第二一七話:魔王ですが、王と王権の話をします。
禅譲とは、王権を自分の後継者――この場合、多くは血縁者を指す。封印前に、タリオンがことあるごとにお世継ぎをと言っていたのは、このためだ――ではなく、全くの他者に譲ることを指す。
魔族では当たり前の風習だが――そしてそれを嫌って、タリオンは世襲制に移行させようとしていた。人間嫌いのタリオンが、唯一参考にした風習といっていい――人間では、遠い昔に無くなったものであると聞く。
なぜならそれは、王朝の断絶を意味するからだ。
先ほどアステルが悲鳴を上げかけたのは、それが原因だ。
彼女たち貴族の地位は、その位を授ける王が保証する。
その王が位を他者に譲れば新たな王が引き継ぐ可能性こそ残っているものの、完全に保証される訳ではない。
大抵は自らの勢力を新たな貴族として封じ、旧い貴族は廃爵されるだろう。 形の上と、成り行き、そして勢いに任せてフラット、ルーツ、そしてジェネロウスの三船団を従えたことになった俺達船団シトラスに対し、船団ウィステリア、そしてミニス王が併合に際してなにかしらの対策を出してくるだろうとは、予想されていた。
その際有力であったものが、王権と貴族階級の維持。
それさえ認められれば、必要最低限の保証が得られるからだ。
だが、実際に出てきたものは、その真逆。
それも、俺に王権を譲るものであるとは――!
「失礼ですが、陛下にはお世継ぎが――」
「余には、まだおらぬ。ついでに言えば妃も娶っておらぬ」
かすかに、アステルが反応した。
どうも船団ウィテリア内似て、前々からの悩みであるらしい。
「故に、この機会にと思ったのだ。どうだ、マリウス公。この機会にいつつの船団を束ねた証として、王にならぬか?」
「陛下、お戯れを……」
「余は本気なのだが」
本気ならば、なお悪い。
確かに外から見れば、今の俺は王になる資格をもっているのかもしれない。
それに見合う実績と、それに見合う規模の勢力も保持しているようにみえるだろう。
だが、それでも、俺は人間の王になる訳にはいかなかった。
「陛下、なりません……それだけは……!」
絞り出すように、アステルが声を上げた。
「……小ステラローズ?」
「――! 申し訳ありません、陛下」
「構わぬ、続けるがよい」
いかに公爵公女であろうとも、王の前で発言を求めずに声を上げることはあまりよろしいことではない。
しかし、ミニス王はそれをとがめず、先を促した。
「以前父が申し上げましたが、陛下がここにおわすことそのものが、船団ウィステリアが存在する意義です。その陛下が王権をマリウス公に禅譲するとなれば、ウィステリアは併合どころか、消滅してしまいます」
やはり、ミニス王は一度――少なくとも、ステラローズ公爵の親子に――諮問をかけていたらしい。
俺達が到着したとき、両名ともかなり張り詰めていた表情をしていたのは、そういうわけだったのだろう。
「ですから、陛下。どうか御再考のほどを! ステラローズの名にかけて、マリウス公は、船団ウィステリアにも、陛下御自身にも、決して悪いようにはいたしません! どうか……!」
その場で跪き、アステルは沈黙した。
これは、俺にも経験がある。
返答が是であれ非であれ、その場で君主に返答をもらうための儀礼といっていい。
もちろん、そんなものはおいそれと使えない。
軽々しく使っていると君主に判断されれば、その場で処断されることもあり得る。
アステルもそれを覚悟しているのだろう。
一瞬たりとも震えなかったとはいえ、その身体には、緊張がみなぎっていた。
「小ステラローズ――」
臣下が決死(暴君であった場合、本当に決死となる)覚悟で翻意を求めている場合、まともな君主ならその場で答える必要が出てくる。
それをミニス王も知っているのだろう。
ゆっくりと口を開き、諭すように、言葉を続ける。
「余がそれを終わらせたいと考えていても、か?」
「なっ……!」
今度こそ、アステルは完全に固まってしまった。
クリスは最初に禅譲の話が出た時点で固まっているし、唯一動じていないアリスは自ら発言する気配はない。
そうなると、あとは俺しかいなかった。
「陛下――小官には、受諾できかねます」
「何故か。理由を答えよ」
不平、不満といった感情を載せず、あくまで疑問という感情だけを言葉に交えて、ミニス王は俺に問うた。
「まず、ステラローズ公女の仰るとおり、王権を小官へ禅譲した場合、船団ウィステリアは存在意義を失い、消滅してしまいます」
「余はそれでも構わぬ」
「ですが、ウィステリアは必要です。正確には、ウィステリアが存在している意義は、五船団を統一したとしても必要です」
「何故か」
いつになく鋭く、ミニス王が訊く。
それはいままで俺が相対してきた、どの国の王よりも、鋭いものであった。
「そもそも、我がウィステリアから、ルーツとフラットが、続いてジェネロウスが、そして最後にシトラスが分離したのだ。それらがひとつに集まったというのなら、われらウィステリアにはもはや旧主としての面目もあるまい?」
……なるほど。
たしかに、歴史的な経緯をみればその分析は間違ってはない。
だが――。
「仰ることはたしかです。ですが、その状況になってもウィステリアは必要なのです」
「それは、なにゆえか?」
「なぜなら、他のよっつの船団が分離する際、ウィステリアを攻めず、また滅ぼしませんでした。おそらく離脱直後はその戦力を著しく減衰したであろうウィステリアを、どの船団も討たなかった。それが、答えとなります」
「討つ意味がないと考えられたのではないのか?」
「いいえ。歴史の勉強は最低限とはいえ、資材も人も少ないこの海の上。奪えるものがあるのなら奪えたはずです。ですが、どのよっつの船団も、それはしなかった」
道は違えても、討つことはしなかった。
それこそが、五船団がいままで均衡を保っていた理由であると、俺は考える。
もしどこかがウィステリアを討っていれば、この五つの船団は伝え聞く戦乱続きの北の船団と同じ運命を辿り、最終的にタリオンの手に落ちていたに違いない。
「王という存在を擁する船団ウィステリアが存在することで、ここ南方五船団は、いままで均衡を保ってきたのでしょう。それがひとつになるとしても、今の王朝、すなわち船団ウィステリアの現体制は必須となることは確実です」
「――たしかにそうかもしれぬ。だが、余に比べなにもかもが勝っている者に王権を譲るのは当然のことではないか?」
「いいえ、陛下。なにもかもが勝っている者に、王権を譲っては、なりません。そもそも――」
陛下をまっすぐ見つめ、俺は続ける。
「そもそも小官は――いえ、俺は――勝機を見誤った、君主失格の男なのです」
そろそろ、自分自身を見つめ直してもいいだろう。
疑問符を眉根に浮かべるミニス王に、俺は次の言葉を告げるべく、小さく息を吸い込んだ。




