足を止める。振り返ればいったいどこで待機していたのか、セルジュが眉間に皺を寄せて壁に体を預けるように立っていた。
「自分を大切にしろと君が言ったんだ。それなのに穢れただの……」
どうやら彼はルールーと私の会話を聞いていたらしい。
かなりプライベートな話をしていたから盗み聞きだと指摘しようか迷ったが、ぼそぼそと呟くように言ったセルジュがなんだか幼く見えて――拗ねているように見えて――気づけば私は彼を宥めるために口を開いていた。
「あそこで穢れてないって無責任に言っても、ルールーからの信頼は得られないと思って。彼女の傷は……とても深いから」
「最終的にどうするつもりだ」
「町で保護出来たら一番だと考えていますが……しばらくは今まで通り、屋敷に通おうと思います」
先ほどの一件でだいぶルールーの心に踏み込めたと思っているが、それでも町で保護できるのはまだまだ先の話だろう。“ニンゲンの血”を嫌うあまり人間に対してどう接すればいいのか分かっていない様子もあるし、とにかく人と関わるためのリハビリを行わなければ。
私の答えにセルジュは小さくため息をついた。
「何を言っても君はそうするだろうからな。好きなように、好きなだけやってみればいいさ」
「……すみませんでした」
謝罪すれば、セルジュは驚いた顔で近づいてきた。
「私とルールーの話を聞いていたんでしょう」
「なぜ謝る?」
「異世界人だと明かさない方がいいって忠告してもらったのに……」
この世界に来てすぐ、セルジュがしてくれた“忠告”を今更思い出したのだ。
「あそこで明かしたのは最適解だっただろう。ルールーが心を開いた。……君は人との付き合い方がうまい」
聞き覚えのある“誉め言葉”にばっと顔を上げた。そうすれば得意げな笑みを浮かべているセルジュと目が合う。
――あれは、そう、リコと三人、リコの母親へ渡す薬を調合してもらうために向かった薬屋でのできごとだった。融通が利かない私が薬師を困らせてしまったところを、セルジュが助けてくれたのだ。そのときに自分の情けなさを悔やみ、セルジュに半ば羨望の気持ちを込めて贈ったのが「あなたは人との付き合い方がうまい」という言葉だった。
それをまさか、今この場で“返される”なんて。
「ふふ」
やはりセルジュは人付き合いがうまい。けれどもう、今はただただ感心するばかりで、羨む気持ちは湧いてこなかった。
***
翌朝、セルジュと二人でルールーの屋敷へと向かう。――と、庭で動く小さな人影を見つけた。
セルジュと顔を見合わせて、慌ててその人影へと走り寄る。最初は顔の判別も、何をしているのかも遠目で判断できなかった人影が、だんだんとはっきりしていき――なんと驚くべきことに、ルールーが毛布を干していたのだ!
私は驚きのあまり少し遠くからその様子をまじまじと観察してしまう。すると視線を感じたのか、ルールーはくるりとこちらを振り向き、
「……おはよう」
睨みつけながら挨拶をしてくれた。
眉と目尻こそ吊り上がっているがその頬は赤く染まっていて、勇気を出して挨拶してくれたに違いない。私は慌てて駆け寄って、朝の冷気ですっかり冷えてしまった小さな体を抱きしめた。
「おはようございます、ルールーさん!」
ルールーは私の抱擁を甘んじて受け入れる。それが更に嬉しくて、ぎゅうぎゅうと抱きしめる腕に力を込めて――いい加減離しなさい! と頭を小突かれるまで、ずっと抱きしめていた。




