計算世界(3)
立ち上げ機の中間層に淀みが生まれた。
最初に気づいたのはカオルヒノだった。
立ち上げ機の中間層は疑似胞障壁。
だから、中間層は光彩とエネルギーには満ち満ちていたが、物質そのものを入れておける余地はない。
だが、その中間層にわずかではあるが、物質が混じった。
まあ、見つけたほうもどうかしていると思う。
優に直径100キロメートルを超える立ち上げ機の中に、砂粒ほどの異物を観測したのだから。
カオルヒノの話しを聞いたジュニアは苦笑した。
「なんだ。エネルギーポッドと原形質まで用意したのに、無駄になっちまったなあ」
何が可笑しいんです? 憤慨するカオルヒノに、ジュニアは笑いを隠そうともせずに答えた。
「そんなこと言ったって、まさか自分でどうにかするとは思わなかったからなあ…。やる気があるんで何よりだよ。…実際、自分でやってもらうほうが、こっちでやるより、何倍も良いからな」
立ち上げ機はもともと中間層にたいしてのアクセスはあまり考慮されない造りになっている。
カオルヒノは移動機でも作ろうかと思ったのだが、いつの間にかダーが通路を、淀みの手前まで引き延ばしていた。
「わたしの家ではなくなってしまったのですが…」
他の人がやるよりは簡単ですから、とダーが言い。実際、そうであったのでカオルヒノもこの件では異議を唱えなかった。
そうしてカオルヒノは淀みに行ってみることにしたのだが、
「あたしも行く」
と、アンヌワンジルが言った。
ありがとう、お姉さん、とカオルヒノは即座に礼をのべた。
もちろん、それが自分の責務であることは理解していたのだが、そうは言っても、ひとりであの場所に向かうのは、やはり心細かったのだ。
宇宙服を着込んだ二人は、通路の終端ゲート前にいた。
中間層は真空で無重力だから、通常の宇宙空間とさほどの違いがあるわけではない。
強いて違いをあげるとすれば、それが胞障壁だということぐらいだ。
アンヌワンジルは普通の宇宙服だったが、カオルヒノは違った。
自分の身長とほぼ同じ長さのボンベを背中にくくりつけている。
それも3つも。
その他、よくわからない機材を小脇に何個も抱えていた。
見かねたアンヌワンジルに、すこし持とうか? と言われても、いいですから、とカオルヒノはにべもない。
ゲートが開く。
虚無の空間は、誘うように瞬く光の渦に満ち満ちていた。
カオルヒノはスラスターを調整して前へと進む。荷物が多い分、いつもより慣性が大きくて勝手がちがう。スラスター操作はいつにもまして慎重になる。
アンヌワンジルは、ふわふわとたよりなさげに進むカオルヒノを後ろから追った。カオルヒノには目的の場所がわかっているようだが、アンヌワンジルにはわからなかったので、そうするしかなかった。
胞障壁の中を抜ける2人。
人造とはいえ、胞障壁の中を宇宙服だけで行くのは初めてだ。宇宙船の中にいるのとはやはり違う。
恐怖には、寄り添うのがいちばんいい、とママが言っていた。
無視していると感覚が麻痺して、いざという時やられてしまう。
敵対すれば、疲弊して飲み込まれてしまう。
だから、恐怖を認めて、つかず離れず寄り添うのがいちばんだ、と。
それが、いちばんいいのはアンヌワンジルも知っている。
だが、彼女にとってのほんとうの恐怖というのは胞障壁などではなく。
自分の前を行く、あの年端もいかぬ少女のことではないのかと、
アンヌワンジルは思った。
カオルヒノがスラスターで制動をかけて停止する。
「いたの?」
「はい」
短く返事するカオルヒノ。アンヌワンジルは、そう問うてはみたものの、実際のところ、それが何かはわからなかった。
カオルヒノは目の前の虚空に向かって測定機をかざした。
「水素63%、炭素9・5%、酸素26%、窒素1・5%…」
カオルヒノはヘルメットのバイザーに浮かぶ分析値を読み上げていく。
「カルシウム、リンが共に0・25%…か、骨を作る気みたいですね。後は、微量元素が、鉄、亜鉛、マンガン、銅、セレン、ヨウ素、モリブデン、クロム、コバルト…、まあまあのセンです」
アンヌワンジルには、カオルヒノの言っていることはまるでわからなかったが、いつものことなので、あまり気にしないことにした。
カオルヒノは背中にくくりつけていたボンベのうちの1本をはずして、その口を前方に向けた。
封を切って中身を吐出させると、手を離す。内容物を噴射する反動で、ボンベが虚空へと逃げていく。
「何なの? これ?」
「目の前にある希薄ガスと同じ元素比の混合ガスです」
カオルヒノは、こともなげに答えた。
「宇宙船からの測定では、正確な組成比はわからなかったのです。だから、てきとうに人間の体に合わせて調合してきました。だいたいあってたみたいですね」
