第二八九話:大星夜にむけて
「提案なのだが」
その日はミニス王陛下の希望で朝食会となった。
こういうものは得てして『お願い事』を伝える場であるので、そうであろうと踏んでいたのだが、次に飛び出してきたその内容は、俺にとって未知のものだった。
「マリウス公出立の儀には、大星夜に行いたいのだが、いかがか」
「恐れながら陛下……大星夜とはいったい?」
「ん? あぁ、すまぬ。大星夜とはな——」
「それについてはわたくしがご説明いたしますわ! かつて星を使って緯度と方位を測定していたわたくしたちの祖先は、出発の日に星がよく見える夜を選んでいたのです。その夜を、大星夜と呼んでいたのですわ」
「ステラローズ……それくらいは余にいわせてくれぬか……」
「も、もうしわけございません陛下!」
なるほど、それでウィステリア中枢船の最上層『宮廷』は星空を模していたわけか。
前から気になっていたことが、ひとつ氷解した俺である。
「いまは夜の出航というと視界が悪いためあまり行われておらぬが……公の操船技術であれば、なにも問題あるまい」
「お褒めいただき、ありがとうございます陛下。仰せの通り、何も問題はございません」
実際問題、夜の闇は何ら障害にならない。
俺も雷光号も暗視が効くし、衝突する恐れが発生した場合は自動的に検知し、それを避ける機能もある。
「そうか。では、余の天文官に、最適な日付を調べさせよう。式典の具体的な段取りは——」
「陛下。お詫びといってはなんですが、その差配はこのわたくしめに」
「よいのか? ステラローズ。そなたはクリスタイン公の後を継いで全軍の司令官になったのであろう」
「だからこそですわ。」
「——わかった。頼むぞ、ステラローズ」
「おまかせくださいませ!」
こうして、俺自身は蚊帳の外のまま、手続きが進んでいく。
それは俺が大船団長を退いたいま当然のことであり、望ましいことでもあった。
■ ■ ■
縦海の決戦を勝利で収め、事実上船団アリスが北半球——人間で言うところの、北天——を統一したため、論功行賞は以下の通りになった。
まず、決戦に参加した全将兵のうち、兵士と下士官は全員二階級特進。将校のうち少尉から大佐までが一階級昇進、そして将官を含む全員が勲章授与である。
これによりアリスがついに少佐となり、ニーゴが准将となった。
そしてクリスは守護元帥から元帥に戻り、名目上は司令部顧問という役職におさまった。
十二歳で一線から退くという、なんともすごい話であるが、退役せず俺に同行するにはこうするしかなかったらしい。
そして俺自身は、各方面から今度こそ元帥に昇進せよと言う声が上がったが、どうにかそれを抑えて大将のままとなった。
クリスと同じく司令部顧問という役職を預かることになったが、これも書類上はということであろう。
なお、例外としては——。
ステラローズ公爵アステル・パーム元帥が守護元帥に昇進し、船団アリス護衛艦隊総司令官に就任。
ながらく船団アリスの事務方筆頭を務めていたミュウ・トライハル少将が大将に二階級特進し、兼任として船団アリスの二代目大船団長に就任。
アステルは早くも守護元帥府を開いてそこに自分の艦隊の司令部を組み込み、全艦隊の掌握に乗り出していた。
これにともないクリスの近衛艦隊は——。
「え、ちょっとまってください。私が!?」
ミュウ・トライハル大将直轄となった。
「大船団長としての俺が名目上近衛艦隊の指揮官だったからな。その名残りだ」
加えて、俺が預かっていた指揮艦『コマンダー』と、機動要塞『シトラス』も麾下に加わることにある。
「でも私、指揮能力なんてありませんよ!?」
「でも、具申される情報を精査することはできます」
クリスが、涼しい顔でいう。
「それができるだけでも、指揮官の才能はありますよ」
「うう……早く元五船団の垣根を無くして、近衛艦隊を縮小させなくては……」
「いや、垣根はともかく数を減らしてはならないだろう」
「そうですよ。この海は広いんですから」
「そうですけど……!」
実際、各艦隊の司令官を筆頭に、元五船団の五つの艦隊を自由に行き来できる制度を構築中らしい。
