第二二〇話:ミュウ・トライハル大佐に学ぶこの世界の住居事情――って逃げるな! 昇進しろ!
「いやですいやです! もうこれ以上昇進したくありませーんっ!」
機動要塞『シトラス』後部艦橋政庁室。
その部屋に響いたミュウ・トライハル大佐の叫びは、切実だった。
「あの、まだなにも言っていないんですが……」
クリスが呆れたようにそう呟くが、その手には丸められた辞令が納められた、紙の筒が握られている。
それをみただけで、おおよそのことを察してしまったのだろう。
元政治部で才媛と呼ばれた、面目躍如であった。
つくづく思うが、彼らが彼女をもっと重宝していれば、いまも元政治部は健在であったろうし、俺の出番はなかったであろう。
まったく、この世のものは、ままならないものだ。
「では、昇進ではないんですか?」
「いいえ。昇進です」
「やっぱりそうじゃないですかやだー!」
「まぁまぁ、そういわずに……ええ、今回のウィステリア合流時における、王府の発案と、その成功を鑑み、ミュウ・トライハル大佐を准将に昇進いたします」
「――准将? それは船団シトラスでは使っていない階級では?」
そう。船団シトラスには元々准将の階級はない。
だから俺は大佐から一気に少将に昇進し、続いて中将となった訳だが……。
「護衛艦隊の規模が、今までと比べておおよそ五倍にふくれあがりました。そのため、上位指揮系統をより細かくしなければならなくなったんです」
そういうわけで、旧魔王軍と他の船団で使用していた准将の階級が、採用された。
現在少将の地位にあるものが下がることはないが、大佐の地位にあるもののうち、比較的優秀なものが順次昇進予定であるらしい。
「でもそれ、将官ですよね……?」
「はい。立派な将官です。すごいですよ。事務方で将官に昇進した例はない訳ではありませんが、極めて珍しいです」
「でもそれ、もう終身雇用じゃないですかぁ……!」
なるほど。
ミュウ・トライハル大佐はそれが嫌であるらしい。
俺と同じく、いずれ航海に戻る身の上なのか、あるいは――。
「若い内にお給料を貯めるだけ貯めて、隠居生活を送るつもりだったのに……」
なるほど、それは夢のある話だった。
封印される前の俺も、人間を完全に制圧したらそうしようと思っていたのを、つい思い出す。
「でもでも、将官はすごいですよ。お給料がいままでと段違いです」
「それ、大佐のときもやりましたよね……」
そういいつつ、クリスがみせた書類をミュウ・トライハル大佐はのぞき込み――うなじあたりに結っている髪が、ぴょこんと跳び上がったようにみえた。
「こ、こんなに……?」
「飛び級を重ねた私がいうことじゃないですけど、普通のたたき上げでは、大佐が精一杯です。この先は将官。当然ながらお給料は一気に上がりますよ」
将官の将は将軍の将だ。
故に、この先の責任は一気に重くなる。
なので、それに見合う給料を出すということなのだろう。
ちなみに――。
「将官になるとまた緩やかになるな」
「それは仕方ありませんよ」
とはいえそれは、少尉から中尉、少佐から中佐に比べると、少将から中将のそれは上がり幅が大きい。
ただ、大佐から准将への上がり幅がずばぬけて大きいということだ。
「とはいえ、元帥でまた上がるんですね」
と、俺と一緒にのぞき込んでいたアリスがそう呟く。
「そうですね。正直、最初はこんなにもらっても困るって考えていたんですけど――」
アリスの感想に対し、背負った責任が重いのか、肩を動かしてクリスは続ける。
「親はもういませんし、これからもずっとひとりで生きていくことを考えたら、あっても困るものじゃないなって、思い直すようになったんです」
「クリスちゃんっ!」
「アリスさん、胸、むね! むねがあたってむぐううううう……!」
アリスに全力で抱きしめられ、じたばたと胸の中で窒息しかけるクリスであった。
「ぷはっ……なんというか、はじめて会ったときより大きくなっていませんか?」
「えっ、そうですか? そういえば、ちょっと水着の胸部分が苦しいような」
「……アリスもまだ、成長期だからな」
発育がいいので忘れがちだが、アリスはまだ十四だ。
そろそろ、新たに採寸した方がいいかもしれない。
「ふふふ……私、ぜんっぜん成長していないんですけどね……」
自分の胸をぺたぺたと触りながら、クリスが自虐的に笑う。
「トライハル准将とまではいいませんが、せめてアリスさんくらいには成長したいんですが……!」
「あ、ああ……そうだな」
