〇.【ある日常の情景】~九月某日~
もう九月に入ったというのに、未だ暑さを保ったままの気温と、じわりと湿った嫌な空気。天気予報によれば最高気温三十度以上の真夏日である。当然、衣替えも終わったと言うのにカーディガンを羽織っている者はまだそう多くない。校舎には授業中特有の静寂が流れていた。
晴れた空を見上げ、金色の髪の少年は息を吐き出した。それが感嘆からなのか、あるいは落胆からなのか、知るのは彼自身しかいない。整った顔立ちを嫌そうに歪め、シャツの下に着たタンクトップを掴んで中に風を送る。しかしそれも気を紛らわせる程度にしかならなかったのか、すぐに手を放した。再びだらりと腕を投げ出す。
金の少年はフェンスに預けた身体を動かさず首から上だけを隣に立つ少年に向けた。彼の蒼色の瞳が捉えた黒髪の少年は、誰が見ても奇妙な格好だった。公的な式典以外ではほぼ全員が滅多に身につけない学校指定の萌木色のブレザーをきっちりと着込み、黒く長い髪を首元で結っている。さらにシャツは第一ボタンまで締められネクタイもきっちりと結ばれていた。
視線に気づいた黒の少年は金の少年に問いかける。
「なんですか?」
「暑くねーの?」
「はい」
「ふーん」
向けていた視線を反らして、金の少年は再び息を吐き出す。今度は明らかなため息だった。黒の少年が何か尋ねようと口を開く。金の少年は不機嫌な表情でそれを見た。黒の少年は考えあぐねたように口を閉ざし、じっと金の少年を見る。その顔には何の表情も浮かんでいない。沈黙。にらみ合うように交わされた視線を先に逸らしたのは黒の少年だった。
「あなたは」
再び黒の少年が口を開く。けれどそれは授業の終了を知らせるチャイムの音色に掻き消されてしまい、再び口を閉じた。そして黒の少年は、言葉を紡ぐ代わりとばかりに空気を吐いた。金の少年はそれを見て堪えきれなかったように、ただ笑った。
ばたばたと足音が響く。走っているのは飴色の髪を二つに結い、ふわふわと揺らす少女。紺色に赤いチェックの入ったスカートを翻し、桃色のカーディガンを身に纏った彼女は、手に弁当の袋を抱えて、上に続く階段に足をかける。天気がいいから、屋外で昼食を摂るつもりなのだろう。しかし数段上ったところで、後ろから声をかけられた。
「今から屋上?」
「うん。そっちは?」
「ボクも今から」
声をかけた銀色の髪の少女は緑の瞳を愛しげに細めている。腰に茶色いカーディガンを巻きつけ腕捲りをしている姿はなんとも暑そうだ。銀の少女の手にも弁当を入れた袋が握られている。飴色の少女も焦げ茶色の瞳を嬉しそうに細めて銀の少女に抱きついた。事も無げにそれを受け止めて、飴色の髪を優しく撫でる。いつものことなのか、その手つきは慣れたものだった。
しばらくしてから飴色の少女は身体を離し、片方の手を差し出した。銀の少女はその手を取ると、ゆっくりと階段を登り出す。二人分の足音と笑い声が階段に響いていた。
購買部でお気に入りのパンを手にいれた栗毛の少女は、朱い瞳をきらきらさせて、上機嫌に笑みを浮かべている。よほど暑いのかシャツは第二ボタンまで開かれ胸元が晒されている。首には紫色の皮の首輪がつけられており、角度によってきらきらと光った。使い古されているのだろうか、首輪にはところどころ傷が見える。少女は目の前に立つ青年を見上げ楽しそうに報告した。
「いつものあったよ」
「よかったな」
黒い短髪に紫色をした瞳の青年は、朱眼の少女を優しく撫でパンを受け取る。少女にとってそれは当然のことなのだろう、素直に差し出し、パンを持つ腕に自らのそれを絡める。少女に合わせたのだろう歩幅で二人はゆっくりと歩き出した。小柄な朱の少女は紫の青年を見上げてさらに言葉を募らせていく。
「それに、今日はコロッケメロンパンをゲットできたんだ!」
「……え?」
嬉しくて堪らないというように声を殺して笑い出した朱の少女。紫の青年はくすりと笑ってその頭を撫でた。朱の少女はごろごろと喉を鳴らすようにその手に頭を擦り付けた後、紫の青年の腕を引いて走り出す。紫の青年は困ったように笑って後に続いた。
「幸せ、か」
いくつかの足音に気づいて、静かに笑ったのは誰だろう。
なんでもない日常の、なんでもない毎日。




