20 ー まじない
日が傾き出した頃、結局丸洗いして多少黴臭さもマシになったマットレスを持ってルールーの自室を訪ねた。まじないを使えば大きなマットレスを洗うのも乾かすのもあっという間で、つくづく便利だと改めて実感した。
「先ほどはすまなかった、ルールー。強く当たりすぎた」
セルジュはルールーと顔を合わせるなり大きく頭を下げる。朝、強く当たったことを激しく悔いているようで、彼は頭を下げたまま、ルールーの答えを待っていた。
扉を開けるなり謝罪されたルールーは驚きに目を見開いた。それから言葉を探しているのかあたりに目線を泳がせて、
「ふ、ふん。別に、大したことなかったし……」
相変わらず言葉こそ素直ではなかったものの、和解の姿勢を示してくれた。
セルジュは顔を上げる。そして「ありがとう」と真正面から感謝の意を示せば、途端にルールーは俯いてしまった。
どうしたのかと前髪で隠れた表情を確かめようと身を屈めたが、僅かに覗けた頬が赤らんでいるように見えて、私は無理やり顔を覗き込むのをやめる。視界の隅で、ルールーが着ている服の裾を何度か握りなおしたのが見えた。そして、
「でも、あの……ごめんなさい。ルールーも言い過ぎた」
セルジュの目を見て、そして私の目を見て、ルールーはそう言った。
――少しは心を許してくれたのだろうか。そう思うと嬉しくて思わず小さな体を抱きしめそうになったが、驚かせてしまうかもしれないと思い直し必死に堪える。その代わりといってはなんだが、まあるい頬にかかっていた絹糸のような髪を指先で払ってやって、喜びを噛みしめながら微笑んだ。
「ふふ、これで仲直りですね! 改めてよろしくお願いします、ルールー」
恥ずかしかったのか、ルールーは再び俯いてしまう。けれど確かに頷いた。
***
上機嫌で屋敷への道を歩く。今日は玄関ホールの掃除にマットレス丸洗い、そして厨房のゴミ出しと中々の大仕事だった。とはいってもセルジュのまじないに頼り切りで、私は戦力外だったため役に立ったとは言いづらいが、心地よい達成感が胸を満たしている。
今にも鼻歌を歌いだしそうな私の横で、ふとセルジュが呟いた。
「おそらくだが、ルールーはまじないが使えない」
突然落とされた“推測”に、私は首を傾げる。
「それは……珍しいことなんですか?」
「この世界に生まれて全く使えない者は滅多にいないな。更にエルフで、となると……俺も聞いたことがない」
先日、ペルナさんから聞いたエルフについての説明を思い出す。
エルフは大昔、精霊の使いとして他の人種を導いていた上位種だったという。そしてまじないはセルジュ曰く、精霊の力を借りて行使する力だったはず。
それぞれ別のタイミングで聞いた話だが、なるほど二つの話を組み合わせるとエルフはまじないに長けた種族なのかもしれなかった。
「エルフはまじないが……こう、得意な種族なんですか?」
「かつては精霊の使いと呼ばれていた種だからな。理屈は分からないが、より精霊と通じ合えるのか、強いまじないを使える者が多い。もっとも、ルールーがまじないを使えないことを気に病んでいるかは分からないが……」
ルールーの口からまじないについて語られたことはほとんどない。しかしまじないが使えれば今日のように一瞬であちこち綺麗にできるはずで、屋敷があんな惨状になるとは考えにくかった。
本当に彼女はまじないが使えないのだろうか? それともまだ小さいから使い方が分からないだけ?
正直、まじないについて詳しくない私はセルジュの話を聞いてもなにひとつピンとこなかった。しかしこの世界で暮らすのなら避けて通れない話だろうと思い、いい機会だとセルジュに問いを投げかける。
「そもそもまじないというのはどうやって使うんですか?」
すぐに返事が返ってくると思いきや、意外にもセルジュは沈黙した。
黙り込んだまま己の手をじっと見つめ、感覚を確かめるように数度拳を開いたり閉じたりしてみせる。そしてゆっくりと、いつも以上に言葉を選びながら答えてくれた。
「……感覚的なものでうまく説明することは難しいが、想像力が源になると言われている」
「想像力?」
「例えば、この手のひらの上に炎が現れたら――」
瞬間、セルジュの手のひらの上に炎が現れる。
突然のことに「わっ」と声を上げれば、彼はすぐさま拳を握りこんで炎を消した。
「想像して、精霊に伝えて、“実現”してもらう。それがまじないだ」
彼の言葉を元に炎が突如現れたことを説明するなら、つい今しがたセルジュは自分の手のひらの上に炎が現れる様を“想像”して、その想像を精霊に“実現”してもらったということらしい。
説明を聞けば聞くほど夢のような力だ。
「それじゃあ、想像力がたくましい人ほどすごいまじないを使える……?」
「そう単純な話ではないが、まぁ、間違ってもいないな。それに想像力だけでなく、伝達力も必要だ。自分のイメージをいかに精霊にうまく伝えられるか」
「なるほど……それならルールーは想像力か伝達力をうまく育めていないってことなんでしょうか」
問えば、再びセルジュは黙り込んだ。かと思うと暗くなってきた空を見上げ、ふぅ、と小さく息を吐き出す。
「人見知り故に他者との関わりを持てず、唯一の肉親も亡くし、暗い屋敷に一人きり……分からない話ではないか」
父親を亡くしてからはともかく、父と共に暮らしていたときにどのような生活を送ってきたのか、そもそもなぜ町のはずれに親子二人で住むようになったのか、私は知らない。しかし他者と関わりが少なかったのは今の彼女の言動から想像に難くないし、もし外の世界にあまり触れてこない生活を送っていたのなら――まじないに必要だと言われている想像力も伝達力も、育む場がなかったのかもしれなかった。
「想像力と、伝達力……」
今からでも間に合うだろうか。力になれるだろうか。そもそもルールーは本当にまじないを使うことができないのか、そしてそれを本人が気にしているのか。
どうであれ、この世界でまじないが使えないのは不便だろう。一人で生きていくなら猶更だ。もし私が力になれることがあるのなら力になりたいが、本人に直接聞くのもデリカシーがないように思うし――
今後しばらくルールーのことで頭を悩ませることになりそうだ。




