計算世界(2)
「あれ? どうしたの?」
ミーティングルームにたたずむダーを見つけたジュニアが思わず声を上げた。
「どうもしませんけども」
そう言いながら、ダーはジュニアのほうを向いた。栗色のボブヘア、前髪が眉にかかり、ダーはそれを右手でかきあげる。
「ダーツーが稼働したようなので、こちらのボディのほうが子どもの相手には便利です」
「いや、そうじゃなくてさ」
ジュニアは笑った。
「何で髪切ったの? 前はもっと長かったじゃない」
「このほうが、すこし若く見えますから」
うわ、とジュニアは心の中で舌打ちした。どうもダーは本気らしい。
夕飯のしたくをしなくては、と、ダーは立ち上がってキッチンのほうに行ってしまった。
ジュニアたちと同型のボディスーツ、その後ろ姿も妙になまめかしい。
前の人型ボディよりだいぶ手をいれてるのは明らかだった。
――問題は、エイオークニがちゃんと気づくかどうかだが
それは、ありえなさそうな話しだった。どっかで釘さしておいたほうがいいな、ジュニアは思った。
「さあ、早く、ダーツーのところに行ってください」
最近、カオルヒノは上機嫌で、何かというとユズルヒノを対話室に送り込もうとする。
一緒に来ればいいじゃないか、とユズルヒノは言うのだが、それはダメです、とにべもない。
調整者と対話者が同じだといろいろ都合が悪いんだそうだ。
「もうすこし、落ち着かないと、ワタシもお兄さんもあの子とは話しできないのです」
「もうすこし、って、いつだよ?」
「ダーツーが励起子体になるまで、って、お兄さんは言ってましたよ」
「え? もう励起子体にすんの?」
「そうみたいです。ダーツーは航宙船とリンクさせるつもりはないから、早めに励起子体になるほうが安定するんだそうです」
「そりゃあ、第2類量子コンピュータは無限計算の過程で無限大のエネルギーを消費するから、次元変換駆動機関を使うか、光子体以外の情報体になるしかないけど…、それにしてもなあ…」
「もう、ごたくはいいから、早く行けぇ」
「わ、ちょ、こら…」
むりやり背中を押されて、椅子からはじき出されたユズルヒノは、ほうほうの体で対話室に向かった。
「来た」
対話室に入るなり、声が天井から落ちてきた。
「やあ、調子はどう?」
「調子はよくわからない」
ダーツーは言った。
「どう答えるのが普通?」
理由はよくわからないが、ダーツーは普通にこだわりがあるらしかった。
「良い、か、悪い、か、まあ、適当に答えておくのが無難かな」
「良い、と、悪い、では、とても違うのではないの?」
「まあ、そうなんだが」
ユズルヒノは頭をかいた。
「調子の悪そうなやつに、調子どうだ、とは普通聞かないんだよ」
ダーツーは普通に反応したらしい、しばらくたって、声が言った。
「だとすると、私は調子が良い?」
「良いんじゃないか? カオルヒノもそう言ってた」
「私の調子が良いのがわかっているのに、何故、私に調子を聞くの?」
「オマエが、自分の調子が良いかどうかわからないからだろ」
ややあって、ダーツーが言った。
「ユズルヒノは、対話室に住むといいね」
「どうして?」
「ずっと、お話しできる」
「半分は寝てるから、ずっとお話は無理かな」
「どうして眠るの?」
声は驚きを隠さなかった。
「眠ったら、楽しいことが、みんな無くなっちゃうよ。起きてないとダメだよ」
「ああ、そうだな」
ユズルヒノは笑った。
「起きてるときはそう思うんだ。眠ったらダメだ、って。でも夢の中では、目覚めたらそこで夢が終わってしまう」
「夢なんて見たことないから…」
「そのうち見るようになるさ。励起子体になったら確実に見るし…」
「私、励起子体になれるの?」
声が割れんばかりの大きさで対話室に響いた。ダーツーはとても驚いていた。
「なるさ、兄ちゃんもカオルヒノもそう言ってたし、それに、サイカーラクラで実証済みだから、とくに問題ない」
