第二六六話:別離、継承、そして雷霆
「くるの、はやかったじゃん」
そのひとことで、俺は膝から崩れ落ちるのをギリギリで抑えることができた。
痛みも悲しみもすべて追いやり、前の陛下の元へと駆け参じる。
「正直に言うとね、一番最初に来るのは、きみなんじゃないかなぁって思っていたんだ」
腹部を槍に貫かれているため、横たわることもできず、結果として座り込む姿勢のまま、前の陛下はそういった。
「まっていてください、まずは傷を塞がないと――」
「はっはっは。もうどうにもならんのです」
軽い口調で話すが、その声から力は失われていた。
あらためて、傷の様子を確かめる。
目立つ外傷は腹部の貫通創のみ。
不思議と、出血は止まっている。
いや、これは止まっているというより――。
「うん、火の魔法で焼き潰しました」
「なんて無茶を!」
おそらく、想像を絶する痛みが走ったはずだ。
いや、下手をしなくてもその痛みは今も続いているに違いない。
「いやだって、血が流れちゃったら、誰かが来る前に間に合わなくなっちゃうからね。まさか、マリウスくんが一番乗りだとは思わなかったけど」
「僕ひとりの力じゃありません。タリオンと、現地にいた半神猛虎団と、力を合わせた結果です」
「そっか……すごいじゃん」
「いえ、すごいのは理論を作ってくれたタリオンと、手伝ってくれた半神猛虎団の皆さんのおかげで――」
「同盟成立したってことでしょ? お手柄だよ、マリウスくん」
「ありがとう……ございます……!」
思わぬところでずっと欲しかったお褒めの言葉をいただき、俺は頭を垂れた。
目尻に浮かびかけた涙は、前の陛下には見えなかったと思う。
「とりあえず、傷を塞ぎます!」
「いや、どうにもならないよ。それと、槍は触っちゃ駄目。最悪、きみまで浸食されるから」
「浸食?」
「そう。これがわたしが探していた魔法武器。人間は聖槍なんて呼んでいたけどね」
「でも、もう折れていますよ?」
柄は穂先からすぐのところで折れているし、
貫通した穂先も、その先端部分はひしゃげている。
つまり、単純に引き抜くことができない。
「うん。でも今も浸食は続いているんだ。ぶっちゃけ、焼いた傷よりめっちゃ痛いです」
「このっ!」
割と本気で、槍を攻撃する。
だが、折れた柄のかけらすら吹き飛ばせない。
「マリウスくーん、いまビリっときた、ビリッときた!」
「も、申し訳ありません!」
「いや、ちょっとした気付けになったからいいんだけど……魔法、効かなかったでしょ」
「たしかに……」
折れていてもなお、傷ひとつ付かない槍に、戦慄する。
タリオンがこの場にいれば解析できるかもしれないが、それを待つ余裕はなさそうだった。
「だから防げなかったんだよ、この槍がぶっささるの。残りは、ちょっと本気を出しちゃったら骨どころか、灰すら残さなかったけど」
「じゃあ、例の火球は陛下が?」
「あ、見えてた? 全力でやっちゃったからこっち側も巻き込んでいないか心配だったんだけど」
「大丈夫ですよ、全員待避できました」
まだ確認できていないのに、俺は嘘をついた。
いま前の陛下が気を落としたら、取り返しが付かないことになると、直感が告げたからだ。
「そっか……よかったよかった」
「いったいなにがあったんです? 人間が裏切ったとは聞きましたが」
「槍衾。それも聖槍、魔槍を集めたのをね。だからこっちも全力を出さざるを得なかったんだけど、本物は一本だけだったみたいだね」
残りの槍は、持ち主毎灰も残さなかったらしい。
だが、本物だった一本が陛下の魔法をはじき――。
「もうね、日頃の行いがいいんだか悪いんだか」
「いいに決まっているじゃないですか」
