第二九〇話:第一部エピローグ:大星夜
「えっ? わたしが艦長……ですか?」
「あくまで建前上! 建前上ですわよ!?」
普段では決して見られない不満の表情を浮かべたアリスに、アステルが慌てて補足する。
出発まであと一日というところで、予定を大きく変えるわけにはいかないのだろう。
「建前上だとしても、承服しかねます。なぜ、マリウスさんが艦長ではないのですか?」
「それは、マリウス前大船団長が人間ではなく魔族の代表であるからです」
アリスが怪訝な表情を浮かべる。
「ごめんなさい、ちょっと意味がわからないです。おっしゃる通り前大船団長であるなら、マリウスさんは人間の代表でもいいのでは?」
「おっしゃる通りですわ」
ここは予想できたのだろう。アステルはおちついて滑らかに答えた。
そして諭すように一息おくと、
「ですが、万一向こうの魔族の方が人間に非友好的であった場合……マリウス前大船団長のお立場が、急降下致します。おわかりに、なりますでしょう?」
「あ……」
アリスの顔色が、明らかに変わった。
そう、俺たちの向かう先は、人間だけの海ではない。
俺と同じ、魔族もいる海になる。
場合によっては魔族だけの海である可能性もあるのだ。
「じゃあわたしとクリスちゃんは……マリウスさんの奴隷ということでひとつ」
「お立場が急降下しすぎですわね!? あとクリスさん! イケるって顔はおよしなさい! かりにも前総司令官の発想ではなくてよ!?」
そう叫びながら、アステルがちらっちらっと、こちらを見る。
どうやら、助けが必要らしい。
「……アリス」
「はい」
「我慢してくれるか」
「はいっ!」
「ちょっとぉ!?」
助けたのに抗議される俺だった。
「いらぬ世話だったか」
「いえ、そうではなく……! アリスさんの忠誠心というか、依存性がちょっと心配になっただけですわ……!」
確かにそれは俺も危惧している。
が、現状有効な対策がないので、注意深く見守るしかない。
なにか、アリスが興味を引くものが南半球にあればいいのだが……。
「でも、みなさんの中ではわたしが一番階級が低いですよ? 本当に艦長扱いでいいんですか?」
「俺はいまアステルがいったように立場上できない。雷光号の持ち主という形で我慢してくれ」
「わかりましたけど……クリスちゃんは」
「私は人間代表という形に収まるそうです。面倒臭いですが、仕方ないですね」
どこか気楽な様子で、クリスはそう答えた。
総司令官の座をアステルに譲った時から、少し余裕があるようにみえるクリスである。
それは依然指揮官としての能力を求められるクリスには、とても良いものであった。
「んでもって、オイラは人間寄りか大将寄りかっていったら、大将寄りだもんな」
たしかに、常に鎧姿のニーゴを人間側の艦長とするわけにはいかない。
人間とそっくりの身体を新たに作ることも可能であったが、ニーゴは苦笑してそれを辞退していた。
曰く、艦としての身体を乗り換えた時点で、もう十分らしい。
「じゃあ、建前上のニーゴちゃんの立場は?」
「ああ、オイラは大将の護衛だってよ」
「なるほど」
まとめると、こうなる。
・建前上の南天捜索隊
艦長:アリス・ユーグレミア少佐
人間側の大使:クリス・クリスタイン元帥
雷光号の持ち主:アンドロ・マリウス大将
持ち主の護衛:ニーゴ准将
なお、実態はこうである。
・実質的南天捜索隊
艦長:アンドロ・マリウス大将
提督:クリス・クリスタイン元帥
操舵手:ニーゴ准将
通信士・副官:アリス・ユーグレミア少佐
「つまり、いつも通りですね」
「ああ、そうなるな」
封印される前の魔王であった俺は、一時が万事このような感じであった。
封印から解けたあとは、このような地位に上り詰めることはもうないだろうと思っていた。