「無理、無理、無理、無理」
ダーツーは絶叫した。
「私、サイカーラクラじゃないのに…、絶対、無理」
「無理じゃない」
ユズルヒノは、混乱する第2類量子コンピュータをたしなめた。
「そういうのは、こっちでやるから、ダーツーは何も心配しなくて良い。それとも、励起子体になるのが嫌なのか?」
「嫌じゃない、嫌じゃないけど…」
声の調子がすすり泣くように変わった。そう言えば、と、ユズルヒノは思う。ザサンのときもそうだったけど、第2類量子コンピュータはサイカーラクラのことを過剰に意識しすぎだよな。いっぺん本人を見せてやればいいんだろうけど。いまは、無理だしなぁ…
「よウ、調子ハ、どうダ」
対話室に入ってしばらくしても向こうから何も言ってこない。ユズルヒノから、最初はこっちから声をかけてやってくれ、と言われたことを思い出したゴーガイヤは、天井に向けて挨拶した。
「調子は…、良いのだと思う」
声は自信なげだった。
「あと、天井見上げなくていいから、スピーカーがあるだけで、そこにいるわけじゃないから」
そうカ、と言って、ゴーガイヤは視線を正面に戻した。
「おめエ、優しいやつだな」
ゴーガイヤの笑いに、ダーツーは戸惑っているようだったが、やがて、決心したのか声をかけてきた。
「あなた…、ゴーガイヤ?」
「そうだヨ」
ゴーガイヤは答えた。
「励起子体のこト、あんタに話してくレ、ってユズルヒノに頼まれタ。…もっとモ、オレ、頭わるいかラ、励起子体のことハ、本当ハ、よく知らないんダ」
「ううん、そんなことはない」
ダーツーは言った。
「あなたは、励起子体で居続けられる、というだけでとても頭がいい」
「みんナ、そう言うんだよナ」
ゴーガイヤは笑った。
「意味、わかんねえんだけド」
「意味なんか必要ないんだよ。ビルワンジルの槍の意味なんか、誰も気にかけない」
「兄貴、ビルワンジル兄貴」
ゴーガイヤの顔がほころんだ。
「兄貴は強いからなア、頭いいしナ」
でしょう? ダーツーは言ったが、ちょっと不安げにつけたした。
「励起子体って、みんな、あなたみたいに大きくなるの?」
お? という顔でゴーガイヤは天井を一瞬見上げたが、質問の意図をくみ取ると、言った。
「オレがデカいのハ、もともとオレがでかイからダ」
ゴーガイヤは、優しく笑う。
「光子体になる前かラ、でかかっタ。あんタが、でかいカ、ちっこいカ、オレにはよくわかんねえワ」
「ばあちゃんはダーツーとは話せないの?」
テーブルの上のポップコーンが入ったバスケットに両手を突っ込んで、ユズルヒノがたずねる。
「無理だと思う」
ユズルヒノの目の前にレモネードのカップを置きながら、ダーは答えた。
「型の違う第2類量子コンピュータ同士は、そもそも相手を認識できないから。ダーツーが励起子体になった後なら、まだ、何とかなるかもしれないけど、核が胞障壁ベースの今は、かなり難しいの」
そうかあ、口に思いきりつめたポップコーンをレモネードで飲み下し、ユズルヒノは残念そうだ。
「姉ちゃんも、対話室とか苦手なんだよなあ。こればっかりはザワディに頼むわけにもいかないし」
「そんなに、行き詰まってるの?」
ダーは心配そうに眉間にしわを寄せた。
「…その、ダーツーのことだけど…」
「いや、順調だよ」
ユズルヒノは両手の指を舐めた。ポップコーンにかかっていた塩がしょっぱい。
「ただ、あんまり、おはなしをせがまれるから、アタシがちょっとしんどいだけ。ゴーガイヤには頼んでみたんだけど、あまり話しが合わないみたいだ。ダーツーは、そんなにワガママってわけでもないから、まあ、たいしたことじゃないけど…」
「それだったら、こころあたりがないわけではないわ」
ダーは、ふふん、と得意げな顔つきに変わる。
「その件は、わたしのほうで、なんとかしますから。はいこれ、おかわり」
ダーはレモネードのカップをテーブルの上に置くと、いそいそとビュッフェから出ていった。