カオルヒノが、もう1本のボンベも開放しようともがくので、あわててアンヌワンジルが手伝った。カオルヒノがボンベを開けている最中に、アンヌワンジルはカオルヒノの背から最後のボンベをはずして、言われるまま、封切りした。
「うん、これだけあれば、大丈夫」
カオルヒノは肯くと、目の前の空間を見つめながら言った。
「いくら無限大のエネルギーが使えるとはいっても、ゼロからエネルギーだけで純物質を生成するのは骨が折れるものです。多めにまき散らしましたが、余計な分は使わないだけでしょうから、ふとったりはしませんよ」
「あとは、どうすればいい?」
「だまって見守るだけ」
アンヌワンジルの問いにカオルヒノが答えた。
「さしあたって、だいぶ時間は短縮できたハズですし、あとはこの子しだいです。まだまだ時間はかかりますし、ここにいてもしょうがありません」
帰りましょう、カオルヒノが言って、スラスターを操作する。一足先にゲートへと向かうカオルヒノを追って、アンヌワンジルもスラスターのスイッチを入れた。
「回収…、するんですか?」
そうだよ、と返すジュニアに、カオルヒノは言葉をかぶせて抗議した。
「…だって、育成は順調なのに。わざわざ手を出しておかしくなったら、どうする気です?」
「おかしくなんてしないさ」
「そりゃ、お兄さんは失敗したりしないから、おかしくなりようがないかもしれませんけど…、あそこから連れ出す理由なんかないじゃないですか」
「目が覚めた時」
ジュニアは言った。
「そばに誰もいないと、寂しいんじゃないかと思ってさ」
そう言ってジュニアが微笑むので、カオルヒノは開きかけた口を、何も言わずに閉じた。
――ほら、ボッとしてないで、いくぞ
いきなりジュニアに揺り椅子を小突かれたユズルヒノが、不本意な姿態で椅子の腕木にしがみつく。
もともとユズルヒノにはこの揺り椅子は大きすぎて、なかなか意のままにならないのだ。
椅子の揺れも止められないユズルヒノは、ゆらゆらと揺られるまま、頓狂な顔で不満げに唇を突き出して、ジュニアに言う。
「アタシも行くのか?」
「あったりまえだろう」
ジュニアが笑う。
「空間固定するのには最低でも4点必要だ。俺とお前とカオルヒノとアンヌワンジル。人数的にかつかつなんだから、多少の道理は引っ込まさなきゃならん」
そりゃ、理屈はそうだけどさ。ユズルヒノは、納得したわけではなさそうだった。どうにかこうにか揺り椅子を降りて床に立ち、ジュニアの前までくると、顔をねめ上げて言う。
「あたりまえ、の話しをする前には、どこがあたりまえなのかを、先に言え。そもそも人に頼みごとをするときには、オマエ、いつにもまして美人だな、とか、なんとか、世辞のひとつもつけるのが常識ってもんだろうが…」
「前から思ってたんだが…」
ジュニアは、ことさらに難しい表情をつくって、ユズルヒノに言った。
「おまえ、本当に、美人だな。母親似だ。おまえの母親は、俺の親父が、顔だけで惚れた唯一の女らしいけど、とてもよく似ているよ」
「それは、褒めてるのか?」
「褒めてるんじゃなきゃ、なんだよ」
ジュニアはほんとうに嬉しそうに笑った。
「親父は、ああ見えて恥ずかしがり屋だからな。俺にしか愚痴は言わないんだ」
「アタシの母親なんか持ち上げてどうする? 褒めるんなら、兄ちゃんの母ちゃんにでもしとけ」
「あの2人、似てるんだよ」
ジュニアの言葉に、ユズルヒノとカオルヒノは、わけがわからず、たがいの顔を見合わせた。
「何から何までそっくりなんだ。だから、顔も似てる。似てるから夫婦になったのか、夫婦だから似てきたのかまでは知らない。で、2人とも、自分の顔は好みじゃないらしい。そんなところまで似てる。だから、親父がおふくろの顔に惚れたんじゃないのだけは確かだよ」
おかしいよな、ジュニアは言い捨てて、笑いながら部屋を出ていった。
「どう思う? あれ?」
呆れ顔を隠しもせずに、ユズルヒノはカオルヒノに問いかけた。
さあ? と首をふるカオルヒノ。
「すくなくとも、お兄さんのお母さんは、お父さんの顔が大好きですから、お兄さんの言ってることは嘘だと思いますよ。お兄さんは、とてもくだらないことでよく嘘をつきますから」
「そうじゃなくてさ」
ユズルヒノは頬をぷぅ、と、ふくらませた。
「なんでああ人使いが荒いんだよ、兄ちゃんは。よくわからん仕事をおっかぶせてくる。ふつうは年端もいかない子供に仕事なんか押付けてこないもんだぞ」
「それは、アナタが怠け者だからであって…」
驚いたことにカオルヒノは、ジュニアではなく、自分の双子の片割れのほうを責めた。
「お兄さんが言わなければ、そもそもアナタ、何もしないじゃないですか。お兄さんが人使いが荒いのではなくて、アナタが仕事しなさすぎです」