これは、アステルとミュウ・トライハル大将であれば可能だろう。
■ ■ ■
「准将……准将かぁ……。出世したわね、あたし」
強い酒の入ったグラスを通して店の照明を見つめながら、メアリはそう呟いた。
中枢船『シトラス』の酒場。本来は将官ではなく、船団と協力関係にある船の船長が通う酒場である。
しかしこっちの方が馴染みが深いのだろう。メアリと『超! 暁の淑女号』の乗組員はいまもこちらの酒場を贔屓にしていた。
「私も中佐から大佐になってしまった。これはもう、退役するまで抜けられない……!」
メアリの隣で、ドロッセルがそう呟く。
俺たちと一緒に船団シトラスに来たため、こうして巻き込まれてしまったわけだが……。
「元の交易船に、戻りたいか?」
「半分半分っていったとこかしらね……収入がめっちゃ安定したから、乗組員のみんなだいぶ生活が楽になったし」
「たしかに以前ほど自由はないが、我々哨戒艦隊は海の見回りが仕事。海を巡るのは、以前と変わらない」
「そうかもしれないな」
かなり度数の高い酒の入った小さなグラスを傾けて、俺。
魔王ともなると、これくらいの酒でもなかなか酔えないのが厄介といえば厄介である。
「っていうか、マリウスさまさまでしょ。おこぼれ出世でここまでいけるなんて、そうないわよ?」
「たしかに。普通は軍に取り立てられても、大尉がせいぜい。それが——」
「准将と大佐で、提督と艦長だもんね……でもそれよりも驚いたのが」
「魔王」
「そう、それ!」
「——艦隊の外では、あまり口外せんようにな」
苦笑しながら、俺。
俺が人間ではなく、魔族を率いてきた魔王であることは、船団の上層部と艦隊の上層部には周知されている。
機密だのなんだのとこまかいことをいうつもりはなかったが、それでも民間では一応秘匿されている情報であった。
もっとも、ミュウ・トライハル大将が大船団長を引き受けたため、それほど神経質になることもないだろう。
いまやこの巨大な船団は、人の手によって運営され、人の手によって護られているのである。
「で、マリウスは行くんでしょ? 南天に」
「ああ」
「ついて行きたいの山々だけど——あたしたちの船じゃ、嵐の壁はおろか材木海流も抜けられそうにないからね」
「すまない。改良する暇があればよかったんだが」
「いいのよいいのよ。潜水艦なんかにされても困るから」
「そう。メアリなら間違いなく最深を目指して無茶をするに決まっている」
「無茶はしないわよ? めざすけど」
全員で、同時に笑う。
こんなやりとりは、本当に久々であった。
「それにしても南天か……どんなところなのかしらね」
「俺にも皆目見当もつかん」
「それはいい。その方がきっと——」
濃い酒を炭酸水で薄く伸ばした酒をあおり、ドロッセルは言葉を続ける。
「楽しみが、増すというもの」
■ ■ ■
「正直君には嫉妬しているの、マリウス君」
「知っていた」
中枢船『シトラス・ブラン』艦橋、通称『図書館』。
先のシトラス動乱の際、前半分の艦橋は事実上壊滅したため、大改装を施し、後ろ半分にあった本来の図書館と物理的に融合している。
これにより広さは単純に二倍となったはずだが、部屋の煩雑さと書棚の量は変わっていない。むしろ、増えている感がある。
その主のヘレナ・ニューフィールド司書長は、ある意味トライハル大将、アステル総司令官以上に重要な役割を担っている。
五船団が統合した際、その情報部、つまり諜報機関と広報機関を併せたものの筆頭となったからだ。
他の四つの船団にも諜報機関はあるにはあるのだが、統合する際、我先にとヘレナを筆頭に推挙したらしい。
『まぁ、情報部の長なんて、諜報員からしてみれば一番やりたくない役職だもの。水面下にに潜っていた方(※地に潜るという意味だろう)が楽ってことよね。わかるわ!』
というのが、当の筆頭であるヘレナの言葉であった。
そんな彼女は、クリスを公的にも私的にも支援しているわけだが、流石に今回の南半球行きには含むものがあるらしい。
「いままではその気になればすぐに駆けつけられる場所だったけれど、南天——君達流にいうと、南半球だっけ?——行っちゃたら、おいそれと会えないじゃないの」
