第二六八話:再会の友は。
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封印される前、最後にタリオンと話したのは、あの忌まわしい勇者とやらとの最終決戦を控え、非戦闘員を魔王城から避難させるときであった。
当初、タリオンはその避難部隊の指揮を執るのに、かなりの難色を示していた。
今思うと、タリオンは前の陛下のときに救援が間に合わなかったのを思い出したのかもしれない。
しかし既に当時の魔王軍には大きな軍、それも非戦闘員を指揮できるものがもういなかった。
例を挙げれば旗揚げ当初からの前線指揮官であった半神猛虎団の『ヨンバン』ナ・ンバは重傷を負い後進のエミ・ナンに譲るも彼女もまた再起不能となってあのチ・エに譲るほどの事態に陥っていたし、もっとひどいところでは文字通りの意味で全滅(戦略的な意味の全滅ではない)してしまい、後継の指揮官を据えるどころではないことになっている部隊もあったほどだ。
なお、前述の新『ヨンバン』チ・エと半神猛虎団は決戦には参加せず、タリオンの避難部隊に組み込まれている。
いまは落ち延びて、半神猛虎団を再建させることが新しい『ヨンバン』としての務めであると俺が諭し、そして本人もそれが大事であると理解しているためであった。
「脱出経路は」
「既に算定済みです」
大陸全図と、その周辺の海図を魔法で同時に表示させて、タリオンは杖で経路をなぞっていく。
「船団を一度北の海に出してから、大陸の沿岸を反時計回りに進み、南端まで進みます。後は南洋の島嶼群を目指すという算段ですな」
「もはや、それしかないか……」
大陸の地図には、それぞれの勢力を示す旗が刺さっている。
赤が我々魔王軍、
青が人間の連合軍だ。
どちらの旗も、あまりにも少ない。
かわりに大陸中を埋め尽くす黒い旗は……なにもないことを示していた。
かつては魔族の、あるいは人間の、城であったもの、街であったもの、村であったものが、お互いの殲滅戦により灰燼と帰した証が、その黒い旗なのである。
「それよりも陛下、勝算はおありで?」
「もちろんだ」
四個軍団、十六個師団、六四個連隊、二五六個大隊、一〇二四個中隊、四〇四八個小隊の計六四七六八騎。
軍団長が全員戦死か再起不能となっているため、四個軍団すべてを俺が直接指揮しなくてはならないが、できないわけではない。
現在の我が魔王軍はこれに非戦闘員二万名余りを含めて計八万強、対する人間もその数をだいぶ減らし、その総数は五、六万人ほどだという。
ここからどれだけ戦闘員を抽出するのか定かではなかったが、仮に総動員したとしてもその数は我が方と同数。
それならば、たとえ差し違える形になっても、負けはしない。
当時の俺はそう考えていた。
実際にあの忌々しい勇者とやらが抽出したのはたったの三〇〇人で、しかもその三〇〇人に――正確にはたったひとりに――我が魔王軍は撃破されるのだが、それは直前まで全く予想だにしていないことだった。
「では、臣が申し上げましたとおり、この魔王城にて待機した方がよろしいのでは?」
「ならぬ。ここ最近の人間どもの進軍具合からして、狙っているのは明らかにこの魔王城だ。故に、ここに非戦闘員を置くことはできない」
万一のことがあってからでは、遅すぎるのだ。
前の陛下のときのように。
「かしこまりました……それでは、南洋を目指した避難計画を、続行いたします」
「頼む。落ち着くまでは、戻るなよ」
「仰せの通りに。それでは臣は編成の確認がありますので、これにて」
「ああ」
これが、封印される前の俺とタリオンとの、最後の会話になった。
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「タリ……オン」
自分のものとは思えないほど、その声はしわがれていた。
舌が喉に張り付くほど渇いている。
魔王になってから、これほどの渇きを俺は憶えたことがなかった。
「はい。お久しゅうございますな、陛下」
そのタリオンが、目の前にいる。
二十倍に拡大された魔王城の、二十倍に拡大された宮廷魔術師の席。
そこに腰掛けているタリオンも、当然のように二十倍の大きさを誇っていた。
「タリオン……貴様は……」
遠くからみればタリオンそのものであったが、近くでみれば、それが機動甲冑の部品を用いたものだとよくわかる。
髪の毛は配線や放熱索であるし、皮膚はマリスやスカーレットたち四姉妹のような柔軟性を持っているように見えない合成皮革である。
そして指の関節は手袋で、他の関節は服で隠しているが、それはおそらく機動甲冑と同じくむき出しなのだろう。
