第二七五話:一万年の研鑽と、一万年の記憶
雷光号の腕が上がる。
タリオンは、ただ静かに手を振っていた。
彼が挨拶代わりに使っていた臣下の礼でも敬礼でも、ない。
その動きがとまり――振っていた手が、力なく垂れる。
「総員、敬礼」
「了解しました。総員、敬礼」
クリスが気を利かせ、アリスがそれを各艦に伝える。
俺も自然と腕が敬礼の形を取っていた。
しかしそれはかつての魔王軍式のものだったので、慌てて船団アリスの形式に戻す。
「かまいませんよ、マリウス大将」
クリスの心遣いが、ありがたかった。
しかし今の俺は、船団アリスの船団長であり、一艦隊を率いる指揮官でもある。
だから、船団アリスの形式のまま――狭い艦内を考慮したのだろう。魔王軍のように肘を横に広げず、脇を締めたままほぼ垂直にしたもの――俺はタリオンを見送った。
それにタリオンのことだ。そのようなことで眉をひそめるような男ではない。
――いや、人間の風習に染まった俺に小言を漏らすかもしれないか。
さて。
眉間を指でつまみ、操縦席を座りなおす。
前を見据える先にあるのは、タリオンの――。
「マリウス……さん?」
アリスが、心配そうに声をかける。
「俺はもう大丈夫だ。心配をかけてすまなかった。それより来るぞ、気をつけろ」
既にタリオンの魔力は尽きている。
つまり、目の前にいるのはタリオンの遺体――本人がいうところの、残骸だ。
だが、その芯にはなお、得体の知れない魔力が弾けようとしている。
それは、タリオンの死という最後の軛がはずれ、今まさにその姿を現そうとしていた。
タリオンの遺体が、静かに震える。
そしてその外皮が……皮膚や頭髪、衣服を構成していたものが、ぱらぱらと崩れおちはじめた。
「うっ……!」
クリスが、口元を抑え目をそらした。
たしかにいままで話あっていたものがその身体を崩していけば、気分も悪くなるだろう。
「すまない、厳しいようなら席を外しても――」
「いいえ……いいえ!」
口元を抑えたままであったが、吐くことはせずにクリスは前を向く。
「あの遺体の核が強敵ならば、一瞬でも目をそらすわけにはいきません……!」
もう既に、外皮と筋肉を構成していた部品が剥がれ落ち、目の前にあるのは骨格に当たる部品しか残っていない。
骨格といってもそれは魔族や人間のそれとはかけ離れた、棒人形のような形をしている。
生物学的に骨格には筋肉がなければ動くことができないが、機動甲冑のそれは動くことができる。
操縦室も装甲も武装もなくても基本的は動作は原理的には可能であり、それが機動甲冑の兵器としての優秀さのひとつであった。
そんな棒人形を、それでも遺体と呼んでくれるクリスの配慮には、感謝しかない。
「もう少しで動き始めるぞ、気をつけろ」
『その間に砲撃ぶっこんじゃあかんの?』
雷光号が、当然のように訊く。
「駄目だ。凝縮された魔力が爆発する。動き出してから、剣でとどめを刺すしかない」
『マジかよ……っていうか大将、この核っての、オイラやスカーレット達の身体も、こうなってんの?』
「いや。貴様らは変形機能が備わっているからな。もう少し複雑だ」
付け加えると、その変形機構は俺が封印された後にいちから設計したものだ。
故に、そう簡単には模倣されることはない。
もっとも、収斂進化のごとくそこに行き着く可能性は、零ではないが。
「だから、貴様らの身体が、ああなっているわけではない。そこは安心しろ」
通信機越しに、紅雷号四姉妹の安堵した気配が伝わってきた。
何も言わなかったが、雷光号もそうであろう。
種族に関係なく、自分のものかもしれない骨格を直接みるのは嫌なものであろうから。
「『核』動きます」
タリオンが死んでから全く動じていなかったアリスが、そう報告する。
タリオンのいう残骸でも、遺体ともいわないところに、アリスの気遣いを感じるが、動き出したいま、感想を述べている暇はない。
「全艦抜剣、一斉に――」
『いや、一対一でやんな』
蒼雷号から、エミルの声が届いた。
『後ろに控えちゃいるが、邪魔をするつもりはねぇよ。あのひょろ長、本気で倒せっていってたんだろ?』
「……感謝する。雷光号」
『おう』
雷光号が光帯剣を構える。
その直後、『核』の震えが止まった。
そして今までの動きとは比較にならない俊敏さで、立ち上がる。
「いまだ。真っ向から縦に斬れ」
『おう!』
雷光号が光帯剣を振りかぶったその瞬間、『核』が変形した。
正確には、骨格の外装部分がずれ動き、その内部が露出したのだ。
その内部にあったのは――いや、正確にはその内部を構成していたのは――。
