第二一八話:魔王ですが、過去を振り返ることは大事だと思います。
「そもそも、俺の失政はひとつだけではありません」
みっつの船団を併合し、さらには最後のひとつに手を掛けている状態で、さらには王位を譲られようとしている。
そこまで登り詰めた立場の俺が失政をしていた、それもひとつだけではない。
そんな話を聞き、ミニス王の表情には困惑の色が浮かんでいた。
「人間、誰もが間違いを犯すであろう。魔族とはいえ、同じではないか?」
「仰るとおりです、陛下。ですが俺は、魔王軍将兵六万余騎をほぼ壊滅に陥れ、そして領民を路頭に迷わせたのです」
「六――」
「万――」
「余騎――」
アステル、クリス、そしてミニス王が、それぞれ驚愕の声を上げる。
海の上がった今の世界では、それだけの人数を揃えるのは困難を伴うのであろう。
唯一、アリスだけが沈黙を保っていた。
「これを失政と言わずして、なんと言いましょうか」
「それは……」
「現に、俺以外の魔族がこの海にはおりません。陛下、そもそもの話ですが――魔族という言葉を、俺の正体を知る以前に聞いたことはありましたか?」
「……ないな」
返答と同時に、その意味に気付いたのだろう。
ミニス王の表情には苦悶の色が浮かんでいた。
それは、俺が民を喪ったという事実であろうか。
それとも、自分がもしそうなったとしたらという、恐怖だろうか。
「開戦当初の彼我の差は3:7。これを9:1にまで追い込んだところで、講和なり併合なりの道を歩めば良かったのです。ですが……俺は――」
「族滅の道を選んだか」
「仰るとおりです。陛下」
誰も、なにも言わなかった。
当然だろう。
もし俺が、族滅を成功させていたら。
この場には俺以外誰もいなかったに違いないのだから。
「一体、なにがあったのだ」
「かろうじて伝承が残っています。――その、かなり歪められておりますが」
「……ああ、あの旧神と天の使いの逸話か」
「仰るとおりです、陛下」
「そなたがうら若き乙女と伝わっているものであるな」
「――仰るとおりです、陛下」
その場で両膝をつき、悶絶しなかったことを、どうか褒めてもらいたい。
そう思う、俺である。
「小ステラローズ。卿はその逸話にそこそこ明るかったな?」
「はい、陛下」
「いまのマリウス公の話、どれほど符合する?」
「その……伝承に近いことは事実と思われます」
「ふむ……」
「では、大ステラローズを通してすべての記録に閲覧、調査することを許す。卿の部下はこの事態では動かし辛かろう。余直属の文官を動かすことを併せて許す。マリウス公の記録を調査せよ」
「仰せのままに」
「――それでマリウス公、貴公の失策というのはそれだけではないと申すのか」
「はい、陛下。正確にはこの失政に伴う、連鎖的な失政をこれから申し上げます」
あらためて自分を振り返ると、当時の俺をどうにかしてしまいたくなる。
もちろん、そんなことは出来ないし、そもそも出来たとして、魔王軍六万余騎を喪ったという事実と、領民が路頭に迷ったという事実――これはまだ推測だが、未だに俺とタリオン以外の魔族とであっていない以上、確定といってもいいだろう――は、変わることはないのだから。
「まず、俺は自分の後継者を定めませんでした。これにより、俺が封印された後、かろうじて残っていた魔王軍の残存勢力は、瓦解したものと思われます」
「それは、余とて一緒であろう」
自らに妻子がいないことを、ミニス王は指摘する。
だが、そこには決定的な前提条件の違いがあるのだ。
「仰るとおりです、陛下。ですが、陛下の親戚がひとりもいない訳ではないでしょう」
「――む。確かにそうである」
「俺は、天涯孤独でした」
僅かに空気が震えたのを、俺は感じ取っていた。
アリスが、僅かに身じろぎしたのだ。
「血筋というものは、そういうときに生きてくるものです。そして、船団ウィステリアの政は、陛下が不在でも動くようになっている。俺は、ここを完全に間違えました」
優秀な文官達はいた。
しかし俺は、彼らに仕事をさせることはあっても、彼らに仕事を任せることはしなかった。
もしそうしていたら――。
魔王軍は、俺が封印された後もかろうじて機能していたのではないだろうか。
「だからこそ、思うのです。能力が高い者、強い者を、それだけの理由で王にするのは間違っていると」
「その者がなまじできてしまうからか」
「仰るとおりです、陛下」
そう、それに尽きる。
できているうちは、いい。
だが、できなくなったあとは?
