~十月五日~ 5
書斎に響くノックの音。主人はその音を聞いてパソコンの電源を切った。時計を見ればもう日付も変わろうかという時間。部下の誰かの報告だろうか。入室を促せば入ってきたのは赤い髪にメイド服を纏った少女。俯いているため顔は見えない。そういえば今夜のティータイムはまだだったかと、一人頷いた。少女は恥ずかしがっているのか、もじもじと身体の前で手をすり合わせている。身体つきも悪くない。見覚えのない娘だが、もしかしたら部下の誰かが気を利かせたのかもしれない。主人はいやらしく笑いながら少女を手招いた。
「入りなさい」
「失礼、します……」
緊張しているのか、震える手つきでカートを押し、中に入ってくる。初々しいその仕種に主人は内心舌なめずりをした。今日は楽しい夜になりそうだ。
香丸はその様子を中二階から見守っていた。少年を見送ったあと、先ほどの部屋の天井から侵入したのだ。そして少年の後を追ってきた。スコープとサイレンサーのついたライフルの照準を、主人に合わせ続ける。失敗は許されない。悲鳴を上げられればこの作戦は失敗になる。騒ぎが大きくなってしまっては意味がない。確実に一撃で仕留めなければならないのだ。先ほどの取引のせいで少年の目の前でという条件付でもある。一瞬の隙が勝負の分かれ目になるだろう。じっと息を殺した。まだ動かない。
「どうしたんだ。そんなところに立っていないで、早く奥に来なさい」
「……はい」
少女はカートをその場に残し、おずおずと主人に近づいていく。机をはさんで、二人は向かい合う形になった。主人は上から下まで少女を眺めると満足そうに頷く。それからその視線を顔の部分で固定した。少女が俯いているせいで顔が隠れてしまっているのだ。前髪が気に入らない。腕の白さや肌の美しさから顔も期待できそうだが。
「顔を上げなさい。髪を退けるんだ」
「かしこまりました……」
少女は主人の命令通りにゆっくりと顔を上げる。けれど前髪をどけようとはしない。その態度に少しいらだって、主人はもう一度声をかけた。のろのろと躊躇いがちに腕が持ち上がり前髪へ導かれていく。それを視線で追いかける。
香丸はその隙を逃さなかった。主人の視線が少年の顔に固定された瞬間、慣れた動作で右の人差し指を引く。ぱしゅんと軽い音。瞬間、少年の目の前で主人の左目は吹き飛んだ。少年の口角が上がる。打ち込んだ弾は確実に脳を貫き、貫通した。眼窩からどろりとした赫い液体を滴らせて、主人はがくりと首を折る。絶命しているのは確認するまでも無い。
「終わりましたね」
「あ、ははっ! きったねえの!」
少年は嬉しそうに笑い声を上げた。赫色に魅入られているらしい。眼球に手を伸ばしたところで、香丸はその腕を止める。不満げな瞳と目が合った。
「なんだよ」
「帰りますよ」
「ちっ……わかった」
少年は一度だけ名残惜しげにその死体を見つめて、香丸に続き天井に上った。一度通ったとおりに進んでいけば、当然使用人の控え室に辿り着く。そこで少年が着替えるのを待って、二人は侵入したときと同じルートで屋敷から逃げ出した。
***
屋敷の近所の公園に立ち寄って、少年は持って帰ってきていたメイド服を勢いよく引き裂いていた。香丸はせめてもの情けにと視線を逸らす。大体、今日の服装がいけなかったのだ。普通のスーツにサングラスであれば潜入するのも容易かっただろう。屋敷に滞在していた男たちはみんな示し合わせたようにスーツとサングラスだったのだから。今は夜だから、身長の低さは何とでもごまかせたはずだ。びりびりと音を立てて、役目を終えたメイド服がただの布切れへと変わっていく。
「どこまでやるんですか?」
「徹底的に。この世から消す」
そう言って少年はライターまで取り出し始める。まだまだ時間がかかりそうだと、香丸はため息ついた。恨みは相当に深いらしい。
(確か公園の傍には自動販売機がありましたね)
昼間はまだ暑さを感じることもあるけれど、夜になればさすがに少し肌寒い。戻ってくるころには終わっているだろうと検討つけて、香丸は公園の外へと足を向けた。