眼球は測距儀を応用したものであるし、わざわざ色硝子を用いて瞳の色を模していた。
あの綺麗な深い藍色が、今はすっかりくすんで――。
魔王になってからついぞ忘れていた吐き気が、胃からこみ上げる。
「マリウスさんっ!」
即座に席を立ったアリスが、俺の背をさすってくれたおかげで、俺は失態を犯さずにすんだ。
「すまない、俺を外に出してくれ」
「それは……」
「――許可できません」
口元を真横に引き結んで、クリスが珍しく俺の要請を断った。
「頼む、旗揚げ以来の仲間なんだ……」
「――私が戻れと言ったら、必ず戻れますか」
「ああ」
「最悪の事態になったらニーゴさんが直接つまんで艦内に叩き込みます。いいですね」
「それでかまわない」
「わかりました――それでは、マリウス大将の船外作業を認めます」
操縦室から、雷光号の肩の上に出る。
『気をつけろよ、大将。今回ばかりはオイラ小さい嬢ちゃんのいうことを優先させるかんな』
「ああ、それでいい……」
差し伸べてくれた掌の上に乗り、俺はタリオンと対面した。
「諸事情により立礼できぬご無礼、お許しください」
「それはいい。それはいいんだ、タリオン……!」
かつての友のそして一の臣下の変わりように、胸が痛む。
だが、その原因はおそらく俺だ。
それ故に、ここで弱音を吐くわけにはいかなかった。
「一体貴様に何があった。どうしてそのような姿になっている」
なるべく感情を押し殺して、俺。
それを意識しないと、感情が爆発しそうだった。
「そうですな……話せば、本当に長くなるのですが」
椅子に座ったまま昔を思い出すように目を細めて、タリオンは答える。
「一言でいってしまえば、陛下がお戻りになる前に、臣の寿命が尽きそうだったためです」
つまり俺は、千年以上封印されていたということか――!
口の内側を、思わず噛む。
世界の変わり様から、百年や二百年ではないと思っていたが、やはりそれくらいの年月は経っていたようだ。
「それで少しずつ機械に置き換えていったのですが、いかんせん当時の技術力では小さくするのに限界がございまして、このようになってしまった次第で」
「――生身の部分は、残っているのか」
「いいえ。もはや機械のみでございます」
その一言で、体温がかなり下がった。
つまり目の前にいるのは、タリオンではあるものの生物としてはタリオンではないということになる。
その覚悟、いかばかりか。
「いってみれば臣そのものが、意思を持った機動甲冑の試作機といったところですな。最初は臓器、次は肢体、さらには神経――というように少しずつ機械に置き換えて参りました。――あぁ、脳を置き換えるときはさすがに恐怖を覚えましたな。ですが、そのころ生身の方はもう朽ちかけておりましたので」
「どうして、そこまで」
「臣が先に逝くのが、耐えられなかったのでございます」
俺を非難するのではなく、むしろ気遣う口調で、タリオンはそう答えた。
「もっとも、これは賭けでございました。臣の計算したところ、耐用年数は五千年でしたので……いや、まにあってようございました」
――なんだと?
千年ではなく、五千年?
「臣が朽ち果てても、それに対する仕組みは施していたのですが、それが発動する前でようございました。でないと、陛下がお戻りになった際、なにも残っていないという事態になりかねませんでしたからな」
「――タリオン」
無理矢理唾を飲み込み、俺は言葉を続ける。
おそらく俺の質問と、その答えは、重要なものになるという確信があった。
「はい。なんでしょうか、陛下」
「貴様が、機械の身体に置き換わって何年経った。そして、俺が封印されていったい何年が経った?」
「それをお聞きになりますか?」
「そうだ。覚悟はもうできている」
「左様でございますか。では――」
雷光号が掲げる掌の上に乗る俺に視線を向けたまま、タリオンは一息つくと、
「臣が機械化しておおよそ九千年。そして陛下が封印されてから――ちょうど、一万年でございます」
一万年。
俺が封印されてから、一万年……!
人間の感覚に直せば千年にも及ぶその長い年月に、今度こそ俺は膝から崩れ落ちた。
■今回のNGシーン
「臣が朽ち果てても、それに対する仕組みは施していたのですが、それが発動する前でようございました。でないと、陛下がお戻りになった際、なにも残っていないという事態になりかねませんでしたからな」
「――タリオン」
「逃げればひとつ、進めばふたつでございます」
「やめなさい!」
「ちょっ、なんで私にトマトジュースをかけるんですかアリスさん!」