「宝石だと?」
タリオンがもっとも得意とした、宝石に魔力を貯蔵する技術。
それが、機動甲冑の骨格に使われているということは――。
「そうか、魔力炉がないのはこれが原因か」
『それだけじゃねえぞ大将! なんか来る! みんなさがれ!』
光帯剣を振りかぶる姿勢から、剣を受ける防御の姿勢に切り替え、雷光号が叫ぶ。
直後、『核』を構成する宝石が、紅く輝いた。
おそらくなにかの魔法が放出されたのだが、それがなんなのがわからな――。
『グワアアアア!?』
『きゃああああ!?』
『核』のそばにいた、雷光号と、すぐ後ろにいた紅雷号が悲鳴を上げた。
とっさの判断か、蒼雷号、紫雷号、黒雷号が距離を取り、武器を構える。
「雷光号どうした!?」
『わかんねぇ! でも身体の自由が効かねぇ』
「紅雷号、貴様もか!」
『はい、なんか身体中に雷を流されたみたいな……んうっ!?』
「機動甲冑の遠隔操作か……!」
対抗魔法を発動させる。
だが、信じがたいことに『核』の出力が俺を上回っていた。
生前のタリオンとは明らかに魔力に差があって、魔力の出力で俺が負けることは一度も無かった。
だが、いま『核』の放っている魔法を打ち消すことができない。
現在はぎりぎり耐えている状態だが、それがいつまでもつか保証できない。
おそらくだが、タリオンはこの身体に換装したときから、魔力を貯め込んでいたのだろう。
これにより、下回っている出力を量で補うことによって、俺の魔力と対抗できるというわけだ。
「なるほど……確かに強敵だな、タリオン!」
ここまでやられたなら、やることはひとつだ。
俺が直接出撃し、『核』と抗戦する。
かつて大鬼族とも戦ったことのある俺だ。
十倍、二十倍程度の体格差、どうということはない。
「クリス、俺が直接あれと戦う。雷光号、昇降用の扉を開けろ」
『いや、ちょっとだけまってくんな。大将』
苦しそうではあったが、雷光号は俺の申し出を断った。
『こういうこともあろかとよ、スピネルに作ってもらったんよ』
「なにをだ?」
『そいつをこれからみせてやんぜ。大将、一度立ってくんな』
言われるまま、操縦席から立ち上がる。
するとそれは床下に収納され、代わりに――。
「これは……!」
一瞬、懐かしさのあまり目頭が熱くなった。
いままでの操縦席は、操縦とは名ばかりの艦長席であった。
指示が飛ばしやすいよう、周りにはなにもない、指揮官のための椅子。
その代わりに今目の前にあるものは、二本の操縦桿と、両足に合わせた踏み板。
まちがいない。
それは、往事の機動甲冑の操縦席を再現したものであった。
『オイラたちの古い記憶と、あいつの映像からスピネルが再現して、設計図を送ってくれたんよ。それを、オイラ達でそれぞれ作ったってわけさ!』
なるほど、それならば『核』の機動甲冑を操ろうとする魔法は意味が無い。
元々の設計上、機動甲冑を魔法で外から操ることはできるが、内部に操縦者がいる場合を鑑み、その場合はあらゆる操作を操縦者側が優先するようにしてあるからだ。
『これならオイラ達の身体が動かなくても、操縦することができんぜ、大将!』
おそらくそれは偶然だろう。
あるいは、リョウコの鬼斬黒雷号が使った人騎一体を参考に、より格闘戦を戦いやすくと考えたのかもしれない。
「感謝する、雷光号。設計を行った黒雷号も」
『紅雷号たちも同じ操縦席、用意したようだぜ』
「そうか、それなら……いけるな」
雷光号の真の操縦席に座り、俺は『核』を見据える。
「これより反撃に移る。総員、安全帯の確認を――」
「あの、ちょっとまってください」
珍しいことに、ここでアリスが静止した。
「マリウスさん……その服を着たままで大丈夫なんです――よね?」
うん……うん?
そういえば、リョウコの人騎一体は操縦者の細やかな動きに追従するため、全裸になる必要があった。
だがこっちは、操縦桿と踏み板のみである。
「であるよな? 雷光号」
『お、おう。他に操縦に関する装置はないし、第一オイラ全裸の大将みたくねぇ』
「――よし!」
少々気が抜けたが、万一の懸念は晴れた。
「雷光号、反撃を開始する」
光帯剣を構え、突撃に備え機関の出力を上げる。
久々の懐かしい感覚であった。
「ヒャッハー! ようやくきたねぇ! タリオンくん!」
「大変お待たせいたしました! これより特等席でコーラとポップコーンと共に観戦ですぞ!」
「……ふたりとも、そっちで元気そうならなによりだ」
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