「なら、一緒に行くか?」
臨時でヘレナを手伝っていたマリスが、びくりを顔をあげる。
しかし当のヘレナはゆっくりと首を横に振ると、
「残念だけど、それはできないわ。船団アリスは、今がもっとも重要なときなの。それなのに、ここを離れるわけにはいかないわ」
「しかしクリスは離れるわけだろう」
「ええ、誰かさんのせいでね!」
俺のせいだった。
「でも、クリスちゃんの方針は基本、自分が不在でも艦隊が問題なく動くようにするというものだった。だからマリウス君と一緒に五つの船団を巡ることもできたし、結果的に撤退したとはいえ、動乱の初期で、致命的な被害を出すことを防げたわけよ。そして——」
俺をまっすぐに見つめ、ヘレナは続ける。
「これは君にはっきりとお礼をいわないといけないんだけど、クリスちゃんは今回はじめて、そう、はじめて自分の意思で総司令官の座を降りた。公務よりも、自分の意思を優先したのよ」
「そうだな……その通りだ」
十一歳で父親を亡くしてから、ずっと。
クリスは自分よりも公務を優先していたのだろう。
「だからありがとう、マリウス君。私にはついにできなかったことを、やりとげてくれて」
「俺だけの功績ではない。アリスやニーゴも一緒にいて、はじめてできたことだ」
だからクリスは、雷光号に居心地の良さを憶えたのだろう。
そう思う、俺である。
「居心地の良さか……そうね。そうかもしれないわ」
一瞬ヘレナがはじめてみせる笑顔を浮かべた。
だが、次の瞬間にはいつもどおり余裕の表情に戻って、
「それじゃ、魔王城の調査は私とマリスちゃんを中心に進めるわね。可能な限り非破壊調査を進めるけど、場合によっては解体も辞さない——本当にいいの?」
「ああ」
「自分で探査したいと思っていたんだけど、違っていた?」
「いや、違わない」
色々なことがあったが、あそこは前の陛下の居城であり、俺の居城でもある。
あの場所で、いろいろなことがった。
うれしい思い出も、甘酸っぱい思い出も、つらい思い出も。
「だが、ものごとには優先順位がある。今の俺は魔族の生き残りの様子を調べる、その義務がある」
「調査はそのあとってことね。わかったわ! 非破壊検査を徹底して行うわよ! 徹底して!」
「お待ちください、ヘレナ司書長。我が主は場合によっては、と破壊検査も容認されておりますが」
「そのときが来たら、貴方をたよらせてちょうだい、マリスちゃん」
「……承知いたしました。それが我が主のためになるのならば」
「ふたりとも、頼んだぞ」
そう言い残して、俺は『図書館』をあとにした。
■ ■ ■
「お帰りなさい、マリウスさん」
雷光号に戻ると、アリスが一番に出迎えてくれた。
両手に持っている荷物は、現在全力でこちらへ引越し中のクリスのものであろうか。
「ただいま、アリス。クリスは?」
「いま自室をニーゴちゃんと一緒に改造中です。いままでは、机と箪笥だけでしたからね」
そうだった。
俺たちと航海をしていたとき、クリスは私物を一切持ち込まなかった。
自宅から持ち込んだのは、制服、礼服、そして訓練着と各種武装、それに書類と文房具一式。
あまりにも簡素だったので心配していたのだが、どうやらこれからは杞憂になるらしい。
『おっ、この記念写真の娘誰よ? マリスっぽいけど、なんか雰囲気違くね?』
『それはまだマリウス艦長が中に入って操作していた時のことですよ。この前聖堂のみなさんが持ってきてくれたんです』
『三人でピースか……大将、いい表情してるな』
『はい。なので部屋に飾ることにしました』
『みためがマリスたあいえ、大将のレオタード姿は貴重だもんな』
『いわれてみたら、そうですね……!』
クリス?
クリスタイン司令官?
それはもしかして、俺たちが第一次か第二次の試験を突破したときに皆で撮った写真のことか?
「ちょっと回収してくる——!」
「まぁまぁ! いいじゃないですか、マリウスさん!」
流石にそれは恥ずかしいのでどうにかしたかったのだが、予想以上に強いアリスの抵抗で、断念することにした俺であった。
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