第二四八話:磁北の極みに
「ここでは……ない?」
灰色の海と空の下、クリスが提督席で唸った。
北海。
タリオンが簒奪した船団ポセイダルが、本来あったはずの場所である。
「どうやらもう少し北のようだな」
青の〇〇六と〇一〇の証言、そして白と黒の九三から解析しはじめた情報から、俺はそう答える。
「しかしもう少し北というと――羅針盤が使えなくなりますよ?」
「ああ……そうだな」
羅針盤、およびそれの基幹となる方位磁針は、磁極に近づくと、徐々に不安定になり、そしてついには、個々の羅針盤がそれぞれ適当な方向を指すようになる。
当然だ。
それが、正しいのだから。
磁極に近づくと、なにが起こるのか。
端的にいうと、すべての方向が逆の磁極を指すようになる。
今回は北に向かっているのいるのでそれにたとえると、東と西が消失し、すべてが南になるわけだ。
そのため、個々の方位磁針が思い思いの方向を指すことになる。
誤動作ではないので、修正することすらできない。
なので……。
「対策として、固定浮きを造る」
「固定浮き……ですか? それでなにを――あ、通信機!」
「そういうことだ」
まずはその場から動かない浮きを造る。
実は海流を検知してそれに対抗するため自らを逆方向に同じ速度で推進させるという、わりと面倒な仕組みを載せなければいけないのだが、それは既に出来ているので割愛する。
これに簡易的な通信装置をつけ、俺達の艦隊から常にそこにいることを把握できるようにする。
後はそれを複数個、できれば多数生産し、一定の距離を保って設置していけばいい。
それも、複数の艦で行えば、より精度が上がるという訳だ。
つまり方角がわからなくなることによって海図が作れなくなる問題を、位置情報という形で補うのだ。
これを全海域で行えば、実質羅針盤は要らなくなる。
もっとも、生産費用を考えると現実的ではないが。
「なるほど、これならば普段近寄らない磁極海域でも安全に航行できる訳ですね」
「そういうことだ」
「これなら、南の材木海流も渡れそうです」
「……? 磁極でもないのに羅針盤が乱れるのか?」
「ええ。時折帯磁した部品が浮いていることがあるんです。それに近寄ると、方位磁針がそっちを指してしまうんですよ」
「そうか……」
まるで、そこから先へ行かせないようにしているような、意図的なものを感じる俺である。
とはいえ、今はタリオンだ。
そっちの問題は、後で片付けるべきだろう。
「それにしても、いまは海が凍らないのか……」
操縦席からの風景を眺めながら、俺。
北の海特有の、灰色の海と空は一緒だったが、気温だけが異なっている。
泳ぐには適さない水温ではあるが、凍るほどではないのだ。
「マリウス大将が封印される前は、海が凍ることがあったんですか」
「ああ。しかも海流によって流れ出すこともあってな。大きいものは氷山、小さいものは流氷と呼んでいた」
「なるほど……この前の摸擬演習で造っていた氷の標的艦は、それを参考にしたんですね」
「鋭いな、その通りだ」
しかし、この話が事実だとすると、今の艦船には氷砕能力がいっさい無いということになる。
いまの時代には必要ないものであるし、俺が封印される前はそこまで探検しようという物好きはいなかったからそれほどのものはなかったのだが、もとからあった技術が喪われるのは、少々寂しいものがあった。
「そういえば、昔の磁極も海だったんですか?」
「そうだ。だが今よりずっと気温が低かったから凍っていてな。そんなところを領土にしてもなににもならんというわけで、魔族も人間も手付かずのままだった」
一部の生物学者と、なにかと私的な表現を好む氷雪系の魔族が調査を何度も求めていたが、そのときの俺は人間との全面戦争に集中していたため、後回しにしていた憶えがある。
あのとき、せめて磁北側だけでもある程度調査していれば、魔王城から非戦闘員を脱出させる際、もうちょっと効率的にできただろう。
――少なくとも、それを率いていたタリオンは、そう思っていただろう。
『大将』
そんな瞬間的な物思いの最中に、雷光号が緊張を孕んだ声を上げた。
「どうした」
『なんか、ヤバいもんがみえてきた』
「ヤバいとは、どういう意味でだ?」
『くっそ高い』
「高……い?」
大きいとか、長いなら、わかる。
だが、高い? この荒れがちな海の中で?
「こちらでも、みえてきました。本当に、かなり高いです。映像、拡大しますか?」
通信機席でアリスが報告してくる。
「ああ、頼む」
中央の表示板に、それが映し出された瞬間――俺は立ち上がっていた。
雲を突くような――という表現がある。
いまはもう見かけなくなった、高山などに用いる表現だ。
実際、それは雲を突き抜けていた。
みえるのは、城壁と八つの楼閣を組み合わせた八角形の第一層。
そして、そこから広大な空間をもち生活の場を兼ねていた箱形の第二層下部と、四つの楼閣と城壁を組み合わせ、しかも螺旋状にねじれて相手の方向感覚を狂わす第二層上部までがみえる。
その先は、中程に庭園を設けた長大な三角錐――第三層があるはずだが、雲に隠れていてみえない。
「これは――」
……思い起こせば、第一層は元々そこにあった古城を改修したものだった。
おそらくはその城壁そのものが、ひとつの小さな街であったのだろう。
それを修復し、内部を巨大な生産拠点として改装し、そして上部に生活の場を造った。
そこまでで完成させるつもりであったのだが、自らの生活の場はわけるべきという主張と、もう一段階いけるという威勢のいい進言により、天守たる第三層が造られたのだが、これが結果として小島として遺った訳だから、結果よしといったところなのだろう。
そう。それは魔王城の精密な再現品であった。
最終決戦を経た、あちこちが破壊されたものではない。
あの忌々しい勇者が出現する前の、魔王軍最盛期を思い起こす豪華絢爛な様相をたたえたかつての居城だ。
本来はそのまわりを堀が三重に巡らされ、それぞれの内部に首都機能があったわけだが、さすがにそこまでは再現しなかったらしい。
問題は、それが雲を突くほど高いということだ。
目測なので、正確な数値はわからないが――。
「――高すぎだろう」
目の前の魔王城は、もとの二十倍は巨大である。
「陛下の〇〇〇気持ちよすぎだろという不届きな動画が頒布されておりますが、いかが致しますか」
「発信元が貴様の端末なわけだが、なにか言い訳はあるか?」