「人間に、裏切られたのに?」
「それでもです」
「そっか……うん、ありがと。マリウスくん」
「回復魔法をかけます。きつかったらいってください」
「うん、ありがと。でも……」
俺の額に、脂汗が浮かぶ。
治癒魔法をかけているのに、傷が一向に塞がらないからだ。
これは、もはや……。
「効いていないでしょ。多分槍のせいだよ」
「なんなんですか、この槍は――」
「先代の陛下を封じていた剣と、対になるもの。封じられていたのは多分――」
そこで、前の陛下が咳き込んだ。
その咳には、血が混じっていた。
「だからごめん、槍を折っちゃって。そのせいで、きみの治世にはでっかい障害が現れるかも――」
「僕の治世って、いきなりなにを」
「次の魔王は、きみだからだよ。マリウスくん」
「急に馬鹿なことを言わないでください」
「だってみえるもん。わたしから、魔力が加速度的にきみに流れていってる。気づいてる? きみの怪我、どんどん治ってきているよ?」
言われてみれば、身体の痛みがほとんどなくなっている。
てっきり、心の余裕が全くないせいだと思っていたのだが……。
「つまり、わたしはもうここまでってこと。ちょっとみてみたかったけどね、きみが魔王になった世界」
「みられますよ、この怪我が治ったら、絶対……!」
徐々に回復魔法の出力が上がってくるのを実感し、俺は反対に背筋を冷やしていた。
それはつまり、前の陛下のいうとおりになっているからだ。
現に俺がかけている回復魔法はことごとく前の陛下の身体を素通りして、どういう原理か俺に向かって還元されている。
「陛下、もう少し待ってください陛下! もうすぐタリオンが到着します。あいつなら、なんか手を考えてくれるはずです。だから……だから!」
「ありがとう、マリウスくん。でも、もういいよ」
「そんなことをいわないでください! 陛下っ!」
「ごめんね、マリウスくん。きみの顔、もう見えないんだ」
慌てて顔を上げる。
前の陛下の顔は白く、その髪と目の色は灰色になっていた。
「ああもう、格好良く火の魔法で自分を燃やして、骨ひとつ残さず消えたかったのに……」
「やめてくださいよ、そんなことをされたら、死ぬまで夢に見ます」
「それもそっか。あ-、でも硝子の棺にいれて飾るとか、氷の魔法で冷凍保存とかやめてね? 死霊魔法での使役も禁止の方向で」
「そんなことはしません。魔王城の中庭に埋葬する。それで、いいですか?」
「それでいいよ。でも、でっかい石碑はやめてね。普通にお願いします。普通に――」
「わかりました、陛下。他に要望は……へいか?」
返事はなかった。
同時に、俺の心臓が早鐘を打つ。
前の陛下から、そしてその周囲に散っていた魔力が一気に俺に押し寄せ――。
『おめでとうございます。
貴方はすべての亜■類を統べる管理者になりました。
亜人■は、人類と共にあり、彼らを助ける存在です。その本来のあり方を、忘れないようにしてください。
ただし、貴方は、人類が貴方がたを不条理に虐げる場合、反旗を翻すことができます。
ですがもし、貴方が人類を極端に■ら■てしまった場合、人類側の管理者、すなわち■■■ンが抑止します。
くれぐれも、人類と■人類の均衡を崩さないように。
すべては、システム・■■デの管理下にあることを忘れずに・
ゲー■ィ■の一員として貴方が亜■類の統治を完遂することを望みます。
くれぐれも、ソ■■■と衝突しないように。
システム・ダ■■はそれをもっとも望みません。
可能であれば、■ロ■■と手を取り合い、両種族を繁栄させてください。
あとの統治は、ご自由に』
