第二一三話:聖女の矜持? そんなのポイです!
機動要塞『シトラス』後部艦橋大会議室。
通常数百人規模の大きな会議に使うためのそれはいま、みっつの船団の政治機能を統合するための戦場と化していた。
「大丈夫か?」
「……大丈夫に、みえますか?」
上座にあたる場所には将官相当の大型執務机が置かれていており、そこには今回の責任者である、ミュウ・トライハル少佐がまるで机にへばりついているような姿勢で、執務を続けていた。
大型机といったが、その机上は書類の山に埋もれていた。
とはいえそれは執務が滞っている訳ではなく、今も各担当者がひっきりなしに決済済みの書類を回収しては、未決済の書類を提出している。
そしてそれをトライハル少佐が(へばりついた姿勢のまま)恐るべき速さで認可の印を押したり、注釈の記入を入れたり、赤字で添削した上でそれぞれ採用、検討、再提出の書類棚に分配している。
その速さは、かつて魔族の諸部族を統合したときの魔王軍の文官たちとも遜色ない――いや、それ以上であった。
「それで、なんの御用事でしょうか……? いまは僅かな時間でも惜しいのですが」
「権限の強化、ですよ」
俺に同行していたクリスが、短くそう答えた。
「みっつの船団の統合、そして各船団からの文官補充となると、少佐の地位では動きづらいでしょう」
「それはまぁ……たしかにそうですが」
「ゆえに、ミュウ・トライハル少佐を本日付で大佐へ昇進とします」
この人事は俺にも相談があったのだが、妥当な判断といえた。
大佐といえば佐官の最上位であり、大型艦の艦長や小型艦で編成された小規模な艦隊の指揮官にあたる。
かつての魔王軍であれば連隊長というわりと大規模な軍の指揮官となり、百を超える機動甲冑を指揮する場合もあるほどであった。
当然、その出来ることも増えるし、影響力も増えることになる。
トライハル大佐もそれには気付いているはずだろう。
しかし彼女はややひきつった顔でこちらを見上げると、
「それってつまり、二階級特進扱いってことですね……うふふ……」
あ、しまった。
「そういう意味じゃありません!」
クリスのやや裏返った大声が響き、その場に文官たちがなにごとかといった様子で俺達を一斉にみる。
トライハル大佐の部署も戦場であったが、こちらもある意味戦場といえる。
前部艦橋、クリスの執務室。
普段はクリスひとりか、秘書官が数名帯同するくらいの部屋であるが、今は高級幹部達で賑わっていた。
「あ、おつかれさまです」
いち早く俺達に気付いたリョウコが敬礼する。
「その……トライハル大佐は、大丈夫でしたか?」
「あの様子なら、まだ大丈夫だろう。もっとも、文官たちの補充を急がなければならないだろうがな」
と、俺。
よくよくみれば、トライハル大佐の席の後ろには着替えが積み重ねられていて、女性下士官が遠慮がちに取り替えていた。
どうも、家には帰っておらずずっとあの会議室に詰めているらしい。
「この非常時ですから仕方ありませんが……」
征服の襟元を僅かに緩めながら、クリスが続ける。
「いったん落ち着いたら、もちまわりで休暇を取らせないといけませんね」
それは、クリスも同様であると思う。
トライハル大佐と同じく、ここのところ執務室で寝起きしているためだ。
こちらはアリスが、着替えの交換を担当しているのだが、交換するたびにせめて雷光号の自室に戻るようにと説得しているのだが、クリスはそれを固辞しているらしい。
「急な話で悪かったな」
あまり悪びれた様子はないまま、エミルがそんな言葉をかけた。
「いいえ。ここまでくればこの判断は正しかったといえます。引き続き、護衛艦隊の統合を進めてください、エミル元帥、リョウコ元帥」
「あの、それなんですけれど……」
やや遠慮がちにリョウコが発言する。
「私、この前まで少将で、そのあと中将に、そして家督を継いで大将に昇進した訳ですが……さらにその上の元帥になるのは、ちょっと……」