何度か言っている気がするが、そういうものは、個人差だ。
いずれクリスだって、見目麗しい淑女になるだろう。
「というかクリスタイン元帥……准将への昇進を既定化しないでください……!」
「あ、ばれてしまいましたか」
「ばれるもなにも、みえみえです」
「ですが、裁量権も大幅に増えますよ」
「それも前にやりました!」
「いや、佐官と将官では本当に桁違いだぞ」
もう一度言うが、将官の将は将軍の将だ。
いままでの軍の一部を率いるのはではなく、軍そのものを率いるようになる。
この上はもう、全軍を統べる元帥しかない。
つまり、ミュウ・トライハル准将は、事務方・政治方として名実と共に筆頭に登り詰めたといっていい。
「わ、わかりました……それで私のやることが少しでも楽になるのなら」
トライハル准将は、了承した。
本当は、五船団を統合するにあたり、特にウィステリアの合流に際し王府という形で貴族社会を存続させるという案を出し実行できた功績として、少将にする案もあったのだ。
だが、一気に少将まで昇進させようとするとさすがに固辞しかねないという懸念があがり、この形に収まったのだ。
ちなみにこの論功については、ミニス王も賛成している。
おっと、そういえば。
「トライハル准将、ついでに爵位を――」
「全力でお断り致しますぅ!」
今度こそトライハル准将は全力で拒否した。
しかしだからといって断りましたでは終われない。
なぜなら――。
「――ミニス王からなんだが」
「断れないじゃないですかやだー!」
そう。断れない。
貴族社会の怖いところはまさにそれで、王からの叙爵は、基本的に断れないのだ。
俺の知る限り、唯一認められる例は自分が高齢のため、長子に譲りたいというものであるが、ミュウ・トライハル准将は高齢ではないし、第一子供がいない。
「あ、でも……」
必死に脳を回転させて導き出した結果に目を光らせて、ミュウ・トライハル准将は続ける。
「たしか、貴族って最低でも船を一隻保有していなければならないのでは? 私、せいぜいが間借りですよ!?」
「――間借り、とは?」
「あ、そうですね……マリウス管理官の場合最初から船がありましたから実感が湧かないでしょうけど――」
黒板に白墨(俺の時代は白く脆い石を粉状に粉砕してから再度固めたものを使っていたが、今の時代は浅い海から採れる白い珊瑚を同じようにして使っているらしい)でさらさらと表を書きながら、ミュウ・トライハル准将は続ける。
やはり彼女は、なにかを教える、または説明するのが性に合っているらしい。
「住居環境における、一番最下層は、小型船の共同部屋からとなります」
「あ、わたしがそれでした!」
アリスがそういうと、クリスとトライハル准将の顔が一瞬曇った。
どうも、かなり劣悪な環境であるらしい。
「ここから、大型船の共同部屋か、小型船の間借りになります。通常、親元から離れた子はそこからはじめるものですが……さらに上になると、大型船の間借りか、小型船の所有となります」
どうも、二種類の選択があるらしい。
大型船の一部を住居とするか、小型船をそのまま自らのものとするか。
「そしてさらに財産が増えて、もっと上の住居を目指す場合ですが、大型船の所有か、中枢船の間借り――間借りというよりも、中枢船の甲板上にある、家ですね――こちらに住む道が選べるようになります」
なるほど、家の概念が残っているのはそういうことだったか。
確かに、中枢船甲板上にある家はひとつの建物の形を取ってはいたが、中身は各個人の住居でしっかりとわけられているようにみえていた。
「中枢船には共同部屋はないのか?」
「中枢船の船内は、基本的に一般の住人は立ち入り禁止ですよ」
クリスが口を挟んだ。
「私達には、それぞれ軍の階級、それも将校のそれがありますからピンとこないかもしれませんが、通常、一般の住民は中枢船の決められた通路や昇降装置しか使えません。もっとも、中規模、小規模の船団における中枢船は、内部に住ませてしまうみたいですが」
そういえば、俺たちがシトラスに来る前に立ち寄った中規模の船団では、中枢船の内部に店が建ち並んでいたのを思い出す。
「小規模、中規模の船団で使われる中枢船は、大規模な船団では、ただの大型船ですからね」
と、ミュウ・トライハル准将。
「そして、中枢船での暮らしより上はありませんが、航海を選ぶ場合は、船を何隻か自ら率いるようになる訳です」
「それは、船団とは違うのか?」
「はい。その場合は船隊と呼ばれますね。艦隊と同じ原理です」