たしかに魔族は長命だ。
しかし、永遠に生きる訳ではない。
現に永遠に君臨するのではないかと思われた先の陛下とて、横死しているのだ。
「では、マリウス公。貴公は王の資格として必要なものはなんと考える」
「それは、覚悟です」
「――覚悟、であるか」
「仰るとおりです、陛下。王を目指す者は、王になる覚悟を。既に王である者は、王である覚悟を。これがなければ、王である資格はございません」
「王である覚悟、とは?」
「自らが、国――いえ、ひとつの船団そのもの――であると認識し、その行動ひとつひとつが、船団に影響を及ぼす。そうであると覚悟せねばならないのです」
多くの英雄譚では、大抵最後に王が英雄に王位を譲る。
そなたこそ、まことの王にふさわしい? フハハハハ!
――逃げるな! 王の責務から逃げるな!
何度そう思ったことか。
「では、貴公に王位を譲ろうとした余は、王失格ではないか?」
「いいえ、陛下。それは陛下がこの船団の行く末を考えた末に、導き出されたもの。それもまた、王である覚悟のひとつでありましょう。たとえそれが、間違ったものであるとしても、です」
「――故に、それを諫めるものと、それを受け入れる度量が必要ということか」
「その通りです、陛下。――魔王であったとき、俺に足りなかったものです」
正確に言えば、上は俺から下は一兵卒に到るまで、当時の魔王軍は人間を滅ぼすことに血道を上げていたといっていい。
それは、ひとつにまとまっているという意味では強かったが――。
それを越える力にぶち当たれば、瓦解するしかなくなる。
彼の忌まわしき勇者とやらは、まさにそれであったのだ。
だから、あのとき。
どこかで止まることが出来れば――。
俺は封印されることもなく、魔族と人間は仲良くという無理であろうとも、相互不可侵ぐらいまでにはもっていくことが出来たのではあるまいか。
そう思う、俺である。
「だがな、マリウス公。余には、貴公がその覚悟を余以上にもっているようにみえるのだがな?」
「いいえ。俺にはそこまでの覚悟はありません。もし、同胞が今も生き残っていて、そして苦しみ喘いでいるとしたら――俺は現状を誰かに譲り、至急助けに行くでしょう」
「……そうか……いや、それが正しいか……」
「そもそも、俺は魔族です。力があるからこの場におりますし、陛下を初めとする各船団の筆頭に認められもしましたが、すべての民が、そうであるとは限りますまい」
寿命の差。それもこちらが長命であるという埋めようのない差。
魔法という、彼らにとっては決して使えない能力。
これだけでも、彼らに劣等感を抱かせてしまうものだ。
故に、いつか必ず、俺への反感は高まる。
人間ではないものが人間を治めるというのは、そういうことなのだ。
「ですから、王は同じ人でなくてはなりません。そしてそれを見据えた上で――陛下は、この海の上で誰よりも、王にふさわしいのです」
「なるほどな……感謝する、マリウス公。余はあと少しで、自らの底板に穴を開けるところであった」
やはり、この王は優秀であった。
さして長くもない俺の説得に、心から応じたからだ。
それは、打算や保身のためではない。
おべんちゃらでなく、王が船団そのものであることを覚悟しているからである。
「だがな、マリウス公。これで話は最初に戻ったぞ」
少しだけ身を乗り出して、ミニス王は俺に問うた。
「余がいるかぎり、この船団ウィステリアは安泰であろう。だがそれでは、貴公が目ざす五船団統一をなすことは出来ぬ。それ故、余は王位を譲ろうと考えていたのだが――貴公ならば、どうする?」
「それでしたら、もう俺の考えはひとつです」
もしウィステリアに案がなく、しかし対立が不可避でない場合。
腹案はひとつではなく、いくつか考えておいたのは事実だ。
だがそれは、王が王を続けることを倦んでいたり、王位を手放し違っていたりする場合に限るものであった。
ミニス王は、みずからが王であることに覚悟をもっている。
それなら案としては、ひとつしかない。
「陛下には、統一した五船団の王へと登極していただきたく存じます」
今度こそ――。
針ひとつ落ちても聞こえるような静寂が、王の間を包んだのであった。