……ところどころ、雑音がひどくすべてを聞き取れなかったが、いいたいことはよくわかる。
――この世界は、きっとろくでもない。
「マリウスっ!」
どれくらい時間がかかったのだろう。
それほど時間はかからなかったはずであったが、タリオンが到着したとき、俺は陛下の亡骸を膝に抱いていた。
腹部に刺さったままであった槍の残骸は崩御と同時に灰となって消えた。
だから俺は回復魔法で、傷口だけを塞ぐ。
大きく穿たれ、周囲を焼き潰した酷い傷跡は、その痕跡を少しも残さず、消えた。
それは、今までの俺にはできなかったことだった。
「陛下は――まさか」
「うん。陛下は身罷られたよ」
タリオンと共に駆けつけてくれた、半神猛虎団『ヨンバン』ナ・ンバが絶句する。
「そんな……じゃあ、俺たちは、新しい陛下を探さないといけないのか……」
「いや、それは大丈夫だよ。だって――」
俺が言い終わる前に遠くから地響きが伝わってきた。
これは何度も聞いたことがあるからわかる。
人間どもの、装甲騎兵が突撃を仕掛けようとしているのだ。
おそらく、あちら側の残党が掃討を仕掛けてきたのだろう。
「よっしゃ、半神猛虎団、出番やで! 先の魔王はんの弔い合戦や!」
「いや、それも大丈夫。僕がやる」
俺はゆっくりと立ち上がり、抱えていた陛下を――すっかり軽くなった陛下を預ける。
「マリウス、相手は数が多い。今すぐ半神猛虎団と陣形を組んで――」
「大丈夫だって。僕ひとりで片付けられる」
騎影の群れが見えた。
一緒に見えるはずの土煙は、大地が硝子化してしまっているせいで見えない。
代わりに、その硝子の大地を踏み砕くため、地鳴りが極めて耳に障る。
数は、こちらの総数とあまり変わらない。
ただし、歩兵主体のこちらと、騎兵主体のあちらをくらべると、兵種的にはあちらが有利だろうか。
普通なら。
「皆は下がって。タリオン、陛下を頼む」
徐々に大きくなっていく騎兵の群れを前に、俺はひとり立つ。
すまないが、いま、顔を見せるわけにはいかない。
だから――ここで死ね。
ふ。
ふは。
ふはは。
ふはははは!
ふははははは!
ハハハハハハハ!
ハーハッハッハッハァ!
彼らの頭上に発生した雷だけの嵐は、狂ったようにその雷霆大地へと打ち下ろした。
苦しむ暇は、なかったであろう。
「ま、ま、マリウス……」
前の陛下の亡骸を抱えたまま、タリオンが枯れた声で呟く。
「うん、どうやら、次の魔王は僕みたいだ。だけどタリオン、僕だけじゃ駄目だ。力と知恵を、貸して欲しい」
そしていつものように、俺の背中を叩いて発破をかけて欲しい。
しかし返事の代わりに来たのは、拝謁の礼であった。
タリオンだけではない。半神猛虎団の全員も、それに加わったのである。
「仰せのままに、陛下――」
ああ、そうか。
魔王になるというのは、そういうことか。
……ならば俺も、それに答えねばなるまい。
「面を上げよ。一度昂志苑に戻ってから、軍勢を整え、魔王城へ帰還する。それでいいな?」
「はい。それがよろしいかと」
「よろしい。では、行くぞ」
今気がついたが、あふれる魔力によって、俺の背中には雷の翼が生えていた。
その翼を引っ込めてから、俺は新たな一歩を踏み出す。
それが、魔王となった俺の、治世のはじまりだった。
■今回のNGシーンその1
「——ちょっとみてみたかったけどね、きみが魔王になった世界。そして一緒に飲んで、騒いで……」
「陛下……」
「ゲロチューするの」
「トラウマ増やすのやめてください」
■今回のNGシーンその2
ふ。
ふは。
ふはは。
ふはははは!
ふははははは!
ハハハハハハハ!
ハーハッハッハッハァ!
オレ、誕生!「やかましいわ」