「なるほどな」
この世界では、中枢船が無い場合――というより、町として機能しない限りは船団とは呼ばれないらしい。
言葉として、よくできていた。
「――で、ここからが重要なんですが! 貴族は最低でも小型船を保有していないといけない訳です。私は大型船とはいえ間借りですから、この問題を解決できない限り叙爵は無理ですねっ!」
なるほど。貴族は、最低限でも一隻、船を所有していないとならない。
それは領土という概念がなくなったこの世界において、重要な地位を占める要となるのであろう。
「だ、そうだが。どうするクリス?」
「トライハル准将が間借りしているその『農業船〇八五』を、トライハル准将の所有船にしようという手続きを踏もうかと」
「他に間借りしているものと、本来の所有者から承認はとれたのか?」
「トライハル准将以外に住んでいるのは、野菜の世話をしているおばあちゃんだけです。なので、所有者がトライハル准将に変わるだけですね。そして元の所有者はいません。農業船は、政治部が直轄するものですから」
「なるほど、では問題は無いな」
「ちょっとまってください!」
たまらなかったのだろう、トライハル准将が割って入った。
「農業船の徴収、それは護衛艦隊のクリスタイン司令では越権行為にあたります!」
「はい。越権行為ですね。ですから、船団長代行管理官、承認をお願いします」
「承認」
「ああっ! 船団長がすぐ側にいたの忘れていました!」
安心して欲しい。
日々のやるべきことに忙殺されて、俺自身も、いまいち船団長の地位にいる気分がしないのだから。
「あっ! でもでも! それだけじゃなかったはずです! 必要最低限、最低ひとりは家臣がいないと!」
「なるほど、それでばっちゃんが呼ばれたわけな」
全員が、部屋の入り口からした声に振り向いた。
そこには農業用の作業着をきた、年老いてはいるものの矍鑠とした老婆が立っていた。
「お、おばあちゃん!?」
「おうよ。ミュウちゃん、御貴族様になるんだって? ばっちゃんうれしいわー」
「ま、まさか……まさか!」
「あんだえー、あのミュウちゃんが御貴族様になるっていうなら、家臣ってもんが必要だっていうでしょー。そんなら、このばっちゃんがやってもええかねーってな?」
「ほ、本当にいいんですか!?」
「ええよーええよー。農業船に来たときのミュウちゃん、目の下にでっけえ隈こたえて、髪の毛もぼさぼさでよー、えっらい気の毒だったもん。それがあのクリスお嬢ちゃんに気に入られて、あのアホの後釜にされた綺麗な兄ちゃんにも認められたんでしょー?」
あのアホはともかく、綺麗な兄ちゃんとは、俺のことだろうか。
「そんでもって、とうとう王様にみとめられて御貴族様だもん。いいんじゃねえの、なっっちゃいなよ、ミュウちゃん」
「おばあちゃん……」
「ばっちゃんが、いちの家来になっからよ。胸張ってこれからもばっちゃんや子供達を、楽にさせてやってよー?」
「はい……ありがとう――ございますっ!」
膝をつき、老婆の手を取ってトライハル准将は頭を下げた。
どうもこの老婆は、彼女が左遷されてからずっと世話をしてくれたらしい。
「では、叙爵の件も――」
「はい。受諾致します……」
クリスに向かって、今度は綺麗な敬礼を返すトライハル准将であった。
「では、子爵の爵位を受け取られるということで、ミニス王にお伝えします。マリウス管理官、後の処理はよろしくお願い致します」
「ああ」
「ちょっとまってください、男爵ではなくて、いきなり子爵?」
ウィステリアの法ではたしか、将官の最下級である准将では、男爵が最適なはずでは?
と、トライハル准将。
政治に携わる者は法に詳しくなくてはいけないが、まさかシトラスのそれだけではなく、ウィステリアにも詳しいとは――ああ、そうか。
「そういえば、外交も得手であったな」
「失敗しましたけどね」
「父の話はしないって、約束しましたよね?」
そこはぴしゃりと締めるクリスであった。
「あの、ところでマリウス管理官は? 管理官のままなんですか?」
……あ。
「そういえば、ミニス王だけでなく、各船団の首脳から新しい役職を選べと言われていたな……」
五船団が統一されたいま、いつまでも船団長代行管理官ではいられないらしい。
「一度会議だな、これは。トライハル准将、すまないが――」
「はい。事務方と政務方として参加致します」
そこはさすがに専門といったところか。
切れる刃物のような鋭さで、即答するトライハル准将であった。