「各船団の司令官は階級をあわせた方がいいからな」
そうでないと、船団間であらぬ疑念を抱かれかねない。
エミルはもともと立場的に元帥と同格、そして仮にドゥエが合流すれば同じく元帥と同格なので階級はそのままだが、同じく仮にアステルが合流すれば、中将から元帥へと昇格する予定であった。
「それならば、仕方ありませんが……重たいですね、元帥の階級というものは」
「そういうもんだ」
「そういうものですよ」
エミルとクリスが、ほぼ同時にそう答える。
特にクリスは、望んでそうなったわけではない。
それゆえ、実感がこもっているように俺には感じられたのであった。
「それよりも、リョウコ」
「はい、なんでしょう?」
「よくこの短期間で、合流を決断できたな」
トライハル大佐の分析と俺の所感では、リョウコは船団ルーツの跡取りとはいえ地固めがまだ完璧ではないようにみえていた。
それゆえ、合流するにしてもそれなりに時間がかかると踏んでいたのだ。
だが実際は、仕掛け人であるエミルの船団フラットに続いて、二番目の合流を果たしている。
「それは――父が今回の件を聞いて、すぐに家督を譲ったからですよ」
リョウコは目を細めてそう答えた。
「大将になったといったでしょう? あれは、そういうことです。それに――」
「それに?」
「船団ルーツは、受けた恩は必ず返しますから」
「それは、船団シトラス奪還戦のときに十分に報いただろうに」
「いえ、あれはシトラスの恩を返したまで。今回は――」
こちらをまっすぐにみつめ、リョウコは言葉を続ける。
「貴方個人への恩に報いるため、です。マリウス殿」
「そうか……」
どうも俺は、船団ルーツの受けた恩は必ず返すという文化を、過小に評価していたらしい。
「わかった。よろしく頼む!」
「はい!」
柄頭に手を置いて、リョウコは凜とした声で頷いたのであった。
「――さて。あとはジェネロウスとウィステリアか」
執務室内に設えられた応接間で、エミルは腕を組み、そう呟く。
「方針は決まっているのか? マリウス」
「ああ。あとは向こうの出方次第であるが――」
『あの……』
そこで、雷光号から通信が届いた。
発信者はいうまでもない。アリスだ。
そしてこの傾向は――。
「どうしたアリス。ジェネロウス艦隊がこちらに来たか?」
『いえ、そうではなくてですね……』
珍しく、歯切れの悪いアリスだった。
「ええと、紫雷号が最大戦速でこちらに向かっています。その、聖女座乗の旗を揚げて。そしてそのうしろを、戦艦『白狼』が同じく最大船速でおいかけています。お互い、すごい勢いで発光信号をやりとりしながら……」
両者にはそれぞれ通信機を積んである。
それなのに発光信号をやりとりしているということは――ありとあらゆる手段で情報を伝達する必要があると判断しているのだろう。
あるいは、どちらかがこちらに通信したいのを、もう片方が通信を飽和させることによって妨害しているか、だ。
「アリス、発光信号の内容は読めるか」
『はい、読めることは読めるんですけど……』
「伝えてくれ」
『わかりました。ええと……白狼がですね『止まりなさいよ馬鹿姉貴!』それに対する紫雷号が『いーやーでーすー!』です……』
応接間が、なんともいえない空気に包まれた。
「――クリス?」
「……調停で、こちらの艦を出します。アリス中尉を臨時の艦長として、雷光号出航。紫雷号、白狼を横並びにした上で停船するよう要請してください。――もし、言うことを聞かなかったら、追加でバスターⅡ、轟基、鬼斬改二出港で」
『了解しました! 雷光号、直ちに出港します!』
アリスの通信が切れ、応接間を沈黙が覆う。
「また、姉妹喧嘩ですか……」
「みたいだな」
この場にマリスがいたら、何回目のそれかを、丁寧に報告してくれただろう。