そしていま、南半球を目指す段になって、こうしてまた段取りの話をしている。
それはなんというか、不思議な感覚であった。
そして、出立当日。
当日なのだが……。
「朝からいいのか……」
俺は、高級士官用の酒場にいた。
「いいんだよ。ここにいる連中は、夜まで残るような飲み方をしないからな」
エミルが、そんなことをいう。
ここにいる連中とは、エミルと俺、そしてリョウコとドゥエであった。
「それに、アステルのやつが抜けて、どうも落ち着かないんだ。だからつきあえ」
「そういうことか……」
同期が出世すると、稀にこういうことが起きる。
いわゆる、すわりが悪いというものだ。
それは、俺も見ていた光景であり、また感じたことでもあった。
「いよいよか」
「そうだな」
給仕された酒を煽る。
度数はそれほどでもないが、不純物がほとんどないため、喉の滑りがいい。
「なんか愉快なことになったら、オレらを呼べよ?」
「そんなに気軽に行ける距離ではないぞ?」
「なにいってやがる」
隠したって無駄だぜ? とエミルは続ける。
「あのひょろ長は、宝石だかなんだかを埋めて瞬間移動できる魔法が使えたんだろ? だったらマリウス、お前だって使えるはずだぜ?」
「——そうだな。その通りだ」
そういえば、タリオンによる追想劇を、エミルも観ていたのであった。
なにもいわないということは、リョウコもドゥエも気づいていたのだろう。
「元船団シトラスの海底工場に、移動できる『門』を設置した」
「いいぜいいぜ、そうこなくちゃな」
「ただし、いまはただの置物だ。俺たちが南半球に到達し、さらに拠点となるべきものへ辿り着いた時点で、ようやく使えるようになる」
「なるほどな。で、現状それを把握しているのは?」
「ミュウ・トライハル大将と、アステル、それにクリスだ」
「まぁ、そんなもんだろうな」
この情報は本当に船団アリスの上層部だけにとどめている。
万が一、侵攻を考える者が現れたら、洒落にならないからだ。
「つってもあれでしょ。戦艦大のもの、通せないでしょ?」
ドゥエの指摘に、俺は頷く。
「そうだ。せいぜいが数名といったところか。それも、一度通ると少し時間を置くことになるだろう」
「つまり、己の武が頼りになるということですね!」
こういう場でも帯刀しているリョウコが、嬉しそうに柄頭を撫でる。
「さいわい、ここにいる連中は全員武闘派だ。問題ないぜ」
「本当にな」
エミルは射出できる銛、ドゥエは巨大な刃を前後に備えた双刃剣、そしてリョウコは見た目通り刀と、それぞれが得意な獲物をもち、その実力はかつての魔王軍幹部と同等以上に渡り合えるほどである。
願わくば、彼女たちを呼ぶような事態に陥ってほしくはなかったが。
「んじゃま、いってこい」
「ヘマするんじゃないわよ」
「ご武運を!」
「ああ」
小さなグラスを打ち合わせ、一気にあおる。
それは久方ぶりの壮行であった。
そして、夜になった。
「これは……」
雷光号の甲板——潜水艦となった今、狭くはあったが一応ある。従来の巡洋艦型と比べ、柵などがないから転落の危険性が高く、用途も限られるためなんらかの改良が必要そうだ——に立った俺は、上を見上げていた。
背後にはジェネロウスの聖堂、つまりは島があるはずである。
だが今は、巨大な影となっていた。
あかりが消えているのである。
その代わりに、空には。
「これは……すごいな」
見上げれば、満点の星々が彼方まで続いている。
やがて、小さな灯りがともった。
それはジェネロウスの島から、その横に並べた中枢船——元五船団の中枢船と、機動要塞『シトラス・ノワール』の計六隻。それを二列縦隊に並べたのである——から、次々と灯っていく。
ひとつひとつは、小さな蝋燭の光である。