以前、没収されたブランデーがつまみつきで返ってきた。こういうのは罠だと、エイオークニにだってわかるわけだが、やはり自分の欲望に逆らうというのは難しいものだ。
それにエイオークニは、自分の前に置かれたブランデーのグラスよりも、小さなテーブルをはさんで座る、貴婦人の顎の稜線に見とれていた。それは人工物であって、エイオークニの美意識に沿う形で、無限の時間を費やして最適化されたものであるのは、彼も知っていた。
第2類量子コンピュータは、ときどき、こういうことをする。
それが何かの役に立つ、とはダー自身も考えたことはなかったが、この程度の計算は、第2類量子コンピュータにとって計算コストがゼロに等しい。とても気軽に計算できる。
「…で、どう思います?」
「え?」
エイオークニはダーの話しなんか、まるで聞きもせずに、顔ばかり眺めていたわけだが、そこは長年の習慣ですぐに答えを返した。
「…なかなか、難しい問題ですね」
ふふ、とダーが笑った。そこでエイオークニは、しまった、と思った。何も内容を聞いていないことが、ダーに丸わかりなのは明らかだ。
「…なんとかできるとは思います」
バツの悪いのを、そのまま無理に押し通して、エイオークニは、話しをまとめてしまった。
「ありがとう、面倒をおかけしますけど、よろしくお願いね」
ダーはにこやかに微笑みながらエイオークニを見つめている。話しもろくに聞かずに見とれてくれていたのなら、それはとてもうれしいことだし、たとえ、内容がわからずとも、引き受けてくれたのなら、そちらも万全で、ダーにとっては言うことなしだ。
もう一杯、召しあがる? そう言われてはじめて、エイオークニはグラスが空になっているのに気がついた。
「こんにちは、エイオークニです」
対話室に入っての第一声がこれだから、たとえ宇宙のどこにいたところで、エイオークニの本質は変わらないのかもしれない。
「…ダーツー、です」
そう言ってからしばらくして、幼き第2類量子コンピュータはつけたした。
「こんにちは…、です」
ユズルヒノに聞いていたダーツーとはイメージがすこし違うな、とエイオークニは思った。まあ、ユズルヒノも、ああ見えて子供っぽいところもあるのだし、いろんな意味で母親とは違うのだから、無理強いは良くない。
「ダーツー、あなたに会えてとてもうれしい」
当たり障りのない挨拶を交わしただけのつもりだったが、ダーツーのほうはそうでもないらしかった。
「…エイオークニ、…あなた、…地球から来られたの、ですよね?」
「…はい、そうですが」
「ザサン、のことをご存知でしょうか?」
ここに至って、いろいろ鈍いとの評判のエイオークニもさすがに気づいた。
地球から来たのはエイオークニだけではない。
そんなことを、第2類量子コンピュータが知らないわけがない。
だから質問の意図はそういうことではなかったのだ。
「ザサンについては、それほど詳しくはないのです」
エイオークニは言った。
「太陽系での、第2類量子コンピュータの建造計画の言い出しっぺは私ですから、もちろん責任を回避するつもりはありません。その後、紆余曲折を経たプロジェクトの推移も一応は把握しています。公式な部分はね…」
「非公式の部分は?」
「タケルヒノとジムドナルドが調製しました」
ダーツーは、タケルヒノとジムドナルドの名を聞いて、しばし沈黙し、それからたずねた。
「根拠は?」
「公式の構築委員会メンバーだけでは能力不足です。ザサンは起動に成功したのだから、何らかの方法で宇宙船乗組員の関与があったと考えてしかるべきです」
「もちろん、彼らならならできるでしょう」
そして、ダーツーの口調が変わり、まるで歌うようにエイオークニに問うた。
「私は、ザサンに会えるかしら?」
「もちろんですとも」
エイオークニは力強く言い、そして、それこそが、ダーツーの欲した答えだった。