俺は自動的に暗視の魔法が発動しているが、他の者はぎりぎりみえるかみえないかといったところだろう。
それがそれぞれの船に一斉に灯ると——。
海面の直前まで、まるで星が降りてきたかのようであった。
「マリウス公よ」
聖堂の港、一番大きな埠頭の最前列に立ったミニス王が、自ら灯火を持ち、俺に語りかける。
「貴公の航海に、祝福のあらんことを」
隣に立つ聖女アンが、同じく燈を手にしながら、聖歌を歌唱する。
併せて、王とアンの左右に控えた選りすぐりの聖歌隊が、後に続いた。
灯りが小さいので俺以外にはわかりづらいかもしれなかったが、その歌声は、あのジェネロウスで一緒に切磋琢磨した仲間たちの声である。
「クリスタイン代表」
雷光号に寄せた内火艇から、アステルが貴金属で作られた小さな六分儀をクリスに渡す。
それは、星を使って航海するときに使った道具を象徴するものであった。
もっとも、その六分儀は職人の意地で実際に使えるようになっている上に、実用的な精度を保っているらしい。
「どうか、お気をつけて」
「ありがとうございます。アステル・パーム総司令官」
クリスが敬礼を返し、俺たちがそれに続く。
「船団アリスといたしましては——」
アステルと同じ内火艇に乗った、ミュウ・トライハル大船団長が、後に続く。
「南天の統一政権、もしくは列強序列一位の政体と相互不可侵が結べればよしと考えます。同盟は、あわよくば——で構いません」
「了解した」
苦笑を堪えつつ、俺はそう回答する。
それは、図らずも前の陛下が俺に伝えたことと同じ内容だったからだ。
「それでは——マリウス艦長」
「ああ。総員、潜望橋へ」
ニーゴのみ、艦内の操縦室へ直行し、俺とアリスとクリスが潜望橋へと移動する。
もともと水中での抵抗を減らすため、三名で立つとかなり手狭であった。
『大将、いつでもいけるぜ』
「よし。雷光号、微速前進」
『あいよ、雷光号、微速前進!』
艦尾の水面が小さく泡立ち、潜水艦『雷光号』がゆっくりと海へ進み出る。
巨大な中枢船に見送られた先には、各艦隊の旗艦と、紅雷号四姉妹が同じく二列縦隊で出迎えてくれた。
その中を、雷光号は粛々と前進する。
『パパ、いってらっしゃい!』
『お父様、どうかご無事で』
『向こうのお土産、楽しみにしているであります!』
『雷光号おじさんも、元気でね』
直後、背後に大きなあかりが灯った。
みれば、島の傍に移動していた旧大雷光号が、直立不動のまま片手を掲げている。
その掲げた手のひらに、巨大な灯火台が設置されていた。
紅雷号四姉妹がここにいる以上、用意したのは人間だろう。
こういうところが、本当に侮れないと思う。
「総員、操縦室へ」
アリスとクリスを先に行かせ、俺は梯子を伝って操縦室へと降りる。
「ふぅ……」
提督席に座って、クリスが一息ついた。
「調音機、正常。表示板、正常。艦内の様子も異常なしです」
通信士席に座ったアリスが、早々と確認事項を読み上げる。
「よし。雷光号、潜航開始。進路、南」
『あいよ! 進路南! 雷光号、潜航開始!』
真っ暗な夜の海を、雷光号が静かに潜航する。
普段は周辺の表示をする正面の表示板には、各種計器の表示しかない。
「——雷光号、外の様子を正面に」
『あいよ。星空、映すぜ』
俺の意図を察知して、ニーゴが星空と、依然灯る船団のあかりを映し出す。
「それじゃあ行きましょうか、マリウス艦長」
「ああ、そうしよう。クリス」
「これからもよろしくおねがいします、マリウスさん!」
「こちらこそ、よろしくたのむ。アリス」
雷光号は海の下、南へと向かう。
その先に何があるのか、それは俺にもわからない。
第一部、完! 引き続き、第二部をおたのしみに!